65章
大気圏へ再突入する飛行機の中で、ユリアは言葉を失った。飛行機から数十キロ程離れた所を前方からテタルトが、自身の身体よりも2倍近くあるギガスを細く白く光るロープ状の物でぶら下げながら向かって来る姿を目の当たりにしたからだ。
テタルトの姿はまるで巨大なカジキマグロか小振りのイッカクを小さな漁船で釣り上げた漁師の様でもあった。
その姿はドローンのカメラを通じて、ネオ・ムセイオン内のラボのモニターにも映し出されていた。
「ギガスを生きたまま捕獲した!」
そのニュースはアメリカ支部中の研究者達を興奮させた。これ迄ほとんど遺骸の一部でしかサンプリング出来なかった未知の生物を、ほぼ完全な状態で捕らえられたのだから。
「凄いわ…!」
フェイは声を震わせた。生物工学や生態系については専門対象外の彼女でも、ギガスの生き物としてのメカニズムには興味をそそられる。チャーリーは彼女の様子を見て、またかと言った表情でモニターに視線を戻した。
あちこちで驚愕し、興奮し、どよめきが収まらない最中で、冷静さを保ち続ける者も存在した。
1人はラボの中で腕組みしているジェシカ。彼女はテタルトがギガスを縛っている物が、あの満月の夜、旧LAに出現した巨大昆虫型ギガスの触角である事を見抜いていた。あの素材は確かに敵の手にあれば厄介な代物だったが、こう言う活用も出来るのかと感心させられた。だが、テタルトが此処に着く迄、果たして強度は耐えられるのか?
もう1人、スイもまた飛行機の中で、シートベルトで固定されたまま、モニターと窓の外を代わる代わる見やりながら、様々な懸念事項を払拭出来ずにいた。テタルトは渡欧前の訓練でも見せなかった莫大な力を発揮している。確かにこれはずっと共に行動していた中でもずば抜けた数値だろう。だが、テタルトのそれはいつまで続くのか?それは要自身にも負担がかかっているのではないのか?
そして要本人もまた、ロープからテタルトの両肩へと伝わって来る振動から、ギガスの激しい抵抗を感じ取っていた。要の予測では、ロープはネオ・ムセイオンに辿り着く迄持たないだろう。だが、地上に再び降り立てば、このギガスはあっという間に逃げてしまうだろう。一刻も早く死なない程度に何か他の自由を奪う手立てを講じなければ。
「ユリアさん。プロトかトゥリトにテタルトの応援に来て貰う事は出来ますか?」
落ち着き払ったスイの問いかけに、ユリアは後方にいた彼女の方を振り返った。
「出来なくはないわ。でも何をさせるの?」
「テタルトの体力に限界が来るのは時間の問題だと思います。その時が来る前に少しでもテタルトの負担を減らして、ギガスに逃げられない様にするべきです」
「スイ、それはまた貴女がそう云う未来を見たから言ってるの?」
「いいえ。でもずっと美崎君と一緒に訓練してたし、テタルトと活動を共にしてきたから、私には何となく分かるんです」
「…分かった。機長、ラボに通信をお願いします」
飛行機からの応援要請は直ちに本部のチーム5と7へ伝えられた。
その一方で飛行機は着陸準備のため速度を少しずつ落としながら高度を下げていく段階に入っていた。着陸とアメリカ支部への帰還は目前だった。
「まずは飛行機が着陸する。飛行機の着陸後、テタルトは直ちに地上エレベーターへギガスと共に地下へ戻るのよ」
「了解」
スイが思うに、ギガスが束縛を破って逃亡した時に備え、他のアバターによる予防線を張った方が良いのでは、との事で召集されたジェシカ=プロトとニック=トゥリトは揃って地上に姿を現した。
「見えたわ」
「おう」
飛行機からの要請を受けて急いで地上から飛び立ったプロトとトゥリトの視線の先には、太陽の光を反射させながら徐々に大きくなってくる飛行機の姿と、黒いギガスをぶら下げたテタルトの姿があった。
タラッサによるテタルトの体力は、スイの心配とは裏腹に無限であった。だが、触角で出来たロープには要の気付かぬ所で裂目が生じていた。その小さな裂目は誰もが気付かなかった。
弾丸の様に自分達の方へ向かって来る飛行機の経路を妨げない様、細心の注意を払いながら、プロトとトゥリトはテタルトの方へと進路を向けた。
「ミスターミサキ!ギガスを運ぶの手伝うわよー」
ジェシカ=プロトからの呼びかけを受け、要=テタルトは視線を2体のアバターに向けた。そのほんの僅かな一瞬で、ロープに生じた小さな裂目はまた少し拡大した。
「プロト、トゥリト、気を付けろ。こいつ、縛られていてもずっと暴れてるんだ」
そうは言いながらも、要の中であと少しでゴールに着くという、気の緩みがあった。
そしていよいよ地上と地下を結ぶゲートまで残り数キロメートルの距離に達し、飛行機がテタルトと同じ高度で並んだ時だった。
要の気付かない所で生じていたギガスの縛めの綻びは、一気に引きちぎられてしまった。その時をずっと待ち構えていたギガスは、不気味な低い咆哮を上げると、黒く扁平な二本の前脚を左右に広げ、そのまま後ろへ流されて行くかの様に落下して行った。
「…!!」
プロト、トゥリト、テタルトと繋がるパートナー達だけでなく、モニター越しに状況を見ていた搭乗者達やラボの研究者達のすべてがこの瞬間、思考が止まってしまっていた。
「逃げられる!」
ニック=テタルトは飛行しながら咄嗟に小型レーザーライフルを出し、地上へ落ちて行くギガスに向かって狙撃した。光線はギガスの体表を幾許か切り裂いたが、致命傷にはならなかった。
「急ぐよ!」
ジェシカ=プロトはイカロスの速度を上げた。
「ミスターミサキ!それを早く!」
「分かってる!受け取れ!」
要=テタルトはジェシカ=プロトとぶつからないすれすれの位置ですれ違いざまに、手に残っていたロープ、それはサーカスで猛獣を調教する時に使う鞭の様でもあったが、素早く放り投げた。
「サンクス!」
ジェシカ=プロトはロープを空中で掴むと、ギガスの方へ向かって一直線に急降下した。
ギガスが落下したのは、かつてはドラッグレースのサーキット場の中心地だった。黒い巨体は大地に片膝をつく形で着地したが、コースの表面を覆う固いアスファルト舗装に戸惑う様子を見せた。
「もしかして地下に潜れないのか?」
後を追うようにしてやって来たニック=トゥリトは、ギガスへライフルの光線をシャワーの様に浴びせた。その攻撃は運良くもギガスの動きを封じる形となった。その隙にジェシカ=プロトはギガスの背後へ回り込む。テタルトから受け取ったロープで再びギガスを捕えようと、ロープの片方をギガスの右足首に向かって打ち付けたが、軽くあしらわれてしまった。
「もう!」
一方で要=テタルトは旋回して自らもギガスの落下地点へ向かおうとして、地上の巨大な製鉄所跡に気が付いた。そこはかつて著名なSF映画のラストシーンが撮影されたという、有名なロケ地でもあったのだが、勿論そんな過去を要は露程も知らない。
「あれは、溶鉱炉か?」
突然要=テタルトは急降下し、製鉄所跡の中心にそびえ立つ高炉のすぐ真下に降り立った。
「何をする気…?」
モニター越しに様子を見守る研究者達は息を飲んだ。
「タラッサ、もう一度俺に力を貸せ!」
そう言い放った要の背後で、再び女の高笑いが響き渡った。




