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55章

フルヴィエールの大聖堂の、ごく限られた者しか入れない地下聖堂の中に、何処からかパイプオルガンの音色が響き渡った。スイは曲名を知らなかったが、バッハのパッサカリアとフーガ、ハ短調BWV582であった。室内にはそれらしき楽器は見当たらなかったが、別室の演奏が聞こえて来ているのだろう。独特の物々しい響きに、スイは後ろめたさにも似た威圧感を覚えた。

その時、スイの背後から鳥の羽ばたきが聞こえた。パイプオルガンの調べに乗り、風を切って現れたのは、3羽の黒い鳩であった。鳩達は室内を飛び回り、その様子を見たザラストロとライオン、そして3人のセロイ達は一斉にその場にひれ伏した。スイだけが何も分からず立ち尽くしたまま、鳩達の動向を見守った。

黒い鳩達はステンドグラスの前迄やって来ると、その姿は3人の巫女に変身した。顔の見た目はそれぞれ老女と中年の女と若い女であり、3人とも黒いストラ(古代ギリシア・ローマで用いられたチュニック風の衣類)を着て、黒いパルラ(同じくローマ時代に女性がベールの様に着用した1枚布の羽織物)で頭を覆っていた。それは彼女達の背後の聖壇上に飾られている、大理石製の聖母マリア像と同じ服装の様にも見受けられた。

「ザラストロ。始めるがよい」

黒ずくめの老女が口を開いた。その声はとても不気味で、烏が鳴く声にも似ていたが、酷く耳障りな響きだった。

「プロメネイア、仰せのままに」

ザラストロは起き上がるとスイの方を向き、良く通るバスの声で問い掛け始めた。

「アサナギ・スイ、汝は昨晩ルーディオから何を言われた?」

「ルーディオとは、あの男の子の事ですか?」

「そうだ」

「彼は、私にどうして力を使わないのかと尋ねました」

「汝はどのような力を持っているのか?」

「私には何の事なのか、全く分かりません」

「他にも何か言われたのか?」

「私がドドナに連れて来られる事は分かっていた、とも言っていました。本当はその前に助け出したかったと」

「だが、その野望は打ち砕かれた事を、今汝が此処にいる事で証明されておる」

「彼は誰なのですか?」

「奴は偉大なる我等が主の平和な御世を覆し、自らをこの世の支配者たらんとする者。だが、奴が何度我々に歯向かい、謀叛を起こそうとも、全て主の御力によりその脅威は退けられた」

「だけど、彼はそんなに悪い子には見えなかったわ」

「奴の本質は邪悪でしかない。奴の父親の様に、我等が主の前に大人しく回心すれば、我々も受け入れてやったものを」

「ザラストロ。もうよい。先へ進めよ」

今度は黒ずくめの中年の女が口を挟んだ。彼女の声もまた、烏の鳴く声の様に酷く耳障りだった。

「改めて汝に尋ねる。汝は旧ウェソンティオの地で起きた事は、何処で予見したのだ?」

「平和維持軍の潜水式空母、ヴィクトリア号から出発する直前の、格納庫の中で、デフテロの最終チェックをしていた時です」

「それまではどのような未来を見ていた?」

「私が時々見る未来はとても不安定なものです。アバターで同調している時、見たい未来の事を強く思えば、直後に起こる未来をちょっとだけ見る事は出来ます。ただ、それは残念ながら様々な要素が違う流れに進んで、そうならない事もあります。ですが、今回の様な、数時間以上後の事は、私の意思とは関係なく、急に頭の中に浮かび上がってきます。そして、その場合はどんな道筋を経たとしても、浮かんだ通りの結果が起こります」

「つまり、旧ウェソンティオで起きた事は覆せない事であったと」

「はい」

「汝はかの地に降り立った時、自らの剣をパラスに貸したと言っていたな?」

「はい」

「自らの剣なら、パラスの核を打ち砕けると知っていたのか?」

「デフテロが使用している剣は、元々は最初に現れたギガスが持っていたものです。実際に戦いの場で使用する未来も度々見ていましたし、所持していたお陰で防戦に使う事ができました。また、ペンプトが所持していた剣、それはデフテロが持つ物と似せて造られていましたが、ギガスに対しては何の力を発揮しないで砕け散る未来も見えていました。なので、現地に着いた時、私の剣を彼女に渡せば、彼女はその通りの事をやり遂げると確信していました」

「汝等がもたらしたその剣は何なのか、汝は知っているのか?」

「いいえ。ただ、この剣は人間には作れない物の様です」

「それは誰から聞いた?」

「私の兄からです」

スイの答えを聞いてセロイ達がざわめいた。

「汝は、汝の兄とは何処で会ったのか?」

「北極圏の何処かです。兄はヒューペルボリア、と言っていました」

スイの発言を受け、そんな馬鹿な、とセロイ達は動揺し、それぞれライオンと共にスイを凝視するザラストロの方や、同じく無表情で立つ黒衣の3人のペレイアデスの方に視線を投げ掛けた。

「汝はどのようにしてその地にたどり着いた?そこで何を見聞きした?」

「ヨーロッパ大陸に向かって大西洋横断していた時、遭遇したギガスとの戦いで、私のカプセルが乗っていた飛行機は北極の海に墜落しました。私はデフテロの手で直接カプセルを回収するべく同調しましたが、冷たい海の中で気を失いました。その後、気がつくとデフテロとカプセル、共にヒューペルボリア迄運ばれていました。そこでは兄と会って話をして、間もなくしてテタルトが私達を救出しに来ました。それだけです」

スイが言い終わると、聖堂の中は一瞬静まり返った。パイプオルガンの演奏も一時止んだ。スイは黙ってザラストロと3人のペレイアデスを見、ゆっくりと瞬きをした。

「汝は兄と何を話し、何を聞かされたのか?」

ザラストロは冷静さを保ったまま質問を続けた。

「兄から聞いたのは、デフテロと飛行機が海に墜落した時、セイ、私の亡き姉が助けを呼んでくれたお陰で助かったと言うことと、私は自分の家族からとても愛されていて、家族にずっと守られていたと言うことです」

「汝はヒューペルボリアへの道のりを我々に指し示す事は出来るのか?」

「あった、と思われる辺りへ行く事は可能ですが、其処にたどり着けるかどうかは不明です。私達もテタルトも兄の仲介がなければ行かれませんでした」

「ヒューペルボリアは人を受け付けぬ地である事を知っていたのか?」

「そう兄も言っていました」

「汝のもたらした剣は、その地の物であるのか?」

「そうとは言っていませんでした。ただ、私達がギガスと戦い続けるのであれば、キュクロプスを訪ねる様にとの事でした。其処に行けば、剣について何か分かるかもしれません」

「…キュクロプス、だと」

スイの答えを受け、黙っていた一番年少のペレイアデスが口を開いた。他の2人よりも若干高音の声ではあったが、それでもやはり烏の様に耳障りな声であった。

「キュクロプスは、何処にいるのか?」

年少のペレイアデスの様子を伺いつつも、ザラストロは更に質問をした。

「私はその場所を直接は知りません。セイなら知っていそうでした」

聖堂内は再び沈黙した。スイは包み隠さず答えたつもりだったが、その答えが自分をどの道へ向かわせる事になるのか、全く検討も付かなかった。そこへ年長のペレイアデスが口を開く。

「ザラストロ。娘の言葉は真実ではあるだろう。ただ、此処で聞いた内容は外部に漏らすな。母親の言葉と同様にな」

「かしこまりました」

「待て、プロメネイア」

口を挟んだのは年中のペレイアデスだった。

「昨晩の事件をお忘れか。既に此処は聖域としての威力を失っている。言葉は何処から流れ出てもおかしくない」

「ティマレテよ、案ずる事はない。たとえ娘の言葉が外へ漏れたとしても、俗世間の人間どもは嘘偽りと受け取るだけだ」

それを聞いて年少のペレイアデスが突然声を荒らげた。

「プロメネイア、ティマレテ、娘の言葉を封じるだけではそもそもの予言を無効にする事は出来ぬ」

「では、どうするべきだと言うのか?ニカドラ」

「こうするのだ」

突如としてニカドラと呼ばれた年少のペレイアデスは、聖壇上に置かれていた瓶の様なものと火の点いた燭台を手に取り、スイの前に立った。そしておもむろに瓶の中身をスイの頭にふりかけると、スイの着ていた服に燭台の炎で火を着けた。

「イヤーッ!!」

ニカドラがスイに撒いたのは香油だった。香油が燃える時の独特の香りを漂わせながら、スイの体は炎に包まれた。

「汝は偉大なる主、ザースのもの。主の元へお帰り頂くのが良かろう」

スイは声にならない叫びを上げながら、燃えている炎を消そうと床を転げ回った。ザラストロとライオンも、皆黙って自分の様子をただ見ているだけなのが、無性に悲しくて腹が立った。

熱さと痛みを通り越したのか、スイは全身を薄荷水に浸された様な清涼感を身体中に覚えた。その時、眼前の聖壇の後ろのステンドグラスが一斉に砕け散った。

「ルーディオか?!」

狼狽するザラストロの呟きと共に、聖堂内の照明が一気に消え、暗闇がその場を支配した。

「君達はやってはならない事をしてしまったね。不動の(テミス)を貶める事は、ゼウスですら許されない行為だと分かってるはずだろう?」

スイの目には映らなかったが、ステンドグラスが割れた聖壇の上に、誰かがやって来て降り立った様だ。

「まさか、お前は…!!」

暗闇の中、何も見えず、床の上で強い重力の様なものに押し潰されそうな感覚に抗いながら、ニカドラは声の主の方を見ようとした。

声の主は聖壇の上から降りると、床の上に倒れ伏したペレイアデスやザラストロの身体を踏まない様に歩みを進め、同じく床の上に倒れて動けないスイの前にしゃがみこんだ。スイの全身はあれだけの炎に包まれたにも関わらず、無傷だった。

(スイ)ちゃんは返してもらう。それがリョウちゃんの望みだからね」

スイは朦朧としながら、声の主の背中に背負われるのを感じた。

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