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27章

スイがラボで自責の念に駆られ、その裏でネオ・ムセイオンの緊急理事会にて今後の方針が決められている間、ジェシカとニックはロビーで帰りのバスを待っていた。

「ニック、別にスイは悪気があってあんな事言ったんじゃないのよ。分かってるんでしょ?」

「分かってるよ。でもジェシカだって急に現れたスイに記録あっさり抜かれて、スイのこと嫌ってたじゃん」

「そりゃあね。でも一緒に地上で活動して分かった事もあるわ。ニックも例の地上調査の映像見たんでしょ?あの化け物みたいなのを相手に戦うデフテロを」

「ああ、見たよ。プロトは何も手出し出来なかったな」

「戦闘するなんて想定外だし、訓練も受けてないから私には無理。でもスイは言ってたわ。これからギガスと戦って行くには、知ってる人のアバターとの連携が必要だって。スイはあんたに早く同調を成功してもらいたいの。それでチーム7の見学に行ったり、集古館なんて興味なくても一緒に行ったりしてるんだって。わかんないかなあ」

「わかんねえよ。俺だってどうして同調しても先に進めないのか、答えがあるなら教えて貰いたい位だよ」

ジェシカはむきになっているニックの方をちらっと見て、頬杖をつきながら言った。

「スイが言うには、アバターには心があるそうよ。私は意識した事なく同調出来たから、そんなオカルトみたいな話、信じてないけど」

「マジで?」

「次、実験する時アバターに直接話しかけて聞いてみたら?ダメ元で」

「何だよジェシカ、冗談きついよ」

「うん、ごめん。でも、5ヵ月の間にやった事ないのは事実でしょ」

「そうだけど…」

ニックが何かを言いかけたちょうどその時、静かにバスがやって来て、他にもバスの到着を待っていた群衆のざわめきにより、二人の会話は途切れてしまった。


集古館へ行った次の日、地上調査にはいったんプロト単独で行き、スイは非常事態に備えてカプセル内で待機していた。

「ねえ、セイ」

何も見えない空間の中、スイは心の中で呼び掛けた。

「なあに?」

デフテロと繋がっているためか、セイの返事がわりと直ぐに返ってきた。

「ギガスは現れると思う?」

「私に分かるのは万物が記憶している過去の事だけ。先の事が見えるのは、貴女の持つ能力よ」

「そうなの?」

「そう」

「でも、普段は先の事なんてちっとも見えないよ?」

「そうね、それでいいと思う。先の事が見えるのは、時と場合によっては悲劇を招く事もあるわ。カッサンドラみたいにね」

スイがカッサンドラって?と尋ねようとしたところ、ぴしゃん、という雨垂れが水溜まりの中に落ちた時の様な音が響き渡った。どこから聞こえたのだろう、とスイは暗闇の中で目を凝らした。ぴしゃん、ぴしゃん、と音は少しずつ間隔を狭めて大きくなっていく。スイは背筋が凍る迄には行かないにしても、微かにヒヤリとした恐怖みたいなものを感じた。

「セイ、この音聞こえる?」

「貴女の聴覚を通じて聞こえるわ。何かしら」

水滴の落ちる音はどんどん加速して行き、雨の様な音に変わった。と言っても、スイは雨を体験した事はなかったが。何も見えない暗闇の様な空間は、雨音が激しくなるにつれ、底からうねる様に揺らぎ始めた。

「セイ、これは何?」

「私にも分からない。もしかすると、ここでこれから起こる事を貴女が予知してるのかも」

セイが言い終わらないうちに、暗闇のうねりは大きくなり、スイの姿をすっぽり包んでしまった。

「スイ?」


時を同じくして、プロトによる単独調査の裏で、ニックの同調も続けられていた。5ヵ月間、カプセルの中に入り続けているが、時々エドやジョニーの声がモニターから聞こえてくる以外、何も代わり映えのない時間だけが泥の川の様にのろのろと流れていった。

ニックは昨日のジェシカの言葉を思い出していた。話しかけるって、誰に向かってどんな風に話しかけたらいいんだ。

「ニコラス、何かあったか?」

ジョニーの声がモニターから聞こえた。

「いえ、何でもないです」

ニックは自分の声が無意識のうちに口に出ていたのかもしれないと思って、カプセルの中で一人赤面した。

静か過ぎる暗闇のカプセル内で、ニックはドリーの農園にいる動物達や、昨日集古館で見た古生物の化石や剥製の事を思い浮かべた。それは暗がりの中にいると、幼い頃の記憶が蘇りそうになるのを必死に抑えていたからでもあった。だが、今日に限って別の事を考えようとする程、何故か幼い頃の記憶がもやもやと心の奥底から滲み出てきた。


ニックが生まれたのは、地下コロニーの中でも犯罪が多い治安の悪いエリアの一画だった。ニックが当時自分の母親の事で記憶しているのは、家に戻ってくる度に違う男を連れて帰って来る事と、帰って来た時に姿を見せようものなら暴力を振るわれるので、母親が帰る音を聞き付けると、息を潜める様にクローゼットの中に隠れていた事だった。

そんなニックが3歳になるかならないかの頃、弟が生まれた。弟はリチャードと名付けられ、母親が暫くのうちはずっと家にいる様になった。時々一人の男が家にやって来る様にもなったが、ニックには関心を持たず、ただ母親に生活費を渡しに来ているだけのようだった。

ニックはリチャードが可愛かった。だが、リチャードの顔を見たり、頬や髪や手に触ったり出来るのは母親が見ていない隙か、よっぽど母親の機嫌がよくて許可された時だけであった。それ以外の時はリチャードに近づこうものなら容赦なく叩かれた。ニックはリチャードとは違う父親の子供だったが、リチャードの事が大好きだったから、母親に叩かれてもじっと我慢した。時々やって来る男に見つかりそうになると、急いでクローゼットの中に隠れた。

そんな風に半年が過ぎた頃、母親はまた頻繁に家を空ける様になった。そして時々家に戻ると色んな男を伴っていた。クローゼットにはリチャードと一緒に隠れる様になった。ニックは見よう見まねでリチャードのおしめを替えられる様にもなったし、ミルクもあげられる様にもなった。だが、母親はニックを褒める事もせず、世話をするのが当然といった様に振る舞った。食糧やミルク等は母親が時々帰ってくる時に持って来る事もあったが、次の補給はいつになるか分からなかったため、ニックはなるべく多くは使わない様にした。リチャードのミルクも水で薄めて飲ませるしかなかった。ふっくらしていたリチャードは、みるみるうちに痩せ細り、事ある度に泣く様になった。母親が男を連れて帰って来た時にリチャードが泣いていると、うるさいと言われてニックは殴られた。

このような生活が続く中、リチャードがあまり泣かない様になり、その代わり動き回る事もしなくなった。ニックは誰かに助けて欲しかった。こんな時でも母親は帰って来なかった。ミルクはもちろん、ニック自身が食べるものも無くなり、リチャードの身体が冷たくなっても、ニック自身もまた涙を流す事も出来ない程弱っていた。ニックはリチャードと並んでクローゼットの中の毛布の上に横たわり、動けないでいた所、知らない大人達がやって来てクローゼットの扉を開けた。久しぶりに見た光は眩しく、最初は誰が立っているのかもニックには判別出来なかった。そこに立っていたのは、警察と児童保護局の大人達だった。

ニックは知らない大人達によって、子どものいない夫婦のもとへ里子に出された。遠い親戚だよ、と言われてもニックにはピンと来なかった。里親は優しかったが、ニックは心の何処かで二人がやがて急変し、自分を殴る様になるんじゃないかと疑い続けた。

ニックは口数も少なく、常に他者への疑いを抱いていたため、近所に住む子供達とも馴染めずにいた。その噂を耳にし、6歳になった位の頃のニックの元に来たのが、ジェシカの父トーマスだった。トーマスの発掘のワークショップには大人も子供も大勢参加していた。ニックはそこで初めて古生物学に触れ、動かないながらも様々な情報を語りかけてくる化石の世界に魅了された。想像する太古の世界の中でなら、ニックは自由な気持ちになれた。

トーマスのワークショップに通う様になって、ニックは時々父の手伝いに来ていたジェシカと知り合った。彼女は当時から他の子供とは違っていた。しっかりしていて、色んな事を知っていて、自尊心に溢れていて、要領よく何でもこなせる彼女に出来ない事はないのではないかとも思わせた。だが、トーマスが道路に飛び出した子供を助けようとして自動車事故に遭って亡くなったと聞いて、葬儀の場で涙を流すジェシカの姿を見た時、ニックは本当の彼女を見た様な気持ちになった。ワークショップもなくなり、何となくジェシカとは疎遠になっていたが、ジェシカがネオ・ムセイオンの実験に参加するという話を耳にして、同じスカウトがニックの所にも来た時は即座に承諾した。お世話になっていた養母ががんで亡くなった事もあり、世話になった家を出る事には何の悔いも躊躇いもなかった。

だが、実際にネオ・ムセイオンの実験に参加してみて、ニックはどんどん先のステップへと進むジェシカにはかなわない様な、諦めの様な気持ちが5ヵ月の間に生じたのも確かだった。そして彼の心に止めを指したのは、誰でもない、アサナギ・スイの存在だった。

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