57章
スイは大聖堂で自身の体を焼かれかけ、そして倒れた後、意識が朦朧としながらも、自分が誰かに寄って運ばれて行くのを察知していた。そして背負われながら、自分がまるで実態を失くして、空気に溶け込んで行くかの様に、重力がなくなっていくかの様にも感じられ、ただ誰かの背中に貼り付いているだけにも思われた。その背中からは、何処かとても懐かしい温もりすら覚えた。
その為か、背中から下ろされた時は何だかとても寂しいとさえ思った。懐かしさを感じさせた背中の持ち主の顔を見てみたかったが、残念ながらスイの記憶はそこで途切れ、深い眠りに落ちた。
「…Elle est en vie!!(彼女生きてる)」
聞き慣れない言葉がスイの耳に入って来た。瞼を開くと、白い防護服姿の大人達が5人程、自分を取り囲んでいた。
「Surpris…!(驚いた)」
「Est-ce que c'est bon?(貴女大丈夫)」
スイは目を大きく開き、首をかしげた。
「あー、英語なら分かるかな?」
スイは軽く頷いた。
「とりあえず医務室へ移動しましょうね」
再度スイが頷くと、あっという間にストレッチャーに乗せられ、MRIやレントゲンやその他様々な検査を受けさせられた。自分が何処に居るのかを考える暇もなく、気が付けばベッドに横になっており、再び眠りに落ちていた。
眠っていると、遠くでシューベルトの子守唄を歌う、女性の声がスイの耳に聞こえてきた。膝枕をしてもらって頭を撫でられている様な、そしてそれは記憶にないが自分が幼い子供の頃にも味わった様な、そんな朧気な思い出の様な光景が浮かんできた。
「…母さん」
眠っていたスイの両目がパッと開く。その途端に片方の目から涙が流れた。
「あ、起きたわね」
気が付くとベッドの傍らに、赤毛でどっしりとした、体格の良い白衣姿の見知らぬ女性が立っていた。
「気分はどう?」
「…頭がぼんやりします」
「半日眠っていたからね、無理もないわ」
「此処は…?貴女は…?」
「此処はネオ・ムセイオンのヨーロッパ支部、医学部の病室よ。私は医学部研究生のニーナ。貴女が目覚めるまでケアする様、アメリカ支部から言われているの」
「私…どうやって此処に?」
「昨日の朝、ペンプトが貴女の入ったギガスの殻を持って此処迄運んで来たのよ」
「ギガスの殻?」
「そう。一昨日、旧ブザンソンでペンプトが倒したギガスの抜け殻」
「何で私、そんな所に入ってたんだろ…」
「詳しい事情は今、テタルトとペンブプトの両パートナーに尋問中よ。明日には報告書が上がると思われるわ。無断でアバターを動かした二人の処分についてもね」
「処分…美崎君、どうなるんですか?」
「さあねー。彼の場合はきっと、アメリカのドクターグールドの働きかけで、何も科されないと思うけど…マニの方はどうかな」
「マニ。ペンプトのパートナーですか?」
「ええ、そうよ。誰の許可も取らずに地上へのゲートを開いて、アバター2体を外に出したんだもの。パートナーを下ろされるかもしれないわ」
スイはニーナの言葉を聞いて、何も言わず自分の両手首を見た。そこにはファーティマによってかけられた手錠が重く残されていた。
「それ、外そうとしたの。でも鍵もないし、なかなか外れなくて。壊そうともしたのだけど、貴女が怪我する恐れもあったから、貴女が目覚めてからにしようって」
スイは手錠に目を落としたまま、口を閉ざした。自分が大聖堂に連れて行かれてからの時間が、夢か悪夢だった様にまざまざと思い出された。
「ずっと眠っていたから、また寝ろって言われてもなかなか寝付けないわよね。手錠したままだから寝返り打つのも大変かとは思うけれど、考えるのは明日にしなさいな」
ニーナはナースコールをベッド脇のサイドテーブルに残して退室していった。
スイは消灯された病室のベッドで横向きに寝ながら、自分を助ける為に活動してくれた要とマニに対する感謝の気持ちを噛みしめていた。
その時、静かに病室のドアが開き、廊下の光が射し込んできた。スイは眩しさに目を細めた。入り口にすらっとした人影が立つ。
「…アサナギ」
「美崎君?」
要は黙って病室に入り、ベッドの脇に立った。
「どうしたの?」
「これ、返さなきゃと思って」
そう言うと要は自分の手首に付けていた2つのスマートウォッチの内の1つを外した。スイが誘拐された時に失くしたと思っていた物だった。
「ずっと持っててくれたんだね。ありがとう」
「その腕の、辛くないのか?」
「これのこと?」
スイは両腕を持ち上げ、手錠を差し出してみせた。
「解錠する鍵が無くて、外せないみたい。明日、破壊してみるって」
それを聞いて要は無言のまま両手でスイの手錠を掴み、全部の指先に力を入れた。
「ちょっと…!」
ぐぅっ…と喉の奥から絞り出した様な声が要の口から溢れたが、手錠はびくともしなかった。
「アサナギ、手錠が外れる様子を強くイメージしてみるんだ」
「無理だよ!鍵もないし、誰も外せなかったのに…」
「いいから!」
スイはもう、と言って口を尖らせながら目を閉じた。スイが手錠をかけられたのは、軍の中で依然に捕らえられた時と、牢獄から出された時である。逆に手錠を外されたのは、牢獄に入った時だ。ファーティマは小さくてピンの様に細い鍵を手錠の横の穴に差し込んでいた。凹凸もない、ツルッとして尖っているピン。磁力か何かで内部を操作していたのだろうか。
すると、突然手錠の内側でカチリと云う音が鳴った。その音を聞くや否や、要が力を入れて手錠を左右に引っ張る。あんなにも頑強だった手錠は、いとも簡単に2つに割れた。
「え…?!」
スイは解放された両手首に視線を落とす。未だ今何が起きたのかが理解出来ていなかった。
「アサナギなら出来ると思ってた」
「…何で?」
「お前がアリッサの手引きなく、俺がいるラボにやって来た、という話を聞いたことがあったから」
「それが何で手錠を開けるのと関係するの?」
「俺がいたアリッサのラボは、外部からの他人の来訪を一切受け付けない。ネオ・ムセイオンが人間の持つ技術を結集して造り上げた最強の鍵とセキュリティで囲っていたから。だが、お前はあっさりとそれを乗り越えてやって来た。しかも無意識の内に」
「でも、行く先々で鍵なんてかかってなかったわ」
「かかってなかったんじゃない。鍵が無効化されたんだ」
「そんな事、出来る訳ないじゃない…!」
「真実は俺にも分からない。でも、ネオ・ムセイオンに来たばかりのお前はその能力を駆使する事が可能だった。それが何時しか、何かしらの原因によって使えなくなったんだと思う」
スイはそれを聞いて、牢獄の中で再会した、ルーディオと呼ばれる少年の言葉がフッと思い出された。
「…私はただの人間よ。ザラストロも教会にいた人達も皆、私を悪魔か魔女だと勘違いしてる」
要は何かを言おうとして口を開きかけたが、スイの今にも泣き出しそうな様子を見て、そのまま言葉を飲み下した。




