38章
地上でトゥリトが見えない相手に苦戦を強いられていた頃、ユリアは一人ヴァーシポリスの郊外でオートバイを走らせていた。彼女の向かう先はフォスターケアセンター、児童厚生機関の指導下で、親のいない子供達が集まって生活している保護施設だった。ユリアが養子募集のサイト経由で調べた所、スイがごみ捨て場で保護された時に一緒にいたという子供が何人かここで暮らしているとの情報を得て、はるばるやって来たのだった。
ユリアは窓のない灰色の建物の前に愛車を停め、警備員にパスを貰い、館内へ足を踏み入れた。中でユリアを待ち受けていたのは、一人の体格の良い女性だった。
「今日は、グールドさん」
「今日は。貴女がご連絡下さったマルタ・ルゴンさん?」
「そうです。ご案内しますわ。どうぞ此方へ」
ユリアがマルタに連れられ無機質な灰色の廊下を進むと、金属製の扉の前に来た。
「彼女は此方におりますよ」
マルタが指紋認証すると、扉が開かれた。中は明るく、大勢の子供達が並んで席につき、一斉にエミールシステムのタブレットで学習していた。それはかつて人々が地上で生活していた頃の、小学校の教室内の光景の様でもあった。
「あれっ。ユリア先生がいる!」
目ざとい子供の一人が、入り口に立つユリアの姿に気がつき、声をあげた。
「え、うそ」
そういった彼のタブレットでは、ちょうどユリアが講師を務める基礎生物学の講義中だったのだ。
「今日は、皆さん。勉強頑張ってるね」
エミールシステムの中のユリアは、デジタルクローンとも云うべき、バーチャル世界の中でのみ存在する学校の先生としての自分である。実態は自分とほぼ同じ思考をする様にプログラミングされ、学習を受けたAIだが、オリジナルと異なるのは世界中の言語を話し、場所や時間を問わず、子供達と平等に接する事が出来る。これもネオ・ムセイオンが開発し世の中へ広めた技術の一つだ。
「ライラ、ユリア先生が貴女とお話したいそうよ。いいかしら?」
マルタが一人の7歳位の少女に声をかける。
「はい、ママ」
「皆はそのままお勉強を続けてちょうだいね」
「はい」
ユリアはライラと共に別室へ通された。そこは机と椅子しかない、先程の教室と比べると殺風景な部屋だった。
ユリアはライラと向かい合って椅子に座り、出入口の前にマルタが折り畳み式椅子を出して座った。
「初めまして、ライラさん。突然の事で驚くかもしれないけど、どうか恐がらないでね」
警戒した表情を見せるライラに対し、ユリアは満面の笑顔を作った。
「貴女はアサナギ・スイの事を知ってる?」
「アサナギ・スイ?それってスイの事?」
「そう。ライラさんよりちょっと年上のお姉さん。貴女と同じ、ごみ捨て場で生活していた女の子よ」
「スイなら知ってるよ」
「ほんと?良かったらライラさんが知ってるスイの事、私に教えて貰えないかな?」
「私の知ってるスイは、困ってる時いつも私達の事を助けてくれたの。大人と喧嘩しても、絶対怪我しないから、凄く強いんだと思う。私がごみ捨て場からここに連れて来られる前、トラックから降ろされた時にバラバラになっちゃって、ずっと会ってないけど…」
「そうなの。ちなみにライラさんはスイは何処から来たのか知ってる?」
「んー私、ちっちゃかったから全然覚えてないんだけど、ネルがね、スイはポート119の近くで倒れてたのを見つけて、助けてあげたんだって言ってた」
「そうなんだあ。ライラさんはスイと仲良しだったの?」
「うん」
「実はね。スイは今、私が所属している研究所にいるの。でも、スイはライラさんやネルさん、ごみ捨て場に一緒に生活していた皆と一緒に暮らしたいんだって。ライラさん、スイがここに来たらまた仲良くしてくれる?」
「うん、いいよ。でもスイ、もしここで嫌な事があったらいなくなっちゃうかもね」
「あら、どうして?」
「スイは鍵がかかってるドアを何でも開けちゃう天才なの」
「へえ、そうなの。スイにそんな才能があるなんて知らなかったわ」
「ここのセキュリティは私達職員、決まった大人でなければ解除出来ない造りになってます。理論的には不可能ですわ」
ライラはマルタの方を見た。そして戸惑ったような、不思議そうな表情をした。マルタは立ち上がり、ライラの両肩に手を置いた。
「ユリアさん、ネルにもお会いになります?」
「ええ、もし彼女さえよろしければ…」
再びユリアはマルタの誘導で別の教室へ案内された。そこは照明が暗く、コンピュータのモニターがいくつも並んでおり、スイよりやや年長の子供達が、揃ってインカムを着け、プログラミング言語の講義を受けながら何やら作業しているようであった。
「エレノア」
マルタがコンピュータに向かって作業中の一人の少女に声をかける。彼女はスイより1、2歳程年上位であろうか。
「はい、マム」
「貴女とお話したいというお客様がお見えですよ」
「分かりました」
ユリアはエレノアと呼ばれた少女と目が合い、微笑みを返した。
再度殺風景な小部屋にて、ユリアはエレノア(ネル)と向かい合って座った。
「初めまして、エレノアさん。ネルさんとお呼びしてもいいかしら?」
「どうぞ」
「私はユリア・グールド。ネルさんにスイの事でお話をうかがいたいの」
「スイ?あんた、あの子の事知ってるの?」
「ええ。スイは今、私がいる研究所にいるわ」
「研究所?まさか彼女を危険な目に遇わせてるんじゃないだろうな!」
「危険な事をさせてるのは彼女も同意の上よ。落ち着いて聞いてちょうだい。スイは私達の研究所から離れて、ネルさんやライラさん、ごみ捨て場に共に生活していた皆と一緒に暮らしたいって言ってるわ。スイ、ここでもうまく生活出来るかしら?」
「それは…私の知ってるスイだったら、難しいんじゃないかな」
「そうなの?どうして?」
「どうしてって…スイは自分の事は自分で決める子だからさ」
「ネルさんに会う前にライラちゃんにもお話聞いたのだけど、彼女はスイがもしここで嫌な事があったらいなくなっちゃうかもって言っていたわ。スイには此処での生活はそんなに難しいかしら?」
「あんたはスイの事を知ってる様で何も知らないんだね」
「ええ、そうね。その通りだわ。だからぜひネルさんが知ってるスイの事を私に色々教えて貰えないかしら?」
ネルはマルタがいる方をちらっと見た。マルタは無表情のまま二人が会話する様子をじっと見守っている。
「スイとは付き合い長いからな。その分話も長くなるよ」
「いいわ」
「分かった」
ネルは天井に目をやり、懐かしそうな顔付きになった。
「10年位前だったかな、確かスイはごみ捨て場のポート119の辺りにある、地下水のパイプの下で倒れてたんだ。バイオリンケースにしがみつくようにしてね。今のライラの年齢よりもずっと幼い時さ。それで何故かスイは全身がずぶ濡れだった。まるでプールの中で服のまま泳いできたのかと思っちゃった。だけど、変だ。パイプの中から来たんだったら、もっとパイプから水が溢れ出してるはずだって、一緒にいたホームレスのサム爺が言った。もしかするとこれは水が溢れ出す予兆かもしれないってんで、サム爺とノラとアブと皆でスイを他のホームレスの皆がいる所まで連れてったんだ。あの時は私も知らなかったんだけど、北太平洋コロニーが消失して、そこから逃げて来たって人が割と大勢いたんだな。だからスイもそこの生き残りなんじゃないかって言われてたよ」
ユリアは北太平洋コロニー、と聞いて10年前の報道をタブレット端末で見た時の緊張を思い出した。
「スイは気を失ってたけど、死んではいなかった。だから皆で焚き火をして、介抱したら目を覚ましたんだ。でも、自分の名前も何も覚えていない様子だった。彼女のポケットに入っていたハンカチに『スイ』と刺繍が入っていたから、皆スイって呼ぶ様になったんだ」
「そんなことがあったのね…その一緒にいたホームレスの方々は今は?」
「スイが来て3年か4年後位だったかな、大人も子供も高熱と嘔吐と下痢で衰弱して死ぬ病気がはやった事があった。その時に当時共に暮らしてたホームレス達はほとんど亡くなっちまったんだ。スイと私だけが運良く病気にかからずに済んだ」
「そうだったの…辛かったわね」
「私は悪運が強かっただけさ。でもスイは別。あの子は昔から良く言われてたよ、スイには神様か守護天使がついているって」
「神様か守護天使ですって?」
「そう。スイは誘拐犯や暴漢に襲われそうになると、決まって襲おうとした大人達が大怪我をするんだ。瓦礫が落っこちてきたり、身体の何処かが突然骨折したりさ。だからスイの事を悪魔が憑いてるって言う大人もいたな」
ユリアは、目を丸くした。
「だけど、スイはネルさんと一緒にごみ捨て場にいた所を保護されたんでしょう?その時児童厚生機関のスタッフには何も被害は起きなかったんじゃなくて?」
「あの時は私も含めて皆捕まった後だったから。もしスイが事を荒立てれば、他の子供達がただでは済まないと考えて自ら捕まったのかもしんないし、大人達が危害を加えないと判かったからその、奇跡ってのが起きなかったんじゃないかな」
ユリアは最近の実験で、デフテロがイカロスのバッテリー切れで空から墜落したにも関わらず、アポロニウムの装備に多少のかすり傷を負ったのみで、中身は全く無事に戻ってきた事を思い出した。あれも、間接的とはいえスイがもつ加護とやらのせいだったのか。
「ネルさん、スイは自分の事を自分で決める子って言ったわね。それは介抱されて目覚めた時からそうなの?」
「そうだね。ごみ捨て場に昔よく教会のシスター達が配給と一緒に布教みたいな活動しに来てたんだけど、スイはお祈りの言葉を口にするのを凄く嫌がった。パンをあげるって言われても、他のシスターが何とかなだめ透かしても、頑なに拒み続けたんだよね。それである時、シスター達が神様の赦しを頂かなくてはって、スイを教会へ連れて行った事があった。だけどものの30分後位かな、スイは一人でごみ捨て場に戻ってきた。彼処にはいたくないから帰ってきたってさ」
ユリア自身も幼少の時にプロテスタントの洗礼は受けていたが、大人になった今では、そこまで厚い信仰心は持ち合わせていなかった。だが、スイがそこまで頑として信仰を拒んだのは何が原因なのだろう。
「あんたもご存じの通り、ここは世界連合の児童厚生機関の管轄下だが、アブラハムの宗教団の影響を強く受けてる。私はスイがここにいられないと考えたのは、毎日決まった時間に決まった事をさせられて、呼び方は異なれど神にひたすら祈りと信仰を捧げるだけの生活は、彼女には辛いんじゃないかなって思っただけ」
アブラハムの宗教団。21世紀の末頃にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の首長達が互いの信仰を尊重し、共存共栄を図る為に発足させた世界最大の宗教団体である。教典は違えど、同じ神を信仰する者は等しく天国への道が約束されるとして、第4次世界大戦の終結にも一役買ったとされている。
「確かにスイはいい子だけど、施設の生活は堅苦しいと思うかもしれないわね…」
ユリアはスマートウォッチをちらっと見た。
「ネルさん、ありがとう。そろそろお暇しないといけない時間だわ。貴女さえ良かったら、また会って貰えるかしら。次はスイも連れてね」
「うん、いいよ」
ユリアはネルとマルタに見送られ、愛車に乗って帰って行った。




