36章
スイはフェイやユリア達が自分を呼ぶ声で目を覚ますと、自分がチーム6のラボの床に横になっている事に気が付いた。
「スイ、大丈夫?」
「…私、どうしちゃったんですか?」
「どうしたも何も、突然倒れたのよ」
「脈は正常だったし、呼吸もしてたけど、床に倒れたまま目覚めなかったから心配したわ。気分はどう?」
「ありがとうございます。床に打ち付けた箇所が痛みますけど、大丈夫そうです」
起き上がろうとしてスイはデフテロがいる方を見て、それから周囲を見渡した。
「私が倒れている間、デフテロに何か変化がありませんでした?」
「倒れた時、少しだけ脳波に乱れが起きたけど、すぐに正常値に戻ったわ。何かあったの?」
「いえ、何もないです。レッスンがあるんで、もう行かないと」
立ち上がって歩こうとするスイに
「何かあると大変よ、念のために医務室に寄っていったら?」
とフェイが助言したが
「大丈夫です。早く入団試験の課題曲を自分でも弾いてみたいの」
と静止を振り切り、手を振ってラボを出ていった。
「フェイさん、スイがいなくなったら寂しくなりますね」
チャーリーが資料を持って椅子から立ち上がりながら、スイを見送るフェイの横に並んで小さく囁いた。
「そうね…あの子、いい子だったわ。とても」
スイはセイに聞かせてもらったフレーズを頭の中で何度も繰り返し再生した。彼女の奏でた調べは、最初のフレーズが耳に入ると同時に全身を貫く様なビリビリとした衝撃が走った。あの構え、あの指使い、何としても自分のものにしたい。スイの中には、ネオ・ムセイオンを出た後の未来の心配よりも、今頭の中に残っている演奏の感覚を、自分で再現してみたいという好奇心の方が強かった。
「スイちゃん」
「エドさん、ジョニーさん。今日は!」
ロッカールームを出た所、スイは廊下でエドとジョニーとばったり鉢合わせした。
「話聞いたよ。君、ここを出るんだって?」
「はい…」
「明日、ニックが改めて初の地上調査に出る。良かったらスイちゃんもチーム7のラボに奴の勇姿を見においでよ」
「いいんですか?ありがとうございます」
スイは頑張ってください、と手を振ってアンディのスタジオへ向かった。
アンディのスタジオでは、他の子供達と一緒に基礎練習をした後で、協奏曲の楽譜を借り、個人練を始めた。アンディはスイにはこの曲はまだ早すぎるのでは、と憂慮したが、スイが楽譜を見てすらすらと演奏する様子を見て、無駄な心配だったと内心驚いた。だが、スイにとってはまだまだ納得の行く音ではなかった。
レッスンの時間が終わっても、練習し足りなかったスイは、ドリーの農場に戻ってからもバイオリンの事ばかり考え、暇さえあれば左手の動きを空で練習していた。
「スイ、大丈夫そうですね?」
ユリアはスイが農作業をこなしながらいつも通りに過ごしている様子を見て、傍らのドリーに話しかけた。
「見た感じはね」
ドリーは会議室でのスイを思い出しながら、複雑な表情を浮かべた。
翌日、スイがフェイと共にチーム7のラボを訪れると、初めて見る2人の人物がいた。彼等は平和維持軍から来たジョシュア・ベニントンとローズマリー・シノダと名乗った。デフテロの引き取りに先んじて、実際のアバターの操作と地上調査の様子を見ておきたいとの事らしかった。
「ニコラス、準備はいいか?」
「いいですよ、エドさん」
モニター越しにスイは初めてトゥリトの全容を確認した。プロトやデフテロと違って体格のよいフォルムをしており、装備も正式なものに交換されていた。長剣を背負っていたデフテロに対し、トゥリトはレーザーライフルを所持していた。
「トゥリトにはデフテロ同様、調査と警備を担当して貰う予定だ。だが、もしギガスが襲って来たら、真っ向から戦う事はしない。不慣れな戦闘でダメージを負う事は避けたいしね」
今日は前回プロトが進めていて、ギガスの襲来で中断してしまっていた地質サンプルの採取と、ギガスの遺骸の回収が主なミッションだった。
「出発前にエアボード乗ってみて」
ニックは今日に備えてバーチャル空間での練習はしていたが、アバターで実際に乗るのは初めてだった。不慣れな様子で足にボードを装着する。踵を三回鳴らして宙に浮かぶと、フラフラしながら前進し始めた。
「仮想空間では上手く出来てたんだけどな…」
ニックは空気抵抗でバランスを崩しそうになりながら、何とか練習コースを辿れた。
「前回プロトとデフテロが使用した、イカロスは使ってみるかい?」
「もう少しエアボードの操作に慣れてからでもいいですか?」
「勿論」
スイとジェシカが前回の同調の時に使用した飛行装置は、イカロスと名付けられていた。以前は試作中の段階だったが、あれから改良もされ、標準装備に加えられたらしい。
「スイちゃん、エアボードに上手く乗れるコツとかあるの?」
エドが後ろに立っていたスイの方を向き、急に尋ねてきた。
「コツですか?風向きをうまく読む事でしょうか…」
「引きこもりのニコラスには難しそうだな。ニコラス、無理しないで今日はギガスの遺骸採取だけにしておこう」
了解、と答えてニック=トゥリトはエレベーターから10km程離れた地点で地面に伏しているギガスの遺骸の元迄やって来た。スコープ越しでは然程気にならなかったが、改めて間近で見ると巨大で、そして日光に照らされると琥珀の様にきらきらと輝いていた。
「これを、俺が倒したんだ…」
縦に身体を真っ二つに割かれ、砂漠に横たわる遺骸は、まるで古代のピラミッドか神殿の様に荘厳ですらあった。
「エドさん、これ、どうやって運べばいいですか?」
「トゥリトが持てる限りでいいんだが、頭部のパーツだけ取り外しは出来るかい?それが難しそうなら触角部分だけでも」
「やってみます!」
ニック=トゥリトは遺骸の正面に回って、頭部の2つある能面部分のうち、平太の方に手をかけた。見た感じは鼈甲かガラスの様に透き通って脆そうなのに、まるで溶岩で出来た山の表面の様に固く、びくともしなかった。
「くっ…」
「ニコラス、どうだ?」
「思っていたよりも硬い…」
スイに並んでモニターを注視していたフェイが呟く。
「何で出来ているのかしらあの体…」
ニックは力を入れ直そうと一瞬指先の力を緩め、トゥリトの手を離しかけた時だった。キィーンと高い音を響かせ、ギガスの遺骸が粉々に砕けた。そして砕け散った細かい破片は黄金色に輝きながら砂埃の様に空中に飛び散った。
「え?」
ニックを筆頭にラボ中のスタッフがどよめいた。空中にはまだ粉末状と化した黄金色の粒が浮遊している。呆然と立ち尽くしているニック=トゥリトの前で、もやもやと空中の粒子は青空へ飛散すると見せかけて、徐々に1ヶ所へ集まってきた。
「あれは…」
モニターを見つめる大人達がざわめく中、一つの考えがスイの頭を過った。
「別のギガスが来た」
ほぼ同時にスイは叫ぶように声を発していた。
「ニック、早く逃げて!!」




