61章
翌日、平和維持軍からステルス2機を従えて飛行機でヨーロッパ支部に乗り込んで来たのは、要が指名したローズマリーではなく、ジョシュアだった。
「俺はローズマリーを指名した筈だが?」
「残念ながらシノダ中尉は除隊した。あの後直ぐにな」
要にはジョシュアの言葉が信じられなかった。
「ローズマリーさん、何かあったんですか?」
事情を知らないスイでさえも、ローズマリーの不在は心細く感じた。
「家庭の事情らしい。それ以外の事は言えない」
要はジョシュアの顔を睨み付けた。
「俺達が本部でどんな目に遭ったのか、知らないとでも言うのか?」
「我々の任務はデフテロを本部迄運ぶ事にあった。到着した後の事は任務に含まれておらん」
あくまでしらを切り続けているジョシュアに、スイと要は不信感を抱いた。
「俺達は民間人だ。此処に来る迄の安全を守らなかった軍には、とてもじゃないが全てを任せられない」
要は強気の発言をしたが、ジョシュアは表情を崩さず、要の主張を突っぱねた。
「我々平和維持軍は子供のお守りではない。軍がお前達に協力するのは、アバターの実用化を早急に進めさせる為だ。それを忘れるな」
そう言ってジョシュアは飛行機に戻ろうとした。
その時、地上滑走路に繋がるゲートの扉が開き、見慣れない小型ジェット機が格納庫に到着した。
「あれは?」
ジョシュアは眉をひそめ、イヤホンマイクで部下らしき誰かにジェット機の所属を尋ねた。
「…この識別番号は、民間企業のものでも軍のものでもありません…」
「だとしたら何だ!」
ジョシュアが声を荒げる中、小型ジェット機の扉が開き、宇宙飛行士さながらの真っ白なフルフェイスのヘルメットに全身防護服の2人の人物が姿を現した。
2人は真っ直ぐジョシュアとスイ達の前にやって来ると、揃ってヘルメットを外した。
中から現れたのは、ユリアとアレクサンドルだった。
「今日は、ベニントン少佐。ネオ・ムセイオン所長、アリッサ・グールドの命令により、デフテロのパートナー及びテタルトとそのパートナーの回収に参りました」
「ユリアさん!」
スイは正面からユリアに抱きついた。
「貴様達は世界連合の方針に逆らう積もりか?」
苦々しく食ってかかるジョシュアに、ユリアは物怖じせず言い放った。
「我々ネオ・ムセイオンは国家や政府とは独立した研究組織です。そしてこの子達はネオ・ムセイオンのメンバーです。デフテロはそちらのご要望通りにお渡ししましたが、アサナギ・スイの安全が脅かされた今回の事態は、我々としても重く受け止めざるを得ません」
「…マーギュリスはこの事を知っての上での行動か?」
「マーギュリス所長もご存知の筈です。これは理事会での決議による命令なのですから」
「大方グールドの利己的な理由だろう?女が私情を持ち込むとロクなことにならん!」
「ベニントン少佐、それは女性を蔑視する発言と捉えて宜しいでしょうか?」
ユリアは冷静だった。
「スイは人類の存続の為に我々が進めている研究にとって、大変貴重な逸材です。彼女を守る行為を私情と言うのなら、我々から研究途中のデフテロを奪い、テタルトをも奪おうとする行為は暴力と言えるのではありませんか?」
ジョシュアはフン、と鼻息を鳴らし、不服そうに軍の飛行機へ戻って行った。
「ユリアさん、テタルトをどうやってアメリカ迄連れて帰るんですか?」
スイはユリアから離れて心細そうに尋ねた。
「これから長時間の移動に耐えられる様カプセルを弄るわ。此処もネオ・ムセイオンなのよ?」
アレクサンドルは要の方を向き、挨拶した。
「それで、君のカプセルは何処?」
「チーム4のラボの中にある」
「オーケー。チーム4に行こう」
4人は連れだってチーム4のラボに向かった。
「おおっ!君達来たのか!」
アンドレが4人を出迎えた。
「思ってたより早かったな。光速飛行は大丈夫だったか?」
「ええ。ありがとう、ドクタームーア。大気圏の出入りさえ我慢すれば、あっという間でしたわ」
其処にイネスも加わり、大人達が和やかな会話を交わす。
「それで、ドクタームーア。早速テタルトのカプセルの改造を始めたいんだが」
「おう。設計図は昨日受け取っていたから、材料は一通り準備してある」
アンドレとアレクサンドルがラボを出て行くと、イネスはユリアとスイにコーヒーを勧めた。
「折角来たのに、直ぐにとんぼ返りなんて残念ね。ゆっくり意見交換したい所なのに」
「申し訳ありませんわ、ドクターフューリー。アメリカ支部でももう直ぐ1ペア同調に成功しそうなもので」
「1ペア出来るの?」
「そうよスイ。貴女が抜ける代わりに、チーム6がこれから生まれる新しいペアを使って実験と調査を進めて行く事になる」
「さすが、グールド所長のお膝元ですね。ヨーロッパは何と言ってもマキノが抜けた後、ずっと遅れを取ってしまった感じだわ」
「マキノ?」
「マキノ・ヒロムネか?」
ずっと沈黙していた要が口を開いた。スイもその日本人の名前には聞き覚えがあった。
「マキノ・ヒロムネ?確かニホニズムの…」
「うん、そう。そのマキノよ」
「彼はネオ・ムセイオンの研究者だったんですか?」
「ええ。私の1年下の後輩だったの。と言っても彼は飛び級していたから、実年齢は私より2歳下なのだけど」
ユリアは懐かしそうな表情をするでも、不快そうな表情をするでもなく、ただ淡々と言った。スイは自分だけがネオ・ムセイオンにマキノのいた事を知らないという事実を恥じる事なく更に質問を重ねた。
「美崎君は何故彼の事を?」
「マキノはアリッサの教え子でもあったから」
「そうよ。マキノは母の最後の生徒だったの」
ネオ・ムセイオンには入所してから2年経つと、自身の研究と見聞を広げる為に所属以外の支部へ2年若しくは3年の間留学する制度がある。マキノは元々ヨーロッパ支部の所属だが、留学制度でアメリカ支部に来て、アリッサの研究室で直に学んでいたと言う。
「母は所長としての役割もあるから、あまり直接教えたりはしないのだけど、マキノの論文を読んで将来性を感じたらしく、彼がアメリカ支部での指導教官として母を指名した際は快く引き受けたらしいの。だから、彼がヨーロッパに戻って半年もしない内に辞めたと聞いて、とてもがっかりしたと聞いたわ」
「何故此処を辞めてしまったんでしょう?」
「理由は知らないわ。けど、ニホニズム運動が起きている、というニュースの中で彼の名前を見つけた時は、正直驚いたわ。当時はそんな政治的な活動をする人とはとても思えなかったもの」
そう言うと、イネスも無表情のままコーヒーを口にした。
「美崎君はマキノさんに会った事があるの?」
「培養プールの中から彼の姿を数回見た事はある。だが向こうは俺を認識してはいなかっただろうけどな」
「そうなのね」
スイの脳裏にあったのは、ローズマリーが教えてくれたニホニズム運動の事と、その中心になっている本の事だった。後でそのテキストを探さなければ。
「スイ。ちなみに貴女もニホニズム運動には賛成なの?」
「それはよく分かりません。私は自分が本当に日本人なのかも分かっていませんし」
スイはそう言って、ヨーロッパ支部のロビーに掲げられていた、ゴーギャンの巨大な油絵のレプリカを心の中で思い出していた。それは元々はボストン美術館(MFA)に所蔵されていた、哲学的なタイトルを冠する彼の代表作の1つである。我々は何処から来たのか。我々は何者か、我々は何処へ行くのか。
「ユリア。1つ聞きたいと思っていた事がある」
唐突に要が質問した。
「アリッサは俺が出来るより前にも、他に別の生命体を造る研究をしていたのか?」
要に尋ねられたユリアは何も答えず、要と極力目を合わせないよう、頬杖をつき、テーブルの上ばかり見続けた。
「母はあくまで元パートナーの研究を引き継いで、今の貴方を形にしただけよ」
「あら、それはちょっと違うのではなくて?」
イネスが口を挟んだ。
「ドクターミサキがやっていた人工的な進化促進の研究と、グールド所長が元々やっていた古生物の生態メカニズムを復活させる研究。アバターはそれらの組み合わせでしょう?」
「それは分かってます、ドクターフューリー。ただ、私は、1人の科学者として、母が人の尊厳を冒涜したとしか見えないんです」
ユリアは俯いたまま、声を絞り出す様にして答えた。
「カナメ、悪いけれどその質問は戻ってから所長に直接尋ねた方がいいわ。私には上手く答える事が出来ない」
それはスイが初めて目にした、何時になく弱気なユリアの姿であった。




