48章
空から急にやって来た2体のアバターの姿に、マニは最初何が起きたのかをはっきりと認識が出来なかった。そんな戸惑うマニ=ペンプトの隣に、スイ=デフテロが屈む様にして肩を貸す。
「遅くなってごめんなさい」
「君達は…?」
「貴方、立てる?」
スイ=デフテロはマニ=ペンプトの左脇下から背中へ片手を回し、半分支える様にして立ち上がらせた。その間要=テタルトはレーザーライフルを連射し、それが効かないと分かるとそのままライフルの銃身でオリーブ色のジェル状の固まりを振り払った。
「アサナギ、これ、レーザーが効かない様だ」
「そうみたいだね」
スイはそのままペンプトを支えているのとは逆の手で身に付けていた長剣を鞘から抜くと、ペンブトの手に握らせた。
「この剣は特別だから、信じて」
戸惑いながらマニ=ペンプトは両手でデフテロから渡された剣の束を握り締める。それを確かめると、デフテロは離れてペンプトの背後に回り、後ろからそっとペンプトの両肩に両手を置いた。
「大丈夫、私達には分かっているわ。貴方達が本当の自分を受け入れた時、勝利を掴む事が出来るってね」
「…え?」
ペンプトは思わず後ろを振り返る。
「前を見て。今度は何に見えてる?」
スイの言葉に支えられる様に、マニ=ペンプトは正面のジェル状の人の形をした物を改めて凝視した。ぬるぬると頭部が歪み、マニが良く知る人物の顔を形成した。
「…僕だ!」
マニが最も嫌いな人、女の子の顔をした自分。全ての元凶はこの顔、この肉体その物だと思い込み、それを信じて疑わなかったマニには、確かにそれは世の中で最も忌まわしい存在に違いなかった。特に目の前の顔は、マニが人生で一番屈辱的だと感じさせられた瞬間、初潮を迎えたと分かった時の自分自身の顔だった。
「ぁぁあっっ!!!!」
マニ=ペンプトは力一杯上から剣を振り下ろす。グシャッとオリーブ色のジェル状の固まりが崩壊し、四方に水しぶきの様に飛び散った。今度は下から再び盛り上がっては来なかった。代わりに中から真っ赤な人形の様なものが現れた。マニ=ペンプトは無言のまま歩み寄り、片手でその人形を拾い上げた。やはりそれもマニの顔をしていたが、人形なのに何故か涙を流していた。
「…そうか。僕はずっと僕自身と戦っていたんだな」
マニは独り言を呟く様に人形に話しかけていた。ずっと見て見ぬふりをしていた自分の表面。本当の自分自身を実現する為の犠牲になっていた部分。
「全部お前のせいだと思ってたけど、そうじゃなかったんだね。今までごめんな」
マニ=ペンプトは再び大地の上に人形を寝かせると、剣を取り、深呼吸をした。
「僕はお前と決別する。でもお前はずっと僕の中に居続けるんだ。僕が死ぬまでずっと」
ヒュッと乾いた静かな音を立てて、剣は大地に向かって一直線に振り下ろされた。切れ味の悪い包丁が熟れたトマトを切らずに潰してしまうかの様に、人形はいとも簡単にその形を失った。その残骸が実にまたマニには、不快な固まったどす黒い赤い色の経血を連想させた。
「ありがとう。君達」
マニ=ペンプトは剣を振って、刀身に付着した赤い残骸を払った。
「これ、取れないんだけど…ごめんなさい」
「いいよ、後でネオ・ムセイオンの方でサンプル採取したら洗浄してもらうから」
3体は辺りを見回した。タカアシガニの出現により崩れて原型を留めていない丘陵。ペンプトとタカアシガニが奮闘した時に破壊された、かつてこの都市を構成していた古の防衛施設や城壁の瓦礫。至るところに飛び散り、地中に染み込んだオリーブ色のジェルの痕。その爆心地となった所は人形の痕で地面が赤黒く染まっていた。その中で唯一残された、ギガスの脱皮の殻の跡は、日の光に照らされアメジスト色の光を放ち、この場には似つかわしくない異様な存在感を示していた。
「あの殻、何かに使えないかな?」
「そうだね。甲羅とかプロテクターになりそう」
「君達、もし余裕があれば脚1本持って帰ったらいいよ」
「そりゃどうも。こいつは大人達へのいいお土産になるね」
穏やかな会話を繰り広げる中、ふとデフテロが空を見上げる。その先には飛行機が2機と無人ステルス機が4機、此方に向かって来ようとしていた。
「これから私達は軍の本部に行くけど、美崎君のメンテナンスの事もあるから明日ヨーロッパ支部に伺う予定よ。その時改めて会いましょう」
スイの言葉にマニは待ってる、と答えた。3体はそれぞれのエアボードを装着すると、2体は軍本部に繋がるゲートを、1体は仲間達の待つアルプス山脈の麓を目指し出発した。
ペンプトがヨーロッパ支部への帰路に着いた頃、中東の地下コロニーでは1時間程先にその日の夕刻を迎えようとしていた。有史以来、3つの宗教に置いて重要な聖地とされ、長年に渡り支配権を巡って争いが何度も繰り返されてきたエルサレムは、22世紀初頭にアブラハムの宗教団によって統治される事となり、その地下には世界最大級のシナゴーグ兼聖堂兼モスクが建造され、かつてのヴァチカンと同様に独立と不可侵が世界連合によって約束されていた。
「ザラストロ!ザラストロ!」
エルサレム地下の大聖堂の奥にある、司祭やイマームさえも立ち入る事が禁じられている部屋で、不気味な鳥の囀りを思わせる声が響き渡った。暗闇の中で輝く数本の蝋燭の灯火が揺らぐ。声に応じて、暗闇の中で姿の見えない何者かが動く気配を見せた。
「パラスの記憶の破壊がガイアとウラノスの娘達の手で打ち砕かれた!」
何者かはそれを聞き、驚いたのか微かに衣擦れの音を立てた。声は構わずに続く。
「ザラストロ!直ちに行動せよ!予言を現実のものにしてはならぬ!」
そう告げると複数の鳥が羽ばたく音がし、再び蝋燭の火が一斉に震えそして消えた。真っ暗な部屋の中で沈黙の後、低いバスの声が響いた。
「全てのセロイに伝えよ。黒鳩より我等にとって非常に重要な使命を承ったと」
遠く離れた地下の聖堂での動きの事等は露知らず、スイは平和維持軍の本部内の格納庫へ静かに運ばれていくデフテロを見送っていた。彼女の目に涙は浮かばなかった。何故なら、ヒューペルボリアで兄シンと邂逅した事で、絶望的だった未来が大きく変化したのが分かったからだった。
「セイ、必ずまた迎えに行くわ」
心の声でセイに告げると、スイの後ろから要が近寄った。
「アサナギ」
「分かってるわ。今行くー」
スイは踵を返し、要と共にその場を後にした。




