56章
朝日が照らし出す空を、要=テタルトはマニ=ペンプトと共に進んでいた。かつて彼らの下の地上を覆っていた森林は、酸性雨により荒廃し、ここ数十年の年月の大干魃により枯れた大地となって広がっていた。だが、先を進む彼らは、かつての地上の様子等知る由もない。
「もうそろそろ着くよ」
マニの言葉と共に、彼らの目の前にはかつてフランス第2の栄光を誇った都市の跡地の姿があった。水を失ったソーヌ川に囲まれる様にそびえ立つ丘と、その上に立つ古い巨大な教会の廃屋、その地下が彼らの目指すべき場所だった。
テタルトとペンブトは広い公園の跡地と思われる大地に着陸した。
「さて、この後はどうするの?」
マニの問いかけには答えず、要=テタルトはエアボードを外し、イカロスを背中から下ろすと、レーザーライフルを持ち、黙ってノートルダム大聖堂跡の建物に向かって進んで行った。
「ちょっと、待ちなって!」
マニ=ペンプトも慌てて装備一式を取り外し、テタルトの後を追いかけた。
廃屋と化しても尚静かに無人の街を見下ろすノートルダム大聖堂は、都市の何処からでも見える程の規模で、アバターの身長よりも高かった。要=テタルトはチラッと大聖堂を見上げると、そのまま入り口が半分崩壊しかけた正面から中へ入った。
建物内の広い空間の大聖堂、昔はどんなに美しかった事か、ただ今はその面影はだいぶ色褪せていた。だが、外からの光が僅かに差し込む事で、失われた荘厳さを上手く隠し、残った美しさだけを垣間見せていた。
テタルトの後を追って、ペンプトも中へ入ると、朝日が昇っているはずなのに外が急に暗くなった。
「ひょっとして、Éclipse(日食)…?」
マニ=ペンプトは初めて見る自然現象に、建物の入り口で足を止め、外の様子を伺った。一方で要=テタルトは大聖堂の奥の暗闇の中から、スイを背負って現れたアルビノの少年の姿を認めた。
「時間通りに来たね、要」
地上でもコロニー内と同じ様に立ち振る舞う少年に、要は疑問を持った。
「アサナギは生きているのか?」
「ああ。僕を中心とした半径1.5m内の空気は、翠ちゃんが耐えられる酸素濃度にしているから心配ないよ」
ふと少年はスイを背負ったまま後ろを振り返った。大聖堂の奥で建物の一部が崩落したのか、大きな音と砂埃が立ち上った。
「…面倒だな」
少年はスイを背負ったまま苦々しく呟いた。その視線の先には、憎悪に満ちた表情で、巨大な鎌の様にも見えるハルパーを手にして瓦礫の上に立つソウの姿があった。
「リョウちゃんは何処だ!」
「奏ちゃん。僕がそれを教えたとしても、彼女がその場にいるとは限らないよ?」
「うるさい!リョウちゃんを返せ!」
ソウはハルパーを振り回し、瓦礫の上から下へ羽根の様にふわりと降り立った。そしてそのままスイを背負った少年に切りかかった。だが少年は冷めた顔付きでソウを軽くあしらうかの様に攻撃を避けた。
「奏ちゃん、悪いんだけど僕は翠ちゃんをネオ・ムセイオンに連れて行かなきゃならないんでね。君の相手はしてられないんだ」
「黙れ黙れ黙れ!貴様のせいでリョウちゃんが苦しむんだ!」
要とマニは、テタルトとペンプト越しに、大聖堂の廃墟の中で繰り広げられている謎の少年同士の争いを黙って見守るしかなかった。二人は見た目の年齢こそ5~6歳近く差があったが、どちらも瞳が赤く、同じ様な顔付きをしている様にも見受けられた。ただ、アルビノの少年と違って、ソウと呼ばれている男の子は髪が黒かった。
「なあ、カナメ。あの人達は何で喧嘩してんの?」
「…さあな」
外から再び日光が射し込んできた。月の陰から太陽が出てきたらしい。マニ=ペンプトは後ろを振り返って外の様子を伺った。その時、マニの目を疑う光景があった。
「カナメ、デフテロのパートナーって此処にいるんだよな…?」
「そうだよ。お前何を言って…」
要はそう言いかけて、マニ=ペンプトの方を向き、その視線の先を見て、思わず言葉を失った。
巨大なタカアシガニの様なギガスの甲羅の脱け殻を盾の様に持ち、剣を持って此方に向かって飛行してくるデフテロの姿がそこにあった。
「奏ちゃん!だめー!!」
セイの言葉が戦う二人の少年達の頭の中で響く。
「お姉ちゃん?」
ソウが攻撃の手を止めた瞬間に、少年はそのままスイを背負って大聖堂の外へ飛び出した。
「聖ちゃん、久しぶり」
デフテロの姿を仰ぎ見ながら、アルビノの少年は微笑んだ。
「お姉ちゃん!邪魔するな!」
ソウはハルパーを構え直し、少年の後を追って大聖堂の外へ出ようとした。それと同時に、大聖堂の奥からまた砂埃がわき上がり、その床下から巨大なムカデの様な生き物が何匹も顔を出した。
「ギガスか?」
要=テタルトとマニ=ペンプトは思わずレーザーライフルを構えた。
「げぇっ、気持ち悪ーっ!」
ムカデは10匹程瓦礫の下から這い出て来た。ムカデ達はハルパーを持つソウを守る様に要=テタルトとマニ=ペンプトに向かって来る。10匹のムカデ達は長い胴体の途中から、ヒドラの様に1つの体に繋がっていた。
ソウはムカデ達に守られながら、自身も大聖堂の外へ出ようとした。その時、地下へ繋がる階段から、巨大な雄ライオンが咆哮と共に現れる。ザラストロと共にいたライオンだった。ライオンは状況を見るなり真っ先にソウに向かって襲いかかろうとした。
ソウは舌打ちをするとハルパーを下ろし、憎々し気に外に立つデフテロの盾、タカアシガニの甲羅の裏に隠れたアルビノの少年とスイの方を睨み付け、そして煙の様に姿を眩ました。
ソウが去ったのを見ると、ムカデ達は一斉に地下の奥へ潜って行った。マニ=ペンプトが逃げていくムカデの胴体にレーザーライフルの照準を当てかけたが、要の制止でそっとライフルを下ろした。ライオンは不服そうに喉の奥をゴロゴロ言わせながら、静かに地下階段の方へ戻って行った。
再び静寂が戻った大聖堂の中から、要=テタルトとマニ=ペンプトは外に出た。其処には立て膝をつく形で剣を構え、カニの甲羅でスイと少年を守る姿勢のデフテロがいた。
「助かったよ、聖ちゃん。此処迄来てくれてありがとう」
少年は盾の後ろでデフテロに話しかける。
「…ヒカル様、ですね?」
セイの声がヒカルの頭の中へ直接響く。
「聖ちゃん、僕の今の名前はリョウちゃんから聞いたのかい?僕の事はヒカルでいいよ」
「奏が…まさかヒカル様を攻撃してくるなんて…翠も一緒にいたというのに…本当にごめんなさい…」
「聖ちゃんは悪くない。奏ちゃんが僕を憎むのは、僕と奏ちゃんの存在そのものが相反する者同士だからだ。人間達は僕と奏ちゃんを一緒くたにして議論したがる様だけど」
「でも…」
「聖ちゃん。奏ちゃんは自ら第二次的絆を求めて自分の道を進んで行ってしまった。それがリョウちゃんの望んでいない方向だったとしても、君達姉妹が代わりに謝罪したり犠牲になったりする必要はないんだよ」
「ありがとうございます…」
「聖ちゃんは色々知っていて、本当にとても素晴らしいけれど、固定観念に縛られ過ぎだな!僕はもう朝凪馨じゃないんだから」
ヒカルと呼ばれたアルビノの少年は盾に触れた。
「この盾、中が空洞になってるみたいだな。この中に翠ちゃんに入ってて貰おうか」
スイはヒカルの背中から下ろされ、カニの甲羅の中に閉じ込められた。
「中をネオ・ムセイオンに着く迄なら翠ちゃん1人ならもつ位の空気で充たしておいた」
ヒカルは盾の後ろから出てきて、要=テタルトに向かって言った。
「要。聖ちゃんが持ってきてくれたこの盾を早い所ネオ・ムセイオン迄運ぶんだ。ネオ・ムセイオンに着いたら翠ちゃんも中で目を覚ます」
「途中でギガスに襲われやしないか?」
「心配するな。僕は同行出来ないが、数十分見張ってる位は可能だから」
セイ=デフテロからスイの入ったカニの甲羅を差し出され、要=テタルトは後ろを向き、マニ=ペンプトに持つよう頼んだ。何で、と尋ねたマニに、
「あの複雑な地形での着陸に自信がないから」
「カナメ、君は変な所で臆病になるなー」
そう言って笑いながらマニ=ペンプトはデフテロからカニの甲羅を受け取った。
突然要の頭の中にセイの声が響いた。
「…美崎君。翠の事、お願いね」
「アサナギ・セイ!」
要が何かを言おうとした瞬間には、デフテロは剣を持ち、北の方角に向かって飛び立っていた。そして要とマニがデフテロに気を取られている間に、ヒカル、アルビノの少年もまた姿を消していた。
「デフテロは何のために此処に表れたんだろ…」
マニの呟きに、要はただ「戻ろう」とだけ答え、イカロスとエアボードを置いた場所に急いだ。
深夜のチーム6のラボで、ユリアはデスクに突っ伏していた。朝にスイが平和維持軍の本部で誘拐されたと聞かされ、丸1日ずっと彼女なりに出来る事をやっていた。インターポールやアムネスティにも相談をしたが、平和維持軍内での事だと伝えると、誰もが言葉を濁らせた。午後になって要が直接自分に連絡をしてきて、ユリアは事態は想像以上に深刻なのだと憂いつつも、チーム4へコンタクトを取った。自分の行動が正しかったのか、夜になってもずっと彼女の中で悶々とし続け、気が付けばこんな時間になっていた。
その時、モニターから着信音が鳴る。ユリアは重い頭を持ち上げ、応対した。
「ユリア?こちらイネスよ!」
「…何でしょう?」
「良い知らせよ。テタルトとペンプトがデフテロのパートナーを連れて帰って来たの」
「何ですって!!」
ユリアは驚きの余り勢い良く立ち上がり、その衝撃でデスクの上の書類やメモやペン等がバラバラと床に落ちた。




