32章
スイが仮眠室で目を覚ますと、時刻は既に12時を回ろうかとしていた。ジェシカやユリアはとっくに起きており、仮眠室にいたのはスイだけだった。
「わーチャットいっぱい溜まってた…」
スイもネオ・ムセイオンに出入りするようになって、自分のスマートウォッチを支給されていたが、昨日はずっとカプセル内で過ごしていたた
め、チャットボックスに入る連絡網も全くチェック出来ずにいた。
ほとんどが次の同調に関する事務連絡と、ドリーの家の当番に関する内輪な連絡だった。だがその中に初めて見る相手からの連絡が来ている事に気が付いた。
「アリッサ・グールド…?」
鼓動が早くなるのを感じつつ、恐る恐るボックスを開く。明日の13時に会議室へ来るようにとの所長指示だった。スイは昨晩の少年が言っていた話を思い出した。猶予がないのか。スイはセイとの別離を憂い、奥歯をクッと噛みしめた。
スイはドリーの家に帰る前に、チーム6のラボに立ち寄った。珍しく誰もいなかった。昨日はメンバー全員が長時間に渡る実験に立ち会っていたため、臨時休暇になっていたのだった。
スイは黙ってラボの奥へ行く。デフテロを見下ろしながら、懸命にセイに呼びかけたが、彼女もまた深い眠りからは目覚めてこなかった。スイの中にはまだ答えが見つかっていなかった。どうしたらセイを世界連合から守れるんだろうか。アクリルパネルに触れた手が熱くなり、触れている部分の透明なパネルの壁面が仄かに白く曇った。
すると不意にスイの背後から足音が響いた。スイが後ろを振り向くと、昨日の少年がズボンのポケットに両手を突っ込んで入り口に立っていた。
「貴方、昨日の…」
「お前、アサナギ・スイだな?」
「そうよ。貴方、昨日ここに来た時、私の事を前から知ってたって言っていたじゃない」
「何の事だ?俺は全く知らない。俺はデフテロを見に来ただけだ」
スイは混乱した。少年が昨日とは全く別人の様に見えた。
「貴方は何者なの?私の事を知ってると言ったり、知らないと言ったり…」
「俺は美崎要。アバターと同調実験中のペアリングパートナー」
「じゃあ美崎君、残念ながら今日私達チーム6は臨時休暇なの。貴方が見終わったら私、ここを戸締まりして家に帰るから、どうぞ好きなだけデフテロを見て行けば」
スイはミサキ・カナメと名乗った少年が黙ってラボに入り、アクリルパネルの前に立ってデフテロをじっと見下ろしている横で、空いている椅子に座った。本当にこの人は何なのだろう。
アクリルパネルの裏側で、スリープモード中だったセイは外にスイ以外の気配を察した。
「あらあら、珍しい人がお見えになったものですね」
要はセイから心に直接日本語で話しかけられてギョッとした表情を見せた。
「これは何だ?誰の仕業だ?」
「貴方は…一見私達のお兄様のようにも見えたけど、全く別の方のようね。何てお呼びしたらいいかしら?ポントス?リル?ワダツミ?」
「いや…俺は美崎要だ…」
「そう、美崎要。貴方がプールの外に出てわざわざここへ来たのは、何かを確認したくて来たのかしら?」
「俺はただ、デフテロとギガスの戦闘の記録を見て、実物がどんなものか興味があっただけ…」
「それが本当なら、わざわざ臨時休暇中のタイミングに独りで来なくても、アリッサか彼女のチームメンバーの同伴で正式な見学許可をもらって来れば良いだけの事でしょう?」
「お前は何者なんだ…?」
「私は聖。朝凪聖よ」
要は喉の奥が乾き過ぎて、唾液を飲み込めない程ヒリヒリするのを感じた。
「スイ」
椅子に座って、要がデフテロを見下ろしてる様をずっと頬杖をつきながら眺めていたスイは、突然セイに呼びかけられてびっくりした。スイにはセイと要のやり取りは全く聞こえていなかったのだ。
「何、セイ。どうしたの?」
「美崎君に飲み水をあげて。だいぶ辛そうだから」
スイは立ち上がってラボのウォーターサーバーの所に行くと、ビジター用のグラスに冷水を注ぎ、要にはい、と言って差し出した。要はグラスを受け取ると、物凄い勢いでがぶがぶと冷水を飲み干した。
「美崎君、大丈夫?」
「あ、あぁ…」
要は水が足らなかったのか、空いたグラスを持ってウォーターサーバーの所まで行くと、続けざまに5杯ほど冷水を飲み干した。
「セイ、この人なんなの?」
「美崎要、と言ったわね」
「それは私も聞いたけど、昨日の夜、私とセイに会いに来たって言って来て、それでセイが世界連合に引き渡されるって話を教えてくれたの。それなのに今日は私の事を知らないって…」
「そうね。昨日貴女が会った彼と、今目の前にいる彼は、外見は同じだけど中身は別の人、と言った所かしら」
喉が潤って落ち着いたのか、要は口元を手で拭い、スイに向かって言った。
「おい、アサナギ・スイ。アサナギ・セイってなんなんだ?」
「セイはデフテロって呼ばれてる、私のアバターの本当の名前よ」
スイは要に向かって、困った様な戸惑った様な顔付きをして答えた。
「セイは色んな事を私に教えてくれるし、頼りにもなるけど、私がいないと動けない、だから放って置けない、年の近い姉妹みたいなものかな?と言っても、私、家族や兄弟姉妹がどんなものかを知らないで育ったから、何となくだけど」
スイはデフテロを見つめながら、悲し気な顔をして続けた。
「でも、ネオ・ムセイオンがセイを世界連合に引き渡すんだって、昨日聞いたわ。明日、グールド所長に呼び出されてるから、もう私、セイと同調する事もなくなるって言われるんだと思う。ギガスと戦わなくて良くなるのは嬉しいけど、セイがどうなっちゃうのかが心配だし、ジェシカとニックがギガスと戦えるのかも不安なんだ」
要は黙ってスイの隣に立つと
「心配するなアサナギ。お前が抜けても代わりに俺がアバターで地上に出てギガスと戦う」
そう言って空のグラスをスイに戻した。
「じゃあな」
ラボを立ち去って行く要の後ろ姿を見送りながらスイは、 ありがとうも言わないでなんなのもう、と独り呟いた。




