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47章

「アンドレ、ペンプトが地上に出てまだ2日目だって言うのに、どうして?」

イネスはデスクから振り返り、モニターに注視しながら右手で顎髭に触れつつ真剣な眼差しで立つアンドレの 顔を見た。

「分からない。ただ、アメリカ支部からの緊急連絡だそうだ」

「そんな無茶苦茶な!」

「だが、デフテロは誕生と共にギガスの襲来を察知して、その日の内に地上を出て、現れたギガスをそのまま打ち倒している」

「そう言えば、デフテロとテタルトは今アメリカ大陸からヨーロッパ大陸に向かっている途中なんじゃなくて?」

「さっき彼らの位置情報を見てみたが、まだアイスランド島近辺だ。平和維持軍本部に着くまでまだ4~5時間はかかるだろう」

「それよりも急を要するって事…?」

「だろうな…」

議論する大人達をよそに、マニの明るい声がモニターから響いた。

「いいよ。行って来るよ」

「いいのか?危険な目に遭うかもしれないんだぞ?」

「望むところさ。光の武士道に生きる者は、宇宙の平和と正義の為に戦うのがモットーだもん」

アンドレは苦笑した。また「アストロマキア」か。

「分かった。エレベーターで今からそっちにイカロスと護身用道具一式を送る。お前の実力を見せてみろ」

「はい、師匠!」

マニ=ペンプトは程無くして到着したイカロスを背負う。もっと軽くて小回りが効く物を想像していたが、実際は背中にずっしりとのし掛かる感触がした。それに加え、折り畳み式の防護盾や、別部分のバッテリーと有線で繋がっているレーザーライフルは、マニが想像していた物よりシンプルでスマートじゃないなと感じた。

「でも、ま、やるっきゃないな」

マニ=ペンプトは装備を一通り持つと、イカロスを起動した。かつての飛行場跡地の平らな場所まで行き、マニュアルで見て覚えたままにエアボードで助走する。ところが、いくら進んでも身体が浮かび上がる気配がない。

「…何でだ?」

アルプスからの風が強いのか、なかなか離陸せずに滑走してしまう試行錯誤が何度か続いた。

「マニ、山風が吹くのと逆方向から滑走してみれば?」

ボビーが助け船を出してやる。

「わかった!」

向かい風で滑走するのは、ペンプトが身に付けている様々な装備が空気抵抗を受けて、マニには一層重く感じられた。くうぅっと歯を食いしばり、僅かに身体が持ち上がったと感じた瞬間、背中から空気が大量に流れて、そのままどんどん自分の視線が高くなって行くのが分かった。

「やったぜっ!」


一方、平和維持軍本部では、北大西洋を進む空母ヴィクトリア号から送られてきた報告に対し、それを聞いたほとんどの者が耳を疑っていた。だが、突如として起こった地響きと地震と、それらに加えて、地上の丘陵の中からまるで蜥蜴か亀が卵から孵化するが如く姿を現した、巨大な紫色のタカアシガニの様な謎の生物についての緊急速報に接した時、全てを何も言わずにただただ受け入れ、そんな現実を目の当たりにした自分を肯定する他なかった。そして、想像すらしていなかった非常事態に直面した場合、自らの信仰にすがり何者かからの助けを待つ者と、助けを待たずに今自分に何が出来て何をするべきかを判断し行動する者、そのどちらかに二分される。たとえ人類が誇る平和維持軍とは言えど、アメリカ大陸で起きていたことが実際にユーラシア大陸でも起こったとなると、何もかも後手に回るばかりだった。

巨大なタカアシガニは、軍による地上や空中からの砲撃を物ともせず、ゆっくりと北北西に向かって前進した。ミサイルが飛んできても、長い鋏状の前肢で払い落としてしまう。日光が巨大な甲羅に当たると、宝石の様に光を乱反射させ、その光が地上にぶつかるとその部分が大きく爆ぜ、辺りに土砂を撒き散らしながら深く抉られた。

その地獄の様な光景を戦車、或いは戦闘機から目撃した者は、階級も立場もキャリアも関係なく絶望し、遺される家族や愛する者の行く末を想いながら、自らの死を覚悟した。その時だった。

太陽の方向から、黒い巨大な鳥らしき物がタカアシガニに向かって飛んできた。イカロスで飛行するマニ=ペンプトだった。黒い盾で甲羅からの光の反射を防ぎながら剣を抜く。タカアシガニも空からやって来た存在に気付いたのか、ペンプトがいる方へ向きを転換した。

「平和維持軍の皆さん、待たせたな!」

マニ=ペンプトはイカロスで巧みに飛び回りながら、タカアシガニの前肢に剣を叩き付けた。固い金属音が鳴り響いたが、びくともしない。

「おー、さすがに簡単には切れないみたいだな」

マニ=ペンプトはタカアシガニから距離を置いて地上に降り立った。イカロスを下ろし、エアボードを外すと、さっと剣を構え直した。

「さあ来い!カルキノス!!」

ペンプトに向かって突進するタカアシガニから逃げようとはせず、マニ=ペンプトはそのまま盾で鋏による攻撃を受け止めた。その衝撃で砂埃がもうもうと舞い上がる。盾の陰に隠れながら、マニ=ペンプトは剣先を胴体と脚の付け根に突き刺した。高い金属音が鳴り渡るが、固い殻が砕ける気配は全くない。

「前からの攻撃は無駄か…」

再び振り下ろされた前肢を交わすと、マニ=ペンプトは後ろ向きに跳躍した。そのまま背後の丘陵の斜面に着地すると、その勢いで更に高く空に飛び上がった。タカアシガニが空中を見上げると、真上からペンプトが降下してくる所だった。あっという間に甲羅の上に着地したペンプトは、脚を1本でも叩き伐ろうと刃を突き付けた。だが、言葉通り歯が立たず、鈍い音を立てて2つに折れてしまった。

「何だこれ、不良品だな」

マニは口を尖らせると、そのままレーザーライフルを構え、足元のカニに何発か発射した。甲羅は光をそのまま反射したが、脚の付け根なら行けるかもしれない。マニ=ペンプトは盾を持つ片手で脚を1本掴むと、その付け根にライフルの発射口を直接当て、ボタンを押した。ジュッと言う音がすると、タカアシガニは前屈みになるかの様に、甲羅の尻部を大きく上げた。

「およっ」

甲羅の上に立ち続けるのが難しくなり、ペンプトはライフルで打つのを止め、跳躍して再びタカアシガニから距離を置いた。

「何が始まるんだ?」

マニ=ペンプトは盾をタカアシガニに向けたまま、様子を伺った。タカアシガニはそのまま脱皮をし始め、中からオリーブ色のぬるりとした表面の人の形をした物が現れた。

「うっわ…気持ち悪…」

人型の物は殻から離れると、そのままゆるゆるとペンプトの方へ向かって進んで来た。マニ=ペンプトはライフルを構え、近付いて来る中身に向かって何発か発射した。すると、レーザーの光はそのままオリーブ色の表面に当たると、何も無かったかの様に光を吸収してしまった。

「腹立つな!」

マニ=ペンプトは再度ライフルを構えようとして、ふとある事に気が付いた。色はオリーブ色をしてはいるものの、マニがよく知る人物とそっくりな顔をしていた。

「…カトリーヌ叔母さん?」

マニは脳裏に叔母カトリーヌの思い出が甦った。顔を見る度に「女の子なのにみっともない」「お転婆にも程がある」と、嫌味を言われて来た為、会うといつも嫌な気分にさせられる存在だった。

「ちょっと、近付いて来んなよ!」

マニ=ペンプトは盾を振り回し、オリーブ色のカトリーヌ叔母の顔をした人型を薙ぎ払った。それは呆気なくゼリーが落下するかの様にベチャッと崩壊した。だが、飛び散ったジェル状の固まりは上の部分だけで、残った下の部分がどんどん上へ持ち上がると、再び人を形作った。そしてまた、その顔はまた別のマニの知る人物の顔をしていた。

「オリヴィア…」

今度はかつてマニが好きだと思っていた近所に住む幼なじみの少女の顔をしていた。オリヴィアはそれ迄普通に接していたのが、ある日突然「気持ち悪い」と言って拒絶された苦い思い出があった。

「止めろ!!」

再度マニ=ペンプトが盾を振り回すと、これも簡単に人の形が失われた。だが、またしても下からせり上がって来た固まりが、マニにとって忘れていたかった負の記憶に連結している相手の顔を形作って甦った。女の子の服装を強要したナニー、マニの言葉遣いを矯正しようと厳しく当たってきた教師、マニを仲間外れにしてきた同世代の子供達、偏見で噂を垂れ流してきた近所の人達…マニ=ペンプトがそれらの顔を打ち消そうとした分、マニの心は酷く深く傷付けられた。

「止めろ!!止めろってば!!」

ペンプトの様子をずっと見守っていた平和維持軍の軍人達とネオ・ムセイオンのスタッフ達には、マニ=ペンプトがどうしてヒステリックにジェル状のタカアシガニの中身を壊し続けるのか、全く理解が出来なかった。彼らの目には中身の顔が卵の表面の様にのっぺりと平坦で何も無いものに見えていたからだった。

マニは同調を切断して逃げ出したかった。だが、オリーブ色をした中身がマニの兄の顔を模倣した時、思わずマニはカプセルの中で大声で叫び出し、そのままペンブトは力が抜けたかの様に膝をついていた。

マニは3歳年上のこの兄が昔から苦手だった。男の子として振る舞うマニを常に人ではないかの様に扱い、人が見ていない所でマニの身体中を傷付けた。そのくせ母の前では優等生であり続け、結果的にはマニを母親の愛から遠ざけさせた。マニの父親はマニが5歳の時に両親が離婚して以来、面会すら叶わない存在となっていた。

「…マニ?どうした?」

モニターからアンドレの声が響くが、マニの耳には聞こえていても、その心には届かなかった。

誰もが膝をついたペンブトの姿に戸惑いと不安を覚えた時、空から2つの影が地上に降り立った。それは北極圏から飛行してきたデフテロとテタルトだった。

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