58章
要は泣き出しそうなスイの様子を見て、何も言葉が出て来ず、黙ってその場を立ち去ろうとした。
「待って」
スイの右手がさっとのび、要の着ていたシャツの裾を掴んだ。
「美崎君、私はどうやって此処迄連れて来られたの?教会の中のずっと地下の聖堂にいたはずなのに、何も覚えてないの」
「俺はただ、テタルトで旧リヨンのノートルダム大聖堂跡地に行って、そこでとある人物からお前の身柄を受け取っただけだ」
「とある人物?誰なのそれ?」
要はスイに一部始終を話した。スイが拉致された後、ローズマリーの手引きによって平和維持軍本部を脱出出来た事、着いてすぐ催眠ガスにより眠らされた事、夢うつつでアサナギ・シンの声を聞いた事、目が覚めた時にスイを助け出したとある人物がいた事、マニの協力を得て旧リヨン迄行った事、ノートルダム大聖堂跡地の中で謎の少年2人が戦った事、それを仲裁しに来たかの様にデフテロが現れた事…
スイはたどたどしくて拙い要の説明を、時折相槌を打ちながら聞いていた。ルーディオと思われる人物が、湾曲した鎌の様な剣を持って現れた話を聞いて、牢獄の中で彼と直に会話したスイには、彼が自分を襲おうとした事をにわかには信じがたかった。だが、平和維持軍にいるはずのデフテロもがその場に出現した話迄聞くと、どうしてそんな展開になったのかすっかり分からなくなった。
「もう休んでもいい?」
要に言われ、スイは大丈夫、と小さく頷いた。静かに要は無表情のまま病室を出て行き、スイと暗闇だけが部屋の中に残された。
スイは一人毛布をかぶり、横向きになっていたが、昼間ずっと眠っていた事に加え、要から聞かされた話がずっと頭の中に引っ掛かり続け、様々な疑問がぐるぐると渦巻いた。
スイは考える事から逃げるたいと思い、横になりながらスマートウォッチを操作した。
「ハロー。要?」
随分と久しぶりに聞くユリアの声だ。
「ハロー、ユリアさん。スイです」
「スイ!!目が覚めたのね?体の方は大丈夫?」
「はい…ご心配をおかけしました」
「いいのよ、そんな事…兎に角貴女が無事に保護されたと知らせを受けて、フェイも私も本当に安心したわ」
「ありがとうございます。私、早くそっちに帰りたいです。チームの皆さんやドリーさんの家の皆さんに早く会いたい」
「そう…そうよね。出発する前にも伝えてたと思うけど、ネオ・ムセイオンのヨーロッパ支部は世界が誇る医学の最先端の研究所でもあるから、そこでしっかり休養とらせて貰って、早くアメリカに戻っていらっしゃいな」
「はい…!」
スイはユリアと少し話した事で、ようやく悪夢の様なフルヴィエールでの記憶を一時忘れ、朝迄眠りにつくことが出来た。
翌日になると、病室に再びニーナがやってきた。
「おはよう、スイ」
ニーナは朝食をベッドにセットしようとワゴンを押して来て、サイドテーブルに置かれた手錠を見て驚愕した。
「スイ、手錠…」
「ニーナさん、おはようございます」
起き上がったスイは、ニーナの驚いた表情の視線の先に外された手錠があるのを見て、ああ、と言った。
「手錠は昨晩美崎君に教えて貰って外せたの」
「あの人造人間が?」
スイはニーナの顔付きが変化したのを見て、軽々しく要の名前を出した事を少し後悔した。
「彼は私が手錠をつけたままでいる所を見かねて、解錠するヒントをくれたんです」
そう…とニーナは言葉少なに朝食のトレイを台に置いた。スイが両手を使えないだろうと、ストローを差した人工ミルクやバター付パンや皮を剥いた茹で卵やオレンジ等、片手で持って食べやすい様なメニューが載せられていた。
スイは簡単な朝食を済ませると、ニーナが再び来て、片付けながらヨーロッパ支部について色々教えてくれた。かつてこの地には欧州原子核機構(CERN)を始め、その関連施設等があった事から、元々国家からは独立した研究都市としても長い歴史を持つ地域ではあったが、そこへ更に大戦後の混乱で後ろ楯や居場所を失った優秀な科学者や医師達が多く集まった事で、今のネオ・ムセイオンのヨーロッパ支部に繋がる巨大なアカデミックコミュニティが形成されていったと言う。
スイはざっくりとヨーロッパの歴史についての多少の知識を習得していたものの、細かい部分については未だ学習が追いついていなかった。誘拐された時にエミールのタブレット端末も含め自分の荷物を失くしてしまっていたのが辛かった。
昼前になると、再び要がスイの病室を訪れた。珍しく要と一緒に、長身でアフロヘアのショートカットが良く似合うアフリカ系の女の子も訪れた。
「初めましてアサナギ・スイ!」
スイは初対面なのに馴れ馴れしく接するマニの勢いに押されながらも、宜しく、と握手を交わした。
マニはハキハキと自己紹介を済ませると、壁際に置いてあったスツールに勝手に座った。
「調子はどう?カナメは何も教えてくれないから、直に会った方が早いと思ってね」
「ありがとう。だいぶ回復してきたわ。それよりもニーナが言ってたのだけど、貴方は私を助けに行く為に無断でアバターを使って地上に出た罰で、ペンプトのパートナーを下ろされるんじゃないかって。それは本当なの?」
「ああ、本当さ。でも別にそうなっても気にしてないよ。僕の夢は別にネオ・ムセイオンの科学者になることでもアバターを駆使する地上の開拓者になることでもないからさ」
そうなんだね、と安堵したスイに、マニは尋ねた。
「ところで君は『アストロマキア』見た事ある?」
「確か、有名なSFドラマのシリーズよね?全部じゃないけど、ちょっとだけならあるわ」
スイが「アストロマキア」を知っていた訳は、ドリーの家に住むエルネストとロベルトもこのドラマの大ファンで、二人がリビングで熱心に見ている様子を何度も見かけた事があったからだった。
「そう!やっぱ君だって知ってるよね。カナメが『アストロマキア』を知らないって言うから、こっちにいる間にぜひ知って貰わなきゃいけないなと思って!スイ、君も病室で退屈してただろ?一緒に見ようじゃないか」
マニの勢いに流され、病室内は瞬く間にミニシアターに変わった。マニが持って来たタブレット端末は、鶏卵よりも小型のプロジェクターに繋げられ、白い壁にいっぱいの映像と音楽が広がる。
「元々『アストロマキア』は200年位前に製作されたSF映画のシリーズ作品だったんだけど、原作者が作ってる途中で版権や諸々の利権を商業主義のアニメーション制作会社に売却しちゃってね。そのせいで原作者が意図しない方向へストーリー展開して公開されて、世界観がワケわかんなくなってしまった。そこで僕の尊敬する映画監督でクリエイターのジョー・フェニックスが、 元ネタの著作権が切れたタイミングで本来の形に忠実にリメイクして作ったのがこの『アストロマキア』なのさ」
スイもエルネストからその話は聞いた事があった。ジョー・フェニックス氏はそのせいで利権を握っていた制作会社と裁判で争う事になったが、フェニックス氏が作った新たなドラマは既に世界中で大勢のファンを獲得していた事もあり、世論に押される形で、元となった作品と直結する単語は使用しないという条件付きでシリーズ作品の制作続行を認められたと言う。
「元ネタになった映画も見た事があるけど、僕はやっぱり『アストロマキア』の方が好きだな!ただ話をドラマチックに盛り上げてるだけじゃなくて、ちゃんと全体を通しての大事な哲学とか、テーマが守られているって言うか」
スイも要も、マニが細かく解説するのを聞きながら、気がつくと3話ぶっ通しで見させられていた。
そのまま4話目に入ろうとしたその時、ガラッと病室の扉が開き、ニーナが現れた。
「スイ、食事の時間よ…って貴方達、病室で何してるのよ?!」
「今日は、ニーナさん。マニと美崎君が退屈してるだろうって、お見舞いに来てくれたの」
「お見舞いにしては随分と賑やかね。まるでパジャマパーティーみたい」
スイはそうですね、と言って朗らかに笑った。
「ニーナさん、私達はいつアメリカに帰れる様になるの?」
「まだもう少し安静にしてからね。それに回復したら貴女から聴取する事もあると思うわ」
さ、見舞い客は戻りなさい、とニーナに追い出される様に要とマニは退室させられ、マニはチーム4のラボへ、要は自室の様に使用している医学部のバスルームへと戻って行った。
要は自室代わりに使用しているバスルームの入り口の前に立つと、1人の少女が微笑みながら自分を見てるのに気がついた。彼女はその場には似つかわしくないパブリックスクールの制服姿をしていた。彼女は要に向かって自ら話しかけてきた。
「貴方が美崎要君ね?」
「…そうだが、お前は?」
少女はスッと要のそばに近寄って来た。彼女の黒いストレートな髪、大きく深い青い瞳、すっきりと整った目鼻立ちは、ヒューペルボリアで要が目撃したアサナギ・シンの顔を彷彿とさせた。彼女の身長はスイとさほど変わらないのに、その体型は成熟した大人の様でもあり、初めて会うのに何か惹き付ける物を全身から発していた。そして不思議な事に、彼女もまた、セイやシン、そしてヒカルと同様に日本語で要に話しかけてきたのだ。
「私はリョウって云うの。今日は要君にお願いしたい事があって来たのよ」
要はその名前に聞き覚えがあった。それなのに何故か、彼女とその名前がなかなか要の中で過去に聞いた時の記憶と結び付かなかった。
「お願い?」
「そう。翠ちゃんに忘れ物を届けてあげて欲しいの」
「忘れ物?」
リョウと名乗った少女は持っていたトートバッグを要に差し出した。それはスイがアメリカ支部を出発した時に持っていた物で、平和維持軍の本部で失くしたと思われていた物だった。
「どうしてお前からアサナギに直接渡さないんだ?」
「翠ちゃんに私が今会えば、彼女が自分の中で準備が整わない内に大きな刺激を受けてしまう未来が見えたからよ」
「お前も先の未来が見えるのか?」
「見えるけど、私も今の翠ちゃんと同じ、不完全な状態なの。でも、翠ちゃんの場合は、時が来れば自分を取り戻して、聖ちゃんの手助けなしでも未来が見れる様になるから、安心してね」
そう言うとリョウはサッと両手を伸ばし、要の両頬に触れた。その手ははっと目が覚める程冷たかった。そしてそのまま彼女は口元を要の左耳に近付け囁いた。
「要君はもっと自分の欲望のままになるべきよ。アリッサと真ちゃんの言いなりのままじゃ、だめ」
要は一瞬の事に頭が真っ白になりかけた。言い終えるとリョウは何事もなかったかの様に頬から両手を離し、風の如く身体を翻すとそのまま後ろを振り向きもせずに立ち去って行った。




