表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/96

44章

スイは目を覚ますと、また見知らぬ場所にいた。満潮になったら海の中に沈んでしまいそうな、青い海にぽつんと浮かぶ珊瑚礁の白い砂の島の中心に仰向けに横たわっており、穏やかな波の音だけが聞こえていた。

「此処は…?」

雲一つない快晴、果てしなく続く青い空と海を眺めながら、スイはぼんやりと自分は死んでしまったのだろうかと考えていた。

「セイ…」

自分があの時意識を失ったせいで、デフテロは冷たい海の底に沈んで行ってしまったのだろうか。美崎君やジョシュアさん、ローズマリーさん達は無事だろうか。スイの頭が冴えて来るにつれ、様々な不安が意識の底から止めどなく湧いて溢れ出てきた。

寄せては返す波の音に耳を傾けているうちに、スイは波の音に紛れて人の声が聞こえたような気がした。

「誰か、いるの…?」

勿論辺りには誰もいない。ただ白い砂の島が真っ青な空と海に挟まれて浮かんでいるだけであった。

スイは恐る恐る波打ち際ギリギリの所まで近付き、海の中を見下ろしてみた。砂浜は海底へ深く続いており、深くなればなるほど、エメラルドグリーンに煌めいた。

「きれい…」

海面に映った自分の顔を見ているうちに、海の底に二人の男女の姿が浮かび上がってきた。女は幼い赤ん坊を抱いてベッドに腰かけており、男は母子に寄り添っていた。二人は何か会話をしている様だった。スイが先程耳にしたのは彼らの声であった。

「あ、あの…!」

思い切ってスイは二人に呼び掛けてみたが、スイの声は全く彼らに届いていない様だった。スイは二人の会話にじっと耳を傾ける。

「…ご覧。この子はシンとセイの未来を受け継いで生まれてきてくれたんだ。この子は僕達に新たな調和をもたらしてくれる存在となるよ」

「…そうね。今度こそこの子を幸せに出来るかしら」

「…優しい君、心配ないよ。これから先はどんな事が起きようと、僕達家族皆でこの子を大切に守っていこうじゃないか」

「…ええ。ねえ、貴方。この子に名前をつけてあげて」

「…そうだな、この子の目の色と僕達をとりまくこの大海原の色の深い青い色に因んで翠って云うのはどう?」

「…スイ?」

「…そう、スイ。宝石のジェダイトの和名でもある、翡翠の翠。かつて昔、水が美しい所に生息していた、カワセミという青い鳥の雌を指す意味もある」

「…青い鳥。マダム・オーノワのお伽噺やメーテルリンクの童話にも出て来るあの?」

「…そうかもしれない、でもこの子は自分自身が幸福の青い鳥だ。だから自分だけではなく、僕達もそれ以外の人も幸せにしてくれる存在となるだろう」

スイは女の腕に抱かれている赤ん坊が自分自身である事を察した。涙が溢れそうになりながら、二人の男女、スイの両親の顔や姿をよく見ようと目を凝らしたが、大きな波がやって来て、父母の姿をかき消してしまった。

「父さん!母さん!」

波に足元を取られながら、スイは夢中になって海の中へ飛び込んだ。海に対する恐怖よりも、父母の像に対する思慕が勝ったのだ。

「待って!行かないで!!」

海水は美しい色とは裏腹に、氷の様を冷たかった。それでもスイは二人の姿が浮かんでいた辺りを手探りする。

「アッ!!」

大きな波がスイに覆い被さり、たちまち沖へ流されかけてしまった。海水で目が染みて、痛さに瞼を閉じてしまう。足もつかず、深い青い海に呑まれそうになりながら、全身が凍る様に動かなくなる。セイもまた、こんな苦しい思いをしたのだろうか。息が続かず、苦しくて思わず口を開きかけた時、海の中からチェロの調べがスイの耳に入って来た。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番の前奏曲であった。胸を掻き立てられるそのフレーズを聞いて、スイはパッと目を覚ました。するとそこは海の中ではなく、薄暗いアバターのカプセルの中であった。

スイは自分が夢を見ていたのだろうか、と疑問を抱きつつ、モニター通信機のスイッチを入れてみる。電気系統に問題はなさそうだったが、圏外なのか、通信は誰にも繋がらなかった。

耳をすますと、微かにチェロの演奏は続いていた。スイは非常用の酸素ボンベとマスクを装置し、ヘルメットをかぶると、カプセルの出入口のロックを解錠した。カプセル内に入り込んできた外の空気がひんやりと冷たく、着ていたスーツでは外気を通してしまい、全身に鳥肌が立った。スイはカプセルの中にしまってある避難用の毛布を取り出し、頭からかぶった。そして毛布にくるまったまま、カプセルの外へ足を踏み出した。

カプセルの正面には、荒涼とした大地が広がっており、疎らに雪が積もっていた。そして、その大地の上にデフテロが仰向けに横たわっていた。デフテロの左の掌をよく見ると、そこには一人の青年が腰掛け、黙々とチェロを演奏していた。

スイはどぎまぎしながら、あの、とヘルメット越しに声を発した。青年は演奏する手を止め、深い青い目を細めて優しく微笑んだ。

「セイが眠ったと思ったら、スイが起きたね。スイ、気分はどう?」

「貴方は何故、私達の名前を…?」

「だって僕は君達の兄だもの。それにスイと会うのは初めてじゃないし」

「兄…!?」

「そうだよ、スイ。でも仕方ないよ。君は幼かったし、それに記憶を失っていたおかげで色んな災いから免れられて、今の君があるんだから」

「色んな災い…?」

「そうさ。君が記憶を失う迄、僕達家族はユーラシア大陸の地下コロニーや海底コロニーを転々としていた。理由はいくつかあるけれど、一番の理由は僕達は家族全員がそれぞれ特別なダイモンを備えている事だ」

「ダイモン…悪魔?」

「ははは、デーモンを悪魔としたのは、一神教の信者達が古の神々や精霊達を自分達に都合の良い者と悪い者にふるい分けした結果だ。それにスイ、君がセイと同調している間、先の未来を見る事が出来るだろう?それも元々は君のダイモンが持つ能力に寄るものだよ」

「私のダイモン?」

「そう。スイは記憶を失う迄は、セイと同調しなくても未来を予知していた。実際に言葉を話す様になってから、様々な未来を言い当てていたそうだね。勿論、父さんと母さんの目が離れた時に、自分自身の記憶を失って遠くへ行ってしまう事も予言していた。でも、君が記憶を失う事で、父さんと母さんが最も案じていた、スイの能力を他人に悪用される事は防がれた」

「…待って!急にそんな事言われても私には理解出来ない!!」

スイは被っていた毛布ですっぽり自らの顔を覆い、うずくまった。

「それに、それに、貴方が私の兄さんなら、何で私の事を探し出してくれなかったの?」

「ごめんね、スイ。僕は今君の目に見える形をとっているけれど、普段は人として生活している訳じゃないんだ」

「人ではないの…?」

「うん。僕はダイモンと同化した存在で、それはセイも一緒だよ」

「でも…セイは、デフテロの中にいるんだと思ってたわ」

「そうだね。セイの場合は、流産した時の細胞が世界連合の医学研究所のサンプルとして冷凍保存されていたのが、アバターになって甦ったのが大きいね。だけど、セイのダイモンが持つ本来の能力は、万物の過去や記憶を司る事でもある。セイが君になかなか僕達家族の事を話さないのは、折角スイが記憶を失ってから後に手に入れた幸せな生活を、辛い過去を思い出す事で台無しにしたくないと云う優しさもあるんじゃないかな」

「そう言えばセイは…?」

「スイが起きる迄は、セイも起きてたんだけどね。僕のチェロが聞きたいってねだるから弾いてたんだけど、眠ってしまった様だよ」

スイは毛布の下でそっと手首のシレクティスに触れた。確かにまだ温もりがあった。セイが生きてると分かり、スイは安堵した。

「セイは海に落ちた時、真っ先に僕に助けを求めた。僕もオケアニデスやネレイデスに呼び掛けて、スイのカプセルを見つけ出してここ迄運んで来て貰ったんだ」

「オケアニデス、ネレイデス。皆、神話の中の存在でしょう?」

「科学的に存在を証明出来ないから、人間達はそう言うね。実際には海に生きる生き物達と共にあるのだけれど」

「そうだ、私のカプセルと一緒に、飛行機に乗ってたローズマリーさん達は?」

「脱出ポットで飛行機から避難した後、平和維持軍の潜水艦に収容された様だ。そうドーリスが教えてくれたよ」

「美崎君とテタルトは?」

「ポリュボテスを倒した後、暴走しかけたけど無事だよ。暫くすればここに来る」

「ところで、ここは何処なの…?」

「ヒューペルボリアだよ。ここは本来なら人が来れる場所ではないのだが、誰でもない、セイとスイの危機だから、皆、状況を受け入れてくれた。だけど、ここの環境は人間の君には身体的にあまり良くない。テタルトが着いてセイが目覚めたら、君の仲間達が待っている場所にお帰り」

「でも、私が戻ったら、ヨーロッパのコロニーにある平和維持軍の本部に行って、デフテロ、セイとお別れしなきゃいけなくなるわ」

「そうだね。そして君もネオ・ムセイオンを出るんだろう?」

「そうよ。でも、どうしてそれを…?」

「君達が美崎要と呼ぶ存在と、テタルトと呼ぶアバターの中にいるダイモンは、僕の眷属でもあるからね。要を通じてネオ・ムセイオンにいる君達の様子は前からずっと見守っていた。それが僕らの父さんからの頼みだったからね。時々要を通じて僕の伝言を君にも伝えようとしたんだけど、なかなか思うようにはならなかったけどさ」

スイは要と初めて会った時の事を思い出した。あれは要本人ではなく、兄の言葉だったのか。

「兄さん、私達の父さんてどんな人だったの?」

「うーん。父さんはちょっと不思議な雰囲気を漂わせてる人だったけど、母さんと僕達を心から大切に思ってくれてたよ。特にスイ、君の事は本当に可愛がってたもの…愛しのパミーナって」

「それ…セイも言ってたわ」

「スイ。たとえ君が僕達家族の記憶を失ってても、君の事は家族皆で見守っている。それだけは信じててくれ」

「分かったわ、兄さん」

海の方から吹く風が一層強くなった。日が沈み、気温が更に下がって、毛布だけでは寒さを凌ぐのが厳しくなってきた。空には星と共にオーロラが煌めき、スイはその光景に息を飲んだ。

「きれい…」

夜の暗がりが広がる海岸の方から、巨大な人影の様なものが飛行して来るのが見えた。それはデフテロとスイを迎えに来たテタルトの姿だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ