46章
要は目を覚ますと、自身のカプセルの中ではなく、見知らぬ浴室のバスタブの中にいた。
「俺…何で…」
要にはヒューペルボリアでシンと会い、スイの入ったカプセルとデフテロを回収して離陸して、星とオーロラの下、夜間飛行している途中迄の記憶しかなかった。
「…あいつか」
シンには尋ねたい事が山ほどあったのに、結局何も聞けずに行っちまいやがった。要はバスタブの中の水に鼻まで浸かりながら、沸々と腹の底から湧き出して来る苛立ちを押さえようとした。
そこへ要のスマートウォッチが鳴る。渋々出ると、アメリカ支部にいるアリッサの声が浴室内に響いた。
「カナメ、14時間以上のアバターとの同調は、貴方の場合は命の危険が伴うって言ったはずだよね?」
「ごめんなさい」
「…でも、いいわ。デフテロとパートナーが無事なようだから」
「アリッサも、アサナギとデフテロの事を心配してたの?」
「そりゃあね。一応は彼女も現時点ではまだここに所属するメンバーなのだから。それよりも貴方が無事に帰って来てくれてホッとしたわ」
「…そう」
「カナメ、何かあったの?」
「いや、少し疲れただけ」
「貴方は他の人とは異なる分、とてもデリケートな身体なんだから、体調管理はしっかりしてもらわないと」
「わかってる」
「北極圏は融解後、まだまだ調査と研究が途中のエリアだから。気を抜かないで」
「わかってる」
要は通話を切った。要達がネオ・ムセイオンを出発してから4日が過ぎている。想定の範囲内だが、全身の乾燥の進み具合が加速している気がする。ヨーロッパ大陸に着く迄は気が抜けない筈なのにもうこの体たらくか、と、要は舌打ちしながらバスタブから出て身支度を整えた。
要が浴室から出て航空機の格納庫に繋がる通路を進むと、ジョシュアに会った。
「ああ、君か。その様子だとだいぶ回復した様だな」
「…はい」
「暴風雨の中で一時はどうなるかと思ったが、無事デフテロを回収してきてくれた君には感謝の気持ちしかない。改めて礼を言うよ」
「…どうも」
ジョシュアと共に控室に入ると、既にスイが準備を済ませて待機していた。
「美崎君。もう大丈夫なの?」
「…うん」
そっか、良かった、とスイは言葉少なに真面目な表情になった。
「この前は助けに来てくれて、本当にありがとうございました」
頭を下げたスイに、要はどこか面映ゆい違和感を覚えた。
「おお、サムライ・スタイルだ」
ジョシュアが半分面白がりながら二人の様子を横から見ていた。スイはぱっと頭を上げてジョシュアに質問する。
「ジョシュアさん、ローズマリーさんは?」
「もうじき此処に来るさ」
そう言うそばから控室の扉が開き、ローズマリーが入ってきた。ジョシュアがいるのに気がつき、さっと敬礼した。
「ご苦労。今日は日付変更線を超えて我々の軍本部に到着したい所だ。二人とも宜しく頼むよ」
「はい」
「はい」
ギガス(シンの云うポリュボテス)によって破壊されたデフテロのイカロスとエアボードは、平和維持軍の精鋭メカニック達の手で元の形を取り戻している様に見受けられた。スイがカプセルの中で体力を回復している間に、ネオ・ムセイオンから送られて来た設計図と、テタルトの使用している完成品を基に復元したらしい。
「我々の軍事力をもってすれば、これ位朝飯前だ」
そうローズマリーはスイに言った。
「しかし、この装置を設計したジャック・ルミエールと云う男は凄いな。この発想力と創造力は、各業界からオファーが凄かったんじゃないのか?」
「スカウトがあったかは知りませんが、ジャックさんは凄いですよ。普段は面白かった最新作のゲームの話か、e-スポーツの対戦の話ばっかりしてますけど」
スイはラボで会うジャックを始め、チーム6にいる皆の事を思い出した。ネオ・ムセイオンにいるスタッフや研究者達はそれぞれ何かしらに秀でている。そして分野や研究対象が異なるメンバー同士でチームを構成している事により、新たな発想の化学反応を起こしているのだとも。スイは皆がいるラボが恋しくなった。
定時を迎え、スイはデフテロの状態をチェックする。全体的に細かい傷が増えた様に見えた。それはギガス(ポリュボテス)との戦いでついた傷に違いなかった。スイは内心セイに申し訳ない事をしたなと思いながらチェックを終えた所で、ふと何かに気付いた素振りを見せたが、無言でその場を立ち去った。
「スイ、今日はどうだった?」
ローズマリーは飛行機の外で荷物の積み込みの最中だったが、此方にやって来るスイの姿を認めるや否や手を停めて呼び掛けた。
「今日は、ローズマリーさん達の軍の本部がある場所に向かうんですよね?」
「そうだよ」
「出来るだけ、その近辺の地上の警備を厚くしておく様に、現地にいる人達に伝えておいてください」
「今日は本部付近で襲撃されるんだな?」
「ええ。ただ、私達は間に合いません」
「間に合わない?」
「はい。ですが、ネオ・ムセイオンのヨーロッパ支部から新しいアバターが来ます。そのアバターによって守られます」
二人はそのまま飛行機の中へ乗り込んだ。スイはカプセルに入り、自身のセッティングしながらモニターで要に言う。
「美崎君。お願いなのだけど、君からグールド所長に、マーギュリス所長へ連絡する様伝えて貰えないかな?ヨーロッパ支部の新しいアバターを平和維持軍の本部に急いで送って貰いたいと」
「何故俺から?」
「それが一番手っ取り早くて効果的な方法だからよ」
スイはアメリカ支部の会議室で見た、マーギュリスのホログラム像との会話を思い出しながら、手を動かし続けた。
北極圏から約3850kmの距離を置き、ネオ・ムセイオンのヨーロッパ支部では、スイ達がいる平和維持軍の空母が浮かぶ場所からは約2時間の時差を先んじて1日が動いていた。
「おい、マニは何処に行った?」
チーム4のボビーは頭を掻きながら、ラボに入るなりコンピュータと奮闘中のシモーヌに尋ねた。
「さあ…トイレかロッカールームにいるんじゃない?」
ボビーには目もくれず、シモーヌはホログラムのモニター画面を凝視し続け、タイピングする手を早めた。
「むう…あいつ、またどっかに隠れやがって…」
「たぶんまたこっそり『アストロマキア』に没頭してるのよー」
「そうだな…ったく」
「そんなにカリカリして…何時もの事でしょう?」
「シモーヌ!そうやってマニを甘やかすなよ…」
シモーヌは眼鏡の裏で褐色の目を細めた。
「まあね、毎回遅刻されちゃ大人になってから色々大変かもねー」
「だろ?…もー参ったな…」
ボビーは苛立たしくバタバタしながらラボを飛びだした。そんなボビーと入れ違いに、イネスがペリエを飲みながらラボに入室する。
「ねえシモーヌ、ボビーどうしたの?」
「マニがまたどっか行っちゃったんだってー」
「あら、あの子ならさっきカプセルの裏にいたわよ?」
「そうなの?もうとっくに開始時間を過ぎてるって伝えてよ」
「貴女はそうやって人に押し付けてばっかりじゃなくて、たまには自分から動きなさいよ!って」
イネスはため息をつきながら、またペリエを一口飲んだ。
その頃、カプセルが設置してある部屋で、マニはくりくりとした丸い黒目を左右に動かしながら、電子書籍を読むのに没頭していた。そこへマニの背後からごつい腕が伸び、サッとタブレット端末を取り上げた。
「ちょっと!返せよ!」
マニはタブレットを取り上げた研究者、アンドレに精一杯反抗した。
「返せよ、じゃねぇよマニ。時計見てみろよ」
マニがスマートウォッチに目をやると、画面が真っ黒になっていた。
「スマートウォッチの充電、切れてました…」
「今日の開始予定時間をとっくに1時間過ぎてんだ。さっさと始めるぞ」
アンドレはマニがカプセルの中に渋々入ったのを見届けると、スマートウォッチでラボにいるメンバーに報告した。
マニが同調するペンプトは、スイ達がアメリカを出発した翌日に誕生したばかりだった。そしてヨーロッパ支部では初のペアリングという事もあり、それなりに関係各所内では注目を集めていた。だが、マニはあまり気にしてはおらず、大好きな『アストロマキア』の新シリーズの続きの方が彼女にとってはよっぽど重要事項であった。
「マニ、準備はいい?」
「いいよーとりあえず行きましょか!」
マニは『アストロマキア』の作中で主人公が戦場に向けて仲間達を鼓舞しながら出発する際の台詞を真似して口にした。
「ほんと、ふざけてるんだか、真剣なんだか…」
ラボに戻って来たボビーは、苦笑しながら画面を見守った。
「いいから早く行って来いよーっ」
同じくラボに戻ったアンドレも、モニター越しに真顔でマニに言い返す。
マニはアバターとの同調が決して嫌いな訳ではない。寧ろ自分が有名なアニメ作品に出て来る地球を宇宙の敵から守るヒーローのロボットになった感じがしてワクワクした。また、地下コロニーから地上エレベーターで外に出て目にする地上の光景は、さながら『アストロマキア』の中で敵の捕虜となったヒロインが仲間達に助けを求めて密かに放つペットのクリーチャーが降り立った惑星の景色と重なって映った。マニにとってアバターの体験は、全て彼女がこよなく愛するアニメ作品やSF作品というフィルターを通して積み重ねられていく、言うなればフィクション世界のリアル化でもあったのだ。
マニ=ペンプトは、スイ=デフテロや要=テタルトの動きに比べればやや遅いものの、それでもジェシカ=プロトと同じ位スムーズな動作をした。もっとも、マニはアメリカ支部で生まれ、活躍しているアバターの事は全く意識してはいなかったが。また、かつてこの地を象徴していた広大な山並や湖の跡地等は、彼女にとっては天然のエアボードの練習場だった。それがマニ=ペンプトのバランス感覚や運動能力の向上に大きく貢献した。マニはこれもまた『アストロマキア』の主人公と重ねて「騎士の修行」と密かに呼んで彼女なりに楽しんでいた。
「すっかり地上での活動も様になってきたな」
モニター画面を見て満足そうに頷いたアンドレのスマートウォッチが突然鳴る。
怪訝な面持ちでアンドレが出ると、相手はマーギュリス所長であった。
ラボにいた他のメンバー達は、アンドレが話す相手こそ分からないが、それでも受け応えの様子から、何やら緊迫したものを感じ取った。
アンドレはマーギュリスとの会話を終えると、マニに向かってモニター越しに静かに告げた。
「マニ、悪いが予定変更だ。このままイカロスの操作確認して、今からペンプトで平和維持軍本部まで行って貰うぞ」
「ええー?!」




