34章
翌日スイはいつもの様に早朝は農場の手伝いをし、午前中にはチーム6のラボにいた。フェイとユリアは前回のデフテロの活動についての報告書作成に没頭していたし、他のメンバーについてもそれぞれの研究作業に専念していたので、静かなものだった。
スイはずっと手を付けられずにいた英文法とスペイン語のレポートの課題を片付けようと、ラボで奮闘していた。こっそりセイにどう記述するのがいいか尋ねたのだが、にべもなく断られたのだった。エミールの仕組み上、偏った科目ばかりやっていると、ある程度の所で他の必須科目も合格点を取るまで進級出来ず、足止めを食らう羽目になる。スイの場合は回答が明確な問題なら、これまでの学習内容とセイと同調した際に吸収した知識で難なく解けるが、自分の考えを書くよう求められる課題は思う様に書けなかった。
「うー…」
スイがタブレットのタッチペンを転がして書くのを中断した時だった。ふとスマートウォッチに目をやると、新着のメッセージが届いているのに気がついた。何気に開くとアレクサンドルからだった。リュケイオンのオーケストラ部への推薦を出した事と、入団テストの課題曲について記載されていた。
「モーツァルトのバイオリン協奏曲第3番…」
メッセージを見てしまった事でスイの集中力は完全に途切れてしまった。エミールの課題をやるのは諦め、入団テストの課題曲の楽譜を検索した。バッハの曲と異なり、軽やかながら浮き沈みの激しい移り気な曲だなと思いつつ、アンディに教わったウェブサイトで様々な奏者の演奏を聴いた。
「スイ、随分熱心ね」
フェイがデスクから離れ、コーヒーを入れに立ち上がって歩きながら、ふらっとスイの背後から様子を見ていた。
「リュケイオンのオーケストラ部の入団テストの課題曲なんです。出来るかなあ?」
「ふふ、その様子なら午後の所長の呼び出しも大丈夫そうね」
「そんなことないですよ。考えただけでも緊張するので、他の事考えて気を紛らわしてるんです」
「ユリア、所長の対処法をスイに教えてあげたら?」
「対処法?所長の言う事に絶対逆らわない。意見を求められたら、腹を決めて言う。それだけよ」
「スイ、実の娘がああ言ってるけど、本当は頼れる素晴らしい人よ所長は。科学者としても女性としてもね」
「はい…」
13時10分前にスイはネオ・ムセイオンの会議室に着いた。入り口が空いていたので中へ入ると、中は天井を除いて四方がガラス張りの窓に囲まれており、外は真っ青な青空しか見えなかった。会議室の天井と床が真っ白で広い空間は、まるで宇宙船の中の様だった。
「スイ、よく来たわね」
「ドリーさん」
見知った顔があり、スイの心の緊張が一瞬緩んだ。
「デフテロを世界連合に引き渡すのは決定なんですか?」
「今からその話を皆でするの。貴女は何か聞かれたら正直に答えればいいのよ」
ドリーがスイの両肩に両手を置くと、間もなくアリッサの他、カビーア、ドミニク、ソヒョン(スー)の4名が入って来た。彼らが会議室の中央の円卓の席につくと、ドリーは空いている席にスイをつかせ、その隣に自身も座った。全員が席についたのを見届けると、スーが口を開いた。
「今日は皆、急な呼び出しに応じてくれた事に感謝します。早速ですが、議題は先日の理事会で決まった、世界連合へデフテロを引き渡す件について話し合います。本来あちらの要求は、デフテロとペアリングパートナーの両方を引き渡す事ではあるけれども、我々ネオ・ムセイオンとパートナーのアサナギとの誓約上では、彼女に軍事を強いる事は出来ません。そこで、我々はデフテロのみ引き渡す事にしました。改めてアサナギ・スイ。貴女には2つの選択肢があります。デフテロと共に平和維持軍へ行くか、ここに残りアバターの実用化に向けて、他のパートナー候補者達の相談役として我々の研究に18歳迄従事するか。どちらの道を選びますか?」
「すみません。もう1つの選択肢はあるのでしょうか?どちらの道も選ばない場合の」
「ならば問います。貴女はどうしたいの?」
「ごみ捨て場で共に暮らしていた、ネルやライラ達がいる、保護施設に行くという道を選ぶ事も出来ると思うのです」
「随分な変わり者だな、君は。ネオ・ムセイオンを出れば、君が今いるドリーのシェアハウスからも退去しなければならないんだよ?」
そう言ったドミニクの顔を見て、スイは真顔で答えた。
「ハウスの皆さんには大変良くして頂いていたので、離れるのはとても寂しいです。ですが私は元いた場所、そこは失われていたとしても、元々一緒にいた仲間達と共に暮らす道は残されていないのでしょうか?もちろん、ドリーさん達には、外の社会から、何かしらの形で恩返ししたいと思っていますけれども」
カビーアが怪訝そうな顔で更に尋ねた。
「アサナギ君、どうして君は軍へ行く事もここに残る事も拒否したいんだい?」
「それは…上手く説明出来ませんが、軍へ行けば私とデフテロは、ギガスに対してだけではなく、罪もない多くの人々を殺戮する道具にされてしまうのは明らかです。例え世界平和の為だとしても、それは絶対にしてはいけない事だと、私の中にある心が強く訴えてきています。だから私は平和維持軍には行けません。或いは、ここに残ってアバターのペアリングパートナー候補者達の相談役になったとしても、私独りの力だけでは彼らのアバター達を次々と現れるギガスの犠牲にしてしまう事になります。そうなれば私は、その重圧と悲しみに耐えられなくなってしまう。私はどちらも嫌です」
スイが言い終わると、会議室中が静まり返った。
「フェリシア・ラブロックとユリア・C・グールドのレポートにあった通りですね」
スーがアリッサの顔を伺う様に見やった。カビーアが更に問い掛ける。
「アサナギ君、貴女がそう思う理由は何処から?」
「昨日、美崎君というペアリングパートナー候補者とチーム6のラボで会いました。その時にセイ…デフテロがスリープモードからちょっとだけ目覚めたお陰で、もしこのままデフテロを平和維持軍へ引き渡された場合自分がどうなるのか、少しだけセイから教えて貰う事が出来ました」
「美崎…貴女、カナメと会ったの?」
アリッサが初めて声をあげた。
「カナメは何故チーム6のラボに行ったの?」
「確か、デフテロを見に来たと言ってました。それで、暫く黙ってデフテロを見下ろしてたんですけど、急にセイからお水をあげてって言われて、それで彼にお水をコップに入れて差し出したら、物凄い勢いで5~6杯位は飲んで、そのまま帰って行きました」
「そう、そんな事があったの…」
アリッサは考え込む様な顔付きをしていたが、
「スイ、後で詳しくその話を聞かせて貰いたいわ。いい?」
スイがはい、と答えると
「話を戻すが、スイ。デフテロを世界連合に引き渡す事に異論はないのね?」
「いいえ、できれば、デフテロも世界連合には渡さないで貰いたいのです。デフテロを世界連合に渡しても、その場にいる者は誰もデフテロを動かせず、彼らの思惑通りにはならないと答えました」
「誰が?」
「セイ…デフテロがです」
スイはカビーアの目を見据えて続けた。
「デフテロはジェシカやニックが思っているアバターとは違っていて、私に対しては色んな事を語りかけてきます。誰にも聞こえない声で。ですが、彼女の意思を所長やネオ・ムセイオンの皆さんに伝えても、理解してくれる事はないだろうから、そう理事会が決めたのなら従うしかないね、とも言ってました」
スイは悲しそうな顔付きになり、青紫色の瞳に涙を湛えた。
「デフテロが世界連合に行けば、大勢の大人達があらゆる手立てを使ってでもセイの持つ力を引き出そうとします。でもデフテロは抵抗も出来なければ、語る事も出来ません。諦めた大人達は彼女を破壊してしまうでしょう」
スーがおずおずとスイに問い掛けた。
「では貴女は、デフテロを世界連合へ渡すのには反対と云う事ですね?」
スイは下を向き、小さく頷いた。
「デフテロを壊してしまうのなら、どうかそうなる前に、彼女を引き取らせて下さい。私にはデフテロが、セイが必要なんです」
会議室中が再び沈黙した。だがそれを破ったのはアリッサだった。
「ドミニク、ライオネルとウォルターに繋いで貰える?」
イエス、とドミニクがテーブル下で何やら操作する。電子音が鳴り、暫くして二人のホログラムが浮かび上がった。
「ごきげんよう、アメリカ支部」
「こんな遅い時間にごめんなさいね」
アリッサは二人のホログラムに向かって話し始めた。
「ウォルター、想定していなかった流れになっているわ」
「アリッサ、子供一人を説得出来なかったのか?」
「ええ」
ホログラムの二人の像を見て、更に緊張した表情になったスイの耳元でドリーが囁いた。
「右側がネオ・ムセイオン、ユーラシア支部のウォルター・マーギュリス所長、左側がアフリカ支部のライオネル・ドーキンス所長よ」
ホログラムのウォルターは眼鏡の奥の目を細めた。
「スイ。世界連合は元々デフテロと君の両方を差し出す様に言って来ている。それを君だけでも自分の好きな道を歩める様、我々は選択肢を与えてやったのだ。それも不満だと言うのか?」
スイは目を大きく見開き、マーギュリスのホログラムを凝視した。
「マーギュリス所長。貴方は元からご存知なのですよね?デフテロが発生から他のアバターと大きく異なる、その訳を。ニックとトゥリトをエドさん達に任せて、フェイさんユリアさん達にデフテロの同調を進めさせたのは、単に私が見つかったからだけではないのでしょう?その研究対象をむざむざと手放して良いのですか?」
スイの訴えを聞き、ホログラムのマーギュリスは微笑したかの様に見えた。
「スイ。君はセイと同調して色々な事を見通したようだな。確かに君の言う通り、君達は特別なペアリングであり、君達が起こす数々の事象はネオ・ムセイオンの研究対象としてとても魅力的だった。だが、一つだけ君は見落としている事がある。そもそも君達の同調を進める様に指示したのは他でもない、世界連合なのだよ」




