62章
アレクサンドル・カレフスキーがアンドレ・ムーアと共にラボに戻って来ると、何やら重い空気がラボの中全体を圧迫していた。
「皆、作業が終わった…よ?」
「…ええ、分かったわサーシャ。アメリカへ帰りましょうか」
「何だ何だァ?君達、何かあったのかー?」
経緯を知らないアンドレの問いに、ラボにいた者達は誰も視線を合わせる事なく無言で立ち上がった。
「ドクタームーア、お忙しい中ありがとうございました。エマニュエルさんにも宜しく伝えて下さいね」
「ああ。君らも良い旅路を」
アレクサンドル(サーシャ)は要と共に改造されたカプセルの元へ、ユリアはスイと共にに飛行機の格納庫の控室へ行った。
「それでカナメ。僕らがいない間にラボで何があったんだ?」
「何もない。ただ、マキノの話が出たのと、アリッサが俺の前にも何か、別の生命体を造る研究をしていたのかを俺が尋ねただけだ」
「それって、グールド所長がネオ・アカデメイアで何をしていたかって言う話か?」
「いや、何も。そこまでは聞き出せなかった」
「君は、所長からユリアについての話を何か聞いた事がある?」
「ユリアの話?いや…」
要はアリッサが家族の話をするのを実際ほとんど聞いた事がなかった。ただ、アリッサに娘がいて、同じネオ・ムセイオンの中で研究者をしている、と言う事だけはチーム6が発表したアバターの実験や調査のレポート等から伺う事は出来た。それでも要にはグールド母娘は無論の事、一般的な親子の関係と言うものが今一つ理解出来なかった。
「そう。まあ、そうだろうね。残念ながらユリアは、グールド所長がかつて共同研究をしていたパートナー、ドクターミサキ・エイジの事をあまり良く思っていない。それは彼女自身の幼少期の頃の経験の為でもある」
「それはアリッサの研究とどう関係してるのか?」
「僕が知っているのは、グールド所長は20年位前、ドクターミサキの招きでネオ・アカデメイアへ行き、その為にユリアはずっと祖父母の元に預けられて育った、という話だ。そして、10年前ネオ・アカデメイアがあった北太平洋コロニーの爆撃事件から奇跡的に生還した所長は、北米コロニーに戻ってネオ・ムセイオンを立ち上げると、狂った様に君を生み出す為の研究にのめり込んでいったそうだよ。まるで娘の事等忘れてしまったかの様にね」
要はアレクサンドルの話を聞くと、これまでユリアが自分に対して垣間見せてきた冷ややかな敵意は何であったのか、答えに繋がる手掛かりを掴めた様に思えた。
その一方で、ユリアは控室でスイに宇宙飛行士さながらの防護服の着方をレクチャーしながら、聞かれてもいない事を自然に口にしていた。
「私、自分が大人げない人間なのはよく分かっているの。それでもカナメの顔を見る度に、母が父と私を捨てて選ぼうとしたドクターミサキ・エイジを思い出さずにはいられない。きっと私は、カナメがチーム6のラボに初めてやって来た時から、ミサキ・エイジへの嫉妬心を、エイジの息子と同じ名前を与えられた彼に対しても感じてしまっているのね」
「でも、ユリアさん。美崎君が軍本部から此処に向かおうとした時、所長じゃなくてユリアさんにコンタクトとったんでしょう?それは、所長ではない、ユリアさんだからこそ相談したかったんじゃないかなって」
「彼からそう思われる要素が全く思い浮かばないわ。スイ、彼に何か私の事でも話した?」
「いいえ。でも最近の美崎君は、自分の事ばかりだけではなくて、私や他人の事もよく知ろうとしてる風に思えるんです。彼もまた、私とは別に、自身を取り巻く様々な事を理解したいと思っているんじゃないでしょうか?」
「ふーん、そう…」
スイはユリアとアリッサとの間の確執を理解するには未熟すぎた。そして、ユリアがカナメに対する偏見を失くす為には、様々な問題が待ち受けている事も、その時のスイには想像すらしていなかった。
「ユリア、スイ、準備はできた?」
スマートウォッチからアレクサンドルの声がした。
「ええ、大丈夫よ」
「此方もテタルトのカプセルを飛行機に搭載が済んだ。いつでも行ける」
ユリアとスイは控室を出て専用機の内部に乗り込んだ。シートに座り、ベルトで体を固定し、酸素ボンベとヘルメットを繋いだ。一方で要は、改造されたカプセルの中で静かに離陸に備えた。
「用意は良いですね?」
機長の確認のアナウンスに、ユリアはゴーサインを出した。飛行機は地上の滑走路へ向かって運ばれて行き、そして音速で大空へ飛び立った。その10分後、テタルトが後を追ってイカロスでヨーロッパ支部を離れた。
チーム4では、来訪者達が去った後も、通常と同じようにメンバーがそれぞれの作業をこなしていた。あのマニでさえも珍しくラボにいた。そこへ何やらアラート音が鳴り響く。
「今度は何?」
イネスが自席からモニターの方を見る。
「人工衛星アイテリエからの通信よ。地上の何処かで噴火が起きたみたい」
シモーヌがキーボードを叩くと、地中海上の島で黒煙が湧き出している映像が浮かび上がった。
「どうもシチリア島があった辺りの様ね」
「近いわね。周辺のコロニーに影響が出ないと良いんだけど」
そこへアンドレのスマートウォッチが鳴る。相手はリン・コヴァルスカだった。電話を終えるとアンドレは号令をかけた。
「マニ、許可が出たぞ。ペンプトでシチリア島迄行って様子を見てこい」
「はい、ドクター」
マニ=ペンプトはギガスの殻で作った盾(旧リヨンから戻った後にアバター様のシールドとして使える様に加工された)とレーザーライフルを持つと、南の空へ飛び立って行った。
シチリア島での噴火の知らせは程なくしてスイ達が乗る飛行機にも知らされた。
「タイミングの悪い時に噴火したわね…規模はどれ位ですか?」
「人工衛星からの情報によると、噴煙は2000メートル以上にもなったそうです。我々の飛行はどうしますか?」
「噴火した場所の風向きは?」
「東だそうです」
「なら我々の進路と逆方向ね…このまま進んでください」
「ラジャー」
スイは火山について、エミールの講義で習っていたものの、実際の噴火は見た事がなかった。どんなに危険なものか、想像すら出来なかったが、少し興味が湧いた。
「ユリアさん、火山の噴火ってどんな感じなんですか?」
「私も人工衛星の動画で見た程度だから、詳しくは知らないわ。でも、大きいものだと数千立方キロ以上に火山灰を降らせ、僅かな期間で地球の上空を噴煙で覆い尽くしてしまうと言われているわね」
へえ…と、スイは相槌を打ちつつ、持っていたタブレットの画面に触れた。火山の噴火について検索すると、100年以上前、人類が未だ地上で生活していた頃に撮影された動画がいくつか浮かび上がった。スイは小さな画面の中で、山が黒く濁った噴煙や真っ赤な溶岩が吹き出す様子をしばらく飽きもせずに見続けていた。
一方でマニ=ペンプトは、地上に出てから3時間足らずで噴火が起きた場所の近く迄たどり着いた。
「うっひょー…これはマジでヤバいな!!」
マニもまた、実際に火山が噴火する所を目にするのは初めてだった。風向きに注意を払いつつ、噴火口から溢れる溶岩が地表をゆっくりと進むのをあらゆる角度から観察した。赤く爛れた溶岩は、地表にある枯れ木や乾いた大地や廃墟を大蛇の様に飲み込んで行き、行く手を阻むものを全て溶かして焼き尽くした。溶岩はその勢いで海へと流れ込み、大量の熱い湯気を上げながら、海底に黒々と沈んで行った。それは正に地上に出現した地獄の釜の光景であった。
「…あっちい」
ペンプトはアポロニウム製の装備で全身を守られているとは言え、灼熱の溶岩や降りかかる火山灰や噴煙の熱はじわじわと中に伝わってきた。その熱は繋がっているマニの全身にも共有された。
「ねえ、後は何をしたらいい?」
「とりあえず実際の様子を一通り記録出来たから大丈夫よ」
「了解。それでは支部に戻ります!」
マニ=ペンプトが大きく旋回して方向転換しようとしたその時だった。
真っ赤などろどろのマグマがアメーバの様にペンプトに向かって吹き出してきた。
「何?!」
とっさにマニは盾でマグマから全身を守ろうと振りかざす。盾越しに噴火口を見ると、マグマの中に不気味な目玉が5つ浮かび上がり、ぎょろぎょろとマニ=ペンプトの方を凝視していた。
「何だあれ…?!」
マニ=ペンプトがアメーバ状のマグマを良く見ようと近づいた時、再び噴火口から噴煙がもうもうと吹き上がった。それは蛸が吐く墨の煙幕の様でもあった。
「周りが見えない!」
マニは盾で噴煙を左右に薙ぎ払った。その煙と共に大気中に火山灰が広がる。その僅かな煙の合間から、濁った色の溶岩らしきものが一筋、触手の様にペンプトに向かって伸びてきて、エアボードの端を捉えていた。
「邪魔だ!」
マニはレプリカのナイフ(平和維持軍本部の戦いで折れた剣よりも短く軽量化して再作成された)を抜き、エアボードに付着したマグマの触手を切断した。その感覚は重く、ねばねばとしていた。そしてマグマを切った勢いでマニ=ペンプトは海に落ちた。
「ちきしょ!」
着水するとエアボードが一気に重く感じられた。両足を外してしまうと後で回収するのが困難になる。やむを得ず右足だけボードから外し、海面に浮上した。
マニ=ペンプトが波の合間から火山を見上げると、マグマだと思っていたものが蛸の様にゆるゆると動いていて、5つの目玉をぎょろつかせながら噴煙を吐いているのが見えた。
「あれも…ギガス?」
マニの脳裏に平和維持軍本部での戦いが思い浮かんだ。
「だとしたら僕が何とかしないと!」
そう決意した瞬間、マニ=ペンプトは再度エアボードに右足を装着し、イカロスの空気出力を最大にして再び空中へ躍り出ていた。




