41章
スイはカプセル越しに伝わってくる小刻みな振動にただ身を任せながら、自身を乗せた飛行機がどの辺りにいるのかをモニター画面で確認した。
「そろそろ飛行機が軌道に乗るわ。スイ、要、同調を開始していいわよ」
モニターより聞こえてきたネオ・ムセイオンからの指示を受け、スイはシレクティスのスイッチを入れ、自身の鼓動に全集中を注いだ。その先には、ついさっき言葉を交わしたセイがいる。
「行くね、セイ」
スイの意識が空の上から地上のエレベーター内へ戻ってきた。デフテロの手で機内のボタンを押し、外の砂漠に広がる快晴の空をチラッと見上げる。その先に自分の身体がいる。
「風向き西、風速10」
スイ=デフテロはエアボードを装置し、イカロスを起動する。
「アサナギ、行くぞ」
「オーケー」
砂埃を上げ、風が吹く方向へ向かって2体のアバターのエアボードが揃って勢いよく滑走し始めた。背中越しに空気が流れて行く感覚がし、翼が広がって空中へ浮かび上がる。先程カプセルの中で味わった離陸の感覚より、アバターが自力で空へ飛び立つ時の感覚の方が、スイには何処となく心地の良いものに思われた。デフテロの目に映る空の景色、風の動き、雲の流れ。それらが全て組み合わせられて、最適なポジションで飛ぶことができる。あっという間にデフテロとテタルトは編隊を組む集団に追い付いた。
「デフテロ、第1部隊に合流しました」
「テタルト、第2部隊に合流しました」
「了解、そのまま各隊の指示に従って飛行を続けて」
万が一に備え、スイと要のカプセルは別々の飛行機に乗っている。そしてそれぞれの飛行機は無人ステルス2機を含めた3機とアバター1体で編隊を組み、近からず遠からずの位置で今日の目的地である、アメリカ大陸東海岸のコロニーを目指した。
「スイ、異変はない?」
「はい」
「了解」
スイには平和維持軍がギガスの襲撃をとても恐れ、怯えている様に見えた。無理もない。空中でギガスの攻撃を受けたら一溜まりもないだろう。だが、フィンガー・フォーの編隊飛行はやや目立ち過ぎる。わざと見つかりやすくしているのではないだろうか、とスイの中に一つの疑念が生まれた。
だが、1日目は結局何も起きず、かつて世界の中心でもあった、アメリカ大陸の東海岸エリアに到着した。パクスアメリカーナの中心地として繁栄を誇ったかつての大都市は、先の大戦で見る形もなく攻撃され、今となってはその地形すら変わってしまい、ただ自然の為すがまま、廃墟が広がっていた。
「驚いたか?スイ」
コロニーへ繋がる地上滑走路に降り立ったスイ=デフテロに、ローズマリーが話し掛けてきた。
「え?いえ…旧サンフランシスコも、旧LAも、似たような光景でしたし…」
スイはセイから送られたこの近辺に存在した大都市にまつわる沢山の過去の情報を、頭をフル回転させて吸収していた最中だったので、浮わついた声で返事した。
「これからコロニー内に入り、海底にある基地へと向かう。そこで明日の出発迄待機だ。ゆっくり疲れを取るといい」
「わかりました」
スイ=デフテロはエアボードに乗ったまま、夕陽に照らされた廃墟群を見つめる。かつてはこの地に多くの人々が世界中から集まり、政治も経済も文化も動かされていた。だが100年程前の第4次大戦で激戦区の1つとなった。その影響で、スイがいた西海岸側よりも大気汚染が酷く、また土壌も水質も人々が生活出来ないレベル迄低下した。悲しい過去にスイはただ黙祷する他なかった。
「アサナギ、何か見つけたのか?」
「ううん、何でもない。ただ、此処にいた人々の過去や歴史の重さについて、考えさせられていたの」
スイと要は半地下の部分に仮設された格納庫へアバターを移動させ、そこで同調を停止した。それから、カプセルを乗せた飛行機ごと更に地下階へ移動し、そこから海底コロニーへと繋がるゲートを通過した。
海底コロニーの中に入った時、スイの中ではるか昔に忘れていた恐怖心の様なものが甦った。渦巻く海流、骨の髄迄凍える様な冷たさ、押し寄せてくる波の豪音。だがその恐怖心の根本が何なのかはどうしても思い出せない。
そして、スイの後ろを歩いていた要にも、スイの異変が感じられた。要は戸惑いながらも、スイの隣に立ち、顔を覗き込んだ。
「…アサナギ?」
「…え?大丈夫よ。何でもないわ」
「だけど、お前、具合悪そうに見える」
「本当に平気なの。前にもデフテロで同調してる時、初めて海を見て、何かを思い出しそうになって、頭が混乱した事があったんだけど、それでもセイのお陰で元に戻ったわ」
「今日も、何か思い出せそうなのか?」
「ううん、何も」
「そうか。アサナギ、お前の過去もデフテロの事も、俺は何も知らない。だけど、お前達の事を知る事で、俺も何か真実を掴めるきっかけになるんじゃないかと思う。だから…」
「だから?」
スイは先程迄の恐怖心も忘れ、要の顔をまじまじと見た。
「…だから、もしお前が何かに行き詰まった時は、俺も力を貸したい。お前達がネオ・ムセイオンを出ると言うのなら、俺も出る」
スイは要の急な告白に顔を赤らめかけたが、要が人造人間であって人間ではない事を思い出し、
「ありがとう。でも美崎君はネオ・ムセイオンを出ちゃいけないわ。私とデフテロがいなくなった後も、実験に参加してくれないと」
と言って微笑んだ。要はそれを聞いて表情を変えず立っていたが、スイがまた歩き出すと黙って後ろをついて歩き出した。
スイ達が訪れたのは地球上に建造された海洋コロニーの中でも1、2を争う規模であることもあって、海の底とは思えない様な広さと多くの施設や都市機能が備わっていた。特にコロニー内の平和維持軍の基地には、巨大な潜水艦やステルス機がいくつも並び、厳重な警備態勢で護られていた。その中でスイは窓のない部屋の中に通された。要とは別々の部屋だ。ベッドが1台、書き物机と椅子が1台、その他には何もない、寂しい部屋だった。スイはドリーから貰ったパンやケーキをつまみ食いしたり、エミールの学習や課題をしたり、少しでも明日の出発迄の時間が早く訪れる様に努力した。が、それも直ぐに飽きてしまった。この時程バイオリンの練習をしたいと熱望した事はなかった。仕方なくエミールのタブレットでモーツァルトの演奏の動画を流しながら、空で指の動きを再現した。
「スイ、食事だ」
ローズマリーが部屋の扉を開けると、一人、部屋の中央に立ち、大音量でオーケストラの演奏を聞きながらバイオリンを弾く素振りをしているスイの姿が目に入った。
「スイ…?」
ローズマリーに呼び掛けられ、スイははっとした表情になり、照れ笑いした。
「どうしたんですか?ローズマリーさん」
「すまないな。ノックしたのだが、返事がなかったものだから。食事の時間だ」
「ありがとうございます!今行きますね」
平和維持軍の食堂は、ネオ・ムセイオンのカフェテリアの様に選択肢のバラエティこそ少ないが、ヴィーガン食、ハラル、その他アレルゲン等に考慮されたメニューが用意されていた。スイはサバサンドとサラダのプレートを選んだ。
空いていた席で一人サンドイッチにかぶり付いていると、ローズマリーが焼きそばをトレーに載せ、ここ、いいか、と言って同席してきた。
「スイ、それ旨いか?」
「はい。サバ、初めて食べたんですけど、ボリュームがあるのにさっぱりしてて、何か懐かしい味がします」
「私は魚を食べるのに抵抗があってね。子供の頃、魚の中にある骨が喉に刺さった事があって、水を飲まされたり、ご飯を飲み込ませられたり、大騒ぎになった。それ以来苦手なんだ」
「でもこれ、骨はないですよ?」
スイはサバを再び頬張った。
「ああ、今は工場の技術のお陰で、骨もアラも全部食べられる様に加工されているからな。だが、子供の頃の記憶というものは恐ろしい。大丈夫だと頭で分かっていても、なかなか直らない」
ローズマリーは箸で焼きそばをとり、すすった。
「スイは、名前からすると、父親が日本人なのか?」
「そう…なんだと思います。私、5歳から前の記憶がなくて、父の事も母の事も全然覚えてないんです」
「そうか…それはすまなかった」
「いえ、こういうやり取りには慣れました」
「私も父方の曾祖父が日本人だったらしい。だが、残念ながら名前以外で曾祖父の事は何も知らない。それなのに名前が日本人のものだというだけで、神風と天照を信仰していると思われている。私達は見ず知らずの血族から受け継いだファミリーネームと共に、日本人即ち建前ばかり言って本音を喋らない民族、という傍迷惑な烙印を押し付けられている訳だ」
「ローズマリーさんは日本人だと思われる事が原因で嫌な目に遭ったんですか?」
「そうだな…日本人というよりは東アジア系の女、というだけで訓練中教官に目を付けられた事があった。そりゃもう陰湿だったよ」
「私はネオ・ムセイオンに来る迄、自分のファミリーネームがアサナギだって云う事も知らなくて、日本人だって周りから言われても、それがどういう事なのか、良く分かっていないんです。ただ、今は存在しない日本国というものには興味がありますけど、それが私にどう関係してるかは別なんじゃないかなって思うんです」
「そうだね、スイ。それで良いんだ」
ローズマリーはふと微笑んで言った。
「スイはニホニズムを知ってるか?」
「いいえ」
「1年位前からSNSの中で見られる様になった動きでね。かつてのユダヤ人がイスラエルを建国した様に、失った祖国をいつか取り戻そう、その為に自分達の中にある日本文化を繋いでいこう、と云った運動なんだ」
「そんな運動があるんですね」
「ああ、それを始めたのはマキノ・ヒロムネと云う人物だが、その活動のベースになっているのはルード・センヴェントという人物の『Insulam anthropologiam perditaque』という本だと言われている」
「インスラム…?」
「タイトルはラテン語で『失われた島の人類学』と云う意味だ」
「どんな内容なんですか?」
「まあざっくり云うと、日本人は3度それ迄の文化や思考等の変化を強いられた。1度目はペリーによる開国、2度目は太平洋戦争の敗北、3度目は第4次大戦での国土消滅。だが、どんな困難に遭っても、必ず自分達らしさを取り戻してきた、と云う様な内容だった。もしスイも興味があるならいつか読んでみるといい」
「へえ、ありがとうございます。機会があれば探して読んでみます」
スイはサバサンドを食べ終えて、ふと要の姿がない事に気がついた。先程の自分の発言がいけなかったのだろうか。心配になったスイは、スマートウォッチでメッセージを要に送った。




