42章
スイが食堂でローズマリーと食事していた時、要は基地内の別室に用意された、並々と水を張った巨大なバスタブの中に身体を横たえていた。生きる事は兎に角乾燥する事との戦いだ。アリッサのラボのプールではない、簡易的な設備でもこの身体が持ちこたえられる様、要は細心の注意を払う必要があった。要は目を閉じた。すると静かな室内で、要のスマートウォッチが鳴り響いた。水の中から起き上がり、腕を伸ばしてスマートウォッチを手に取る。スイからだった。
「食堂に来てなかった様だけど、ちゃんとご飯は食べた方がいいよ?」
要は表情を変えず、無言のままスマートウォッチを元の場所に戻し、再び両目を閉じた。
翌朝、集合場所へ行くと案の定スイに心配された。
「美崎君、夕食も朝食も食堂に来なかった様だけど、身体もつの?」
「…俺、そんなに食糧摂取しなくても平気な造りだから」
「そうなの?」
「2、3日に1回食べれば十分だし、体を動かさない時は1週間に1度でもいいんだ」
スイは目をぱちくりさせていたが、そっか、とだけ言ってそのまま受け入れた様だった。要は自覚してはいなかったが、アリッサ以外の人間で、唯一スイに対しても要が素直になれたのは、要に人間と大きく異なる点があっても、スイが気味悪がらずに何でも受け入れてくれるからである。
「さあ君達、今日は大西洋を横断するよ!」
何時になくローズマリーが張り切っていた。スイも要も無表情で頷き、準備に取りかかる。いつもはチームのスタッフがやってくれるアバターのコンディションチェックも、ネオ・ムセイオンから電話越しに指示されるとはいえ、自分でやらなければならない。スイはデフテロの隅々を細かく見るのは初めてだった。
「何か恥ずかしいわね」
セイが話しかけてきた。
「仕方ないじゃない。今日は北極圏迄フライトするって云うし」
スイはスマートウォッチに送られてきた、数多くあるチェックリストを一つ一つ付けながら、デフテロの周囲を見て回った。スイはデフテロのヘルメットに触れた時、一瞬ハッとした顔付きになった。
「セイ、今日は危ないわ」
「スイ、未来が見えたのね?」
「うん」
スイは最後の項目迄チェックを入れると、カプセルを載せた航空機の元へ急いだ。
「ローズマリーさん!」
「どうした?デフテロのチェックは終わったのか?」
「今日の移動ルートを変更出来ませんか?もしくは出発時間を遅らせるとか」
「ルートを変える事は可能だが、その分君達の同調時間が長くなる。スイはそれに耐えられるのか?」
「今日、このまま予定通りに事を進めれば、私達は危険な目に遭います」
「ギガスが出るんだな?」
「…はい」
ローズマリーはスイの顔を見つめたまま、ポケットに手を突っ込み、何かを操作する仕草を見せた。どうやら頭に装着しているハンズフリーフォンを起動させたらしい。
「ベニントン少佐、シノダです。アサナギが今日予定通りに行けばギガスに襲われると」
スイにはジョシュアが何を言ったのかは聞きとれなかかったが、ローズマリーの顔付きで、自分の提言が通らなかった事を察した。
「このまま行くんですか?」
無言で顔を背けたローズマリーに、スイは思わず尋ねた。
「…ああ、ギガスの威力に我々の力で対抗出来るものとお考えの様だ」
「ローズマリーさん、万が一飛行機が危険な状況になった時は、私とデフテロの事は気にせずに安全な所へ逃げて下さい」
「しかし、スイ…」
「万が一の事が起きた場合は、デフテロで皆さんの脱出ポッドと私のいるカプセルを見つけだしますから」
スイはニッと笑った。ローズマリーには自分よりも年下のスイが心強いのを通り越して、末恐ろしいものに感じられた。
スイは昨日と同様にカプセルに入り、スタンバイする。定刻になり、飛行機は再び地上の滑走路へ移動を始めた。スイはかつてセイが言っていた、イリアスのカッサンドラの話を思い出していた。
「セイ、人って現実に起こった事じゃないと信じられないものなのかな?」
「そうね。科学的に証明出来ないものは全てファンタジーだそうだから」
スイはモニターから要にもコンタクトした。
「美崎君、今日はギガスとの対決は免れないわ」
「分かった。任せとけ」
スイや要のカプセルを載せた機体が次々と空に向けて飛び立った。モニターからアナウンスが流れ、スイは腹をくくって同調を始めた。
スイ=デフテロと要=テタルトはどんよりした厚い雲を突き抜け、先に飛び立った 2機の飛行機、4機のステルスの後を追う。スイの予見では、飛行開始から約2時間程でギガスと遭遇する。それまでに合流し、先発隊の安全を確保しなければ。スイ=デフテロは飛びながら腰のレーザーライフルの束を握りしめた。
暫くして先発隊と合流し、飛行するアバターと飛行機の前方に、雲ではない何かが浮かんでいるのが発見された。
「ついに出たな」
ジョシュアはコックピットの操縦士2名の後ろから腕組みしてギガスを睨み付けた。
「各機、戦闘態勢配置」
無人ステルスからミサイル機がギガスに向かって発射された。今回のギガスは大白鳥の翼と首と下半身、中性的な人間の身体、そして女の頭部を持ったハルピュイアの姿だった。ミサイル弾がギガスに接近し、あと数メートルの所に達すると、突然ギガスの女の顔が浄瑠璃人形のガブの様に口が裂け、目が大きく金色に光った。その瞬間にミサイル弾はギガスに被弾する前に自爆し、そのまま落下したのである。
「アサナギ、お前は航空機を守れ。このギガスは俺が何とかする」
そう言って要=テタルトは飛行速度を上げ、レーザーライフルを構えた。すると、ギガスは裂けた口から雲の様なものを吐き、巨大な翼を羽ばたかせた。たちまちギガスを中心に黒く渦巻く竜巻が出現する。
「ローズマリーさん、一旦高度を下げてデフテロとテタルトは残して先へ行って下さい!」
「スイ、無茶はするなよ!」
ローズマリーとスイのカプセルを載せた飛行機は竜巻を避ける様に大きく進行方向を変えた。スイ=デフテロは竜巻に巻き込まれない様に注意しながら、ギガスの上空を目指した。
「ジョシュアさんも、ここは危険です!進路を変更して安全な所へ移動して下さい!」
「ありがとう。だが、我々は軍人だ。出来る事はさせて貰う」
そう言うと再びステルス機に指示を送り、ミサイル弾をギガスに向かって発射させた。恐ろしい形相をしたギガスは再び目を光らせ、次々にミサイル弾を自爆させていく。
「ミサイルが効かないのなら」
要=テタルトはレーザーライフルでギガスに向かって狙撃した。だがギガスは首を大きく振り回し、裂けた口から再び出した黒い竜巻でレーザーの進路を妨げた。レーザーで雲を晴らそうとしても、次々に出てくる雲に覆われてしまう。
「接近戦しかないのか」
要=テタルトはレーザーライフルを発射しながらギガスに向かって直進した。だが、テタルトの動きを察したのか、ギガスも黒い雲を出し続けながら翼を羽ばたかせ、攻撃を避ける様な動きをした。
「セイ、どう戦えばいい?」
ギガスとテタルトからやや離れた上空より様子を見守っていたスイ・セイ=デフテロは、何とかギガスの弱点を見極めようと必死だった。
「テタルトに注意が向いている間に、背後から両翼の動きを抑えればいいわ」
スイ=デフテロは使いなれた長剣を抜いた。
「美崎君、そのままギガスの注意を引いてて!」
羽ばたくギガスの巨大な翼は、雲の様に白く美しかった。だが、スイ=デフテロは躊躇わず真上から剣で大きく薙ぎ払う。耳につく甲高い金切り声が響き渡ると共に、黒い雲の中に白い羽根が飛び散った。
「アサナギ!避けろ!」
スイ=デフテロは翼を傷つけられて暴れるギガスとの衝突を避け、再び上昇した。それと共に要=テタルトの放ったレーザー光線が何発か敵の翼を貫く。スイは一呼吸置いてからセイに尋ねた。
「ローズマリーさん達は?」
「高度を下げた雲の中よ」
下方を探すと、雲の切れ目から飛行機の機体がちらっと見えた。自身の身体が入ったカプセルも乗っている、何としてでも守らなくては。
「ジョシュアさん達は?」
「北北西へ50メートル先位の所にいるわ」
ステルス機によるミサイル弾を討ち尽くしても尚、ジョシュアと要のカプセルを乗せた飛行機がこの空の戦場にいるのは何故なのか。スイには軍人のプライドが全く理解出来なかった。
要=テタルトは先程の発射後、レーザーライフルのバッテリーが残量0になってしまったのを見ると、無表情でそのまま元の位置に戻した。そして雲の周りを旋回しながら、黒い雲の中に隠れてしまったギガスの様子を伺った。
「アサナギ、お前のバッテリーは後どれ位残ってる?」
「私はまだ使用してないからフルでいける」
「俺のはゼロだ。この雲の中へ直接体当たりして敵を外へ引きずり出す。アサナギはライフルか剣で止めを刺せ」
「待って。やみくもに突入しても相手の思うつぼよ。美崎君、距離を置いて上空迄来れる?」




