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37章

ニック=トゥリトは目の前の空に固まって浮遊する黄金色の粒子の固まりを見て、まるで蜂の大群と遭遇したかの様に感じ取っていた。だからモニターからスイの「逃げて」と言う声が聞こえた瞬間、遺骸があった所より少し離れた場所に置いたエアボードの元へ駆け出していた。

「フェイさん、私ニックを助けに行きます!」

スイがラボで隣にいるフェイに告げると、フェイは苦し気な表情で首を横に振った。

「ネオ・ムセイオンはもうデフテロの指揮権を世界連合に渡してしまっているの。勝手に動かす事は出来ないわ」

スイは唖然とし、自分達の後ろで表情を変えずにモニターの様子を見守っているジョシュアとローズマリーの方を振り返った。心なしか彼等はこうなる事を知っていてこの無表情なのでは、とスイは眉をひそめた。

「クソッ…」

ニックはエアボードを装着し、踵を3度鳴らした。兎に角一刻も早くエレベーターがある所まで戻ろうと、ボードを数メートル走らせたその時だった。

目に見えない力がトゥリトを左側から地面に押し倒す様な、真横から強い衝撃を受けて、砂漠の大地の上に叩き付けられた。

「うわあっ」

トゥリトが受けた衝撃の痛みが、ニックの右半身にも伝わってくる。

「この野郎!!」

ニック=トゥリトは起きあがるとレーザーライフルを構えた。トゥリトの肉眼では全く何も捉えられなかったが、スコープ越しだとぼんやりと巨大な人の形の様な物を確認する事ができた。慎重に心臓部辺りに向けて何発か発砲する。だがレーザーは空気中の何もないところをただ直進して通過したのみだった。

ところが、トゥリトの発砲に挑発されたのか、もやっとした人の形をした存在が、湯気の如くゆらゆらと上昇したかの様に見えた。

「あ?」

ニックもその異変をスコープ越しに見て、一瞬肉眼でも確かめようとトゥリトの顔をずらした。その時、人の形をした何者かがあると思われる空中から何かがトゥリトに向かって飛んできた。何百、何千という針が全身を突き刺す様な痛みを感じ、動きを封じられる。よく見ると粉々に砕け散ったギガスの遺骸のつぶてが散弾銃の様に降りかかってきたようだ。

「ニコラス、大丈夫か?」

「エドさん、あまり大丈夫じゃないですよ!どう対処したらいいのか、さっぱり掴めない!」

ニックは降りかかってくるつぶてを払い落としながら再度エアボードを起動した。

「アン、モニターから何か分析できた?」

エドはモニターの前でコンピュータを操作しているスタッフ、アンに呼びかけた。

「んー、断定は出来ないんですけど、まるで高密度酸素の固まりみたいな感じに見えます」

「高密度酸素」

それを聞いてフェイは何かを思い付いたようだ。

「ジョニー、アバター用のエレベーターの磁力を最大限まで上げられる?」

「ふむ、やってみよう」

ジョニーがエレベーターの操作をしにラボを出ていくと、フェイはニックに話しかけた。

「ニック、相手は高密度酸素でできているそうよ。地上で何か着火できる方法を探して」

着火する、と聞いてニックは懸命に脳ミソを回転させた。乾いた大地には木はもちろん、草1本生えてはいない。エレベーターの中には消化器があったかも知れないが、ガスバーナーはなかった。そもそも現在の地上はこの100年の間で大気中の酸素の割合は1割にまで減っており、例え着火出来ても長く燃え続けることは難しいだろう。

ニック=トゥリトはスコープからもう一度空中を見上げる。人の形に見えたものはもはや人の形にあらず、巨大な積乱雲とも言うべきか、空に浮かぶ大きな渦を巻く大蛇の様にも見えた。とは言っても、ニックは生きた蛇を見たことはなかったが。

「何なんだ…?」

すると突然、トゥリトが乗っているエアボードが何か強い力に引き寄せられる様な現象が起きた。

「え?」

「ニック。今、ジョニーに地上エレベーターのマグネット部分の磁力を限界値まで上げてもらったの。アンの仮説通り、もしそのトゥリトの目の前に存在している何かが高濃度の酸素の固まりの様な物であるならば、それはマグネットに引き寄せられるわ。ただメチャクチャ強い磁力の影響で、近くにある鉄を含む物質も一緒に引き寄せられるけどね」

モニターから聞いたフェイの予測通り、エレベーターに組み込まれているパーツの磁力が最大限迄増大された事により、エアボードはもちろんの事、鉄を含んだ土砂や、100年以上昔に誰かの手によって廃棄されたであろう、錆びてぼろぼろになったスチール缶らしきゴミまでもが何処からか飛んできて、エレベーターに向かって引き寄せられていった。

「ブラックホールかよ!」

ニック=トゥリトは磁力に抵抗するのを止め、エアボードに乗ってエレベーターに引き寄せられるがままになりながら、スコープで敵の様子を伺った。

「フェイの予測通りか?」

実際、巨大な渦巻きの様な敵もまた、砂埃を立てながら強力な磁力に引き寄せられていた。ニックはエレベーターに背を向け、渦巻きに正面から向かいながら、レーザーライフルの銃身をエアボードの縁に叩きつけた。

「ちきしょう!俺には戦う才能なんてねえっつうの!」

モニターからトゥリトがキレた様にライフルでエアボードを打つ様子を見ながら、エドが呟いた。

「ジャックやミッコがこれ見たら怒るんだろうなー」

「そうね…金属を叩いて火花を起こそうという着眼点は、エミールシステムの中でだったらS評価をあげたい所だけど」

フェイの呟きにスイは不安そうな表情を浮かべた。それに気付いたフェイは、そっとスイの肩に手を置いた。

「大丈夫、大丈夫よ…」

それはフェイが自分自身に言い聞かせている様でもあった。

ラボのモニターにはトゥリトと宙に舞い上がる砂埃しか見えないが、ニックのスコープには迫り来る巨大な渦巻きがもう目の前にいるのが映っている。どうする?とニックが内心不安を感じた時、ガクッとエアボードがエレベーターの壁にぶつかる音がした。

「うぉぉぉー!!!!」

やけ気味でニック=トゥリトはレーザーライフルの銃身をエレベーターの壁に叩きつけた。キンッという音を立てて僅かに光る星の瞬きの様なものが見えた。

「火花だ」

フェイはその一瞬を見逃さなかった。

「ニック、そのまま叩き続けるのよ!」

ニックはフェイの言葉を受け、エレベーターの壁や角を殴打し続けた。キンッキンッと鉄を打つかの様な音が鳴り、それはあたかも刀を打つ鍛冶職人の様でもあった。

そして10回程打った時、その火花は瞬時にして業火と化した。トゥリトは燃え盛る炎の中に身を置きながら、何が起きたのかと辺りを見渡した。全身が熱いが、焼ける様な痛みはない。ただ、息苦しさに思わずむせた。

「まずい。ニック!呼吸しちゃだめ!」

そんな無茶苦茶な、と思いながら、ニックは意識が遠のくのを感じた。

「ニックの意識が途切れます!」

「トゥリトの同調も切断されます!」

業火は酸素を燃焼しつくした事で自然に消えたが、辺りは黒焦げになっていた。トゥリトは、あの業火の中でもアポロニウムの完全武装のお陰か、傷一つない姿であったが、ニックとの同調が途切れたとたんに砂の大地の上にばったりと倒れてしまった。

「厄介ね」

「ジェシカに回収して貰うか?」

その時、タイミングよくエドのスマートウォッチが鳴る。エドが真剣な顔で応対すると、相手はアリッサであった。

「ご苦労様。そちらの様子は見させて貰った。これからテタルトの地上デビューも兼ねて、トゥリトの回収は我々の方で実行する。戻り次第また次の地上調査に備える様に」

「テタルト?」

黒焦げのエレベーターから数メートル離れた場所に、何もなかった地中からジャックの豆の木の様に建物が現れた。それもまたエレベーターの様だった。

「美崎君」

エレベーターの中から現れたアバターを見て、スイはそれが要のアバターだとすぐに判った。テタルトは既にイカロスを背中に装備しており、エアボードを装着すると、初めてとは思えない程スムーズに空を飛び回った。

「素晴らしい。もはや実用化したも同然だな」

ここで初めてジョシュアが口を開いた。

「デフテロは本部までテタルトに輸送して貰おうか。対地上用アバターの技術がここまで進んでいるのをご覧頂ければ、主もお喜びになるだろう」

ジョシュアが一人歓喜する中で、ラボのモニターにはテタルトが右腕でトゥリトを抱え、左手にはギガスの触角の残骸の一部らしきものを持ち、エレベーターに戻って行く様子が映し出されていた。

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