26章
暗い表情で集古館からラボに戻ってきたスイを見て、フェイはどうしたのかしら、と思った。
スイは何も言わず、デフテロの見える所まで進み、額をペタッとアクリルパネルにくっつけた。
「スイ、集古館で何かあったの?」
「フェイさーん、私、ニックに悪い事言っちゃったかも…」
「ニックを怒らせちゃったの?」
「怒鳴られたり、暴力を振るわれたりした訳じゃないんですけど、うかつに発言したせいで傷付けちゃったかなあって…」
「うかつに発言?」
「ねえフェイさん。フェイさんのお母さんってどんな人ですか?」
「なあに、いきなり。そおねえ、貴女に言うのは酷かもしれないけど、私の母は典型的な教育ママだったわ。それで、リュケイオン卒業の後は企業勤めして、結婚して欲しかったみたい。でも私はここで研究を続ける道を選んだ。最初は反対してたけど、最終的には私の判断を認めて後押ししてくれたし、仲は悪くはないわ」
「そうなんですね。ジェシカはお母さんとあまり仲良くないみたいだし、ニックはお母さんが死んでくれて良かったとまで言ってた。それなのに私、皆に家族がいるからいいなあって言っちゃった…」
「それは仕方ないわ。貴女を責めても仕方のない事だもの。責めるべきは私達より年上の人達が起こした大戦と、その被害者が今もいるって事に関心を持たず、知ってても何もしない生き残った人々の方よ」
「スイは頑張ってると思うよ。ここに来て日も浅いのに、自分のアバターの方だけでなくて、他のアバターの事も気にかけるなんて」
同じくラボにいたミッコが、フェイにコーヒーの入ったマグを渡した。
「スイもコーヒー飲む?」
スイは額をアクリルパネルにつけたまま、首をゆっくり縦に降った。
スイはセイに自分の母親の事を教えて欲しいと強く心で呼びかけ続けたが、こんな時に限ってセイは全く反応しなかった。前に同調した時に見た子供の頃の記憶の残像を必死に呼び戻そうとしたが、頑なに意識の底からは浮かんできてはくれなかった。
「母さん…」
スイが泣きそうな目でデフテロを凝視していると、ミッコがスイの隣に来て、コーヒーの入ったマグをそっと差し出した。
同じ頃、ネオ・ムセイオン内の大会議室内では、緊急理事会が開かれていた。所長であるアリッサの他、ドリーの姿もあった。
ホログラムで浮かび上がる10人と室内にいる5名は丸テーブルを囲み、丸テーブル中央に映し出された世界地図に注目していた。ホログラムのうちの一人で、禿げ上がった頭をした小柄な初老の男、ライオネル・ドーキンスが発言した。
「現在ギガスが出現したのは2体。1体目はデフテロの同調実験中で、2体目は地上の再開発調査中。レポートによると、今後も出現し、再開発を妨害する可能性があるとの事。間違いないね、アリッサ?」
「ええライオネル。2体目のギガスに至っては、旧アメリカ海軍の軍港に隠されていた核ミサイルを用いて撃沈する程の規模だったと」
「それで本日の議題になる訳だが、我々のバックにいる世界連合は、デフテロ及びそのパートナーを平和維持軍に差し出せと仰せだ。それに応じるか否か。また、ギガスの調査を世界連合主体でやるとも言っている。我々としても地上の調査から手を引くかどうか。ここは民主的に理事会メンバー全員の意見を伺いたい」
まず挙手したのは、ホログラムの一人、王到遠だった。
「ドーキンス所長、世界連合は我々の協力なしでアバターを実用化するつもりなんですか?」
「その様だ」
「アバターの実用化はまだ時期尚早かと思います。今のところ完全に地上へ送り込めたのはプロトとデフテロしかなく、我々の方でも貴重な研究材料を失うのは大きな痛手です」
「そうだね、ダオユァン。仮にデフテロを軍に渡したとして、次に同調が上手く行きそうなペアはどの位いるかね?」
その質問には室内にいるメンバー、カビーア・ラジャンが答える。
「現在適性が見られるペアは、ユーラシアに2体、アフリカに3体、アメリカに4体います」
「ライオネル、それにもう1体加えて頂戴。間もなくカナメのアバターも誕生する予定だわ」
「結構。ネオ・ムセイオンには現時点でプロトがおり、後には全部で10体のペアが控えている。そしてアリッサの提唱したプランが実証出来れば、実用化も夢ではないだろう」
「ではデフテロ及びそのパートナーを世界連合へ渡すという事でよろしいかな」
「ちょっと待って下さい」
3人の所長の会話を遮って挙手し、発言したのはドリーであった。
「この件についてはデフテロのパートナーであるアサナギ・スイの意思を尊重すべきなのではありませんか?」
「彼女は未成年者だろう?ましてや素性も分からない浮浪児だ」
「アーロン、彼女はなりたくて浮浪児になった訳ではないでしょう。今まで国籍も支援もなく、社会的に受けられる権利も受けられずにいたのです。彼女がこれからどう生きたいか、彼女には自分で決める権利があります」
「だがドリー。彼女は児童厚生機関、すなわち世界連合が保護した子供。我々はそのうちの1人を世界連合から借り受けている様なものだ。世界連合が返せと言うのなら返す他なかろう」
「マーギュリス所長、スイはネオ・ムセイオンのメンバーとなる誓約書にはサインしておりますが、軍隊へ入る事については署名していませんし、従って平和維持軍へ行く様に強いる事は出来ません。何より彼女は今、ネオ・ムセイオンで用意した寮には入らず、自分の意思で私の農場に来て、これまでの空白を埋めるかのように農業や社会や共同生活等、様々な事をかなりのスピードで学んで行っております。どうか彼女に選択肢を与えてあげて頂けませんか?」
「ドリーの意見に反論はあるかな?ウォルター」
ドーキンスの質問に、ウォルター・マーギュリスは右手の中指で眼鏡のブリッジをあげながら答えた。
「世界連合がデフテロを引き渡す様、要求してきたのには他の理由もあるようだ」
「それは?」
「デフテロが旧アメリカ海軍の隠し兵器を見つけ出した能力を危険視していると言うことだ」
「つまり、世界連合は我々がデフテロを使って地上に隠されている核兵器の存在を全て暴いてしまうと?」
「そうとも取れるし、デフテロを使えば人類が地上に残してきた核兵器を復活させられる。つまりはデフテロと核兵器を巡って新たな争いが起きるのを防ぎたいと考えるのが妥当だろう」
マーギュリスの発言に、ホログラムのメンバーの一人、カール・オケレケが挙手する。
「ギガスを使って地上の覇権を握ろうとする勢力を、デフテロと核兵器で抑えたい、というのは表向きの理由ですか?」
「そうだ、カール。世界連合はギガスを擁する勢力を抑えつつ、我々が平和維持軍を凌ぐ力を持たぬ様、自分たちの支配下に置きたいと言うことだ」
「元々我々の地上調査とアバターの研究の後押しをしていたのが、これからは調査にも研究にもその内容の公表にも介入する様になると云う事でもあるわけですね」
場内が静まった。沈黙の後、アリッサが口を開く。
「我々はデフテロを世界連合へ引き渡す。だが、パートナーについては未成年者ではあるが個人の契約の問題となるため、本人の意思に委ねる。表向きそういう結論でいかが?」
「アリッサの案に反対する者は?」
誰も手を上げなかった。
「では、アリッサの案を我々の総意とする。次に、地上の調査から手を引くかどうか。これについてはいかがかな?」
ホログラムの1人、ガウタム・ラナ・ラディカが静かに挙手をする。
「確かに地上調査を続行するには、ギガスによる妨害が心配されます。とはいえ、人類が海洋及び地下コロニーで生き続けるには限界があります」
「ラディカの言う通りです。海洋コロニーは資源面では不足はありませんが、設立には時間と費用を要します。その一方で地下コロニーを造るのは容易ですが、酸素と食糧供給の面ですぐに飽和状態となります。また、地下コロニーを増やす事で地下水の喪失や土壌汚染が拡大し、地上の砂漠化が100年の間に急激に進んだ要因の一つとなっております」
ラディカに続き、室内にいるドミニク・ブラウネルが熱弁する。だが、それに水を指す様に、ホログラムの一人、オーウェン・フィッツジェラルドが言った。
「実際に調査で人間が地上に行く訳ではない。行くのはアバター達で、ギガスと戦うのもアバター達だ。アバターを同調するパートナー達も地上に行く訳ではない。我々はアバターが地上で獲得してくるデータさえあれば良いのでは?」
「オーウェンの言う通りだと思います。我々が直接地上の調査に携わらなくても、デフテロやその他のアバターが収集してくるデータを基に研究する事だって可能です。余裕が出来た分、地上の再開発の研究に力を入れればよろしいではないですか」
室内にいるパク・ソヒョンが発言すると、
「だがね、スー。地上調査から手を引くには、せめて我々のアバターがあと何体か誕生して、実用化への目処がついてからでも良いのではないですか?」
とダオユァン。これまで沈黙していたホログラム、リン・コヴァルスカが発言する。
「カビーア、次のペアはいつ頃誕生する見込みですか?」
「早ければユーラシア支部のペアが数週間で1体、アメリカ支部のペアが1ヵ月程で1体誕生する見込みです」
「残りのアバターが全て誕生するには?」
「半年から1年の間には終わるでしょう」
「ではその1年で、ネオ・ムセイオンのアバターを全て誕生させ、実用化にこぎつけられれば、我々は地上調査から手を引いても問題ないですか?」
「そうですね、リン。1年後という期間が決まれば、準備とスケジュールは多少タイトになりますが、我々の実験すべき事は絞られる」
ドーキンスは満足そうにうなずいて言った。
「それでは、地上調査については1年間を目処に我々の方で継続するが、アバターの実用化が出来たタイミングで終了すると、世界連合に回答するとしよう。皆さん、それで異論はないかな?」
円卓の全員が異議なしと答えた。会議が終わり、5名を残してホログラム像が消えた。それを見届けると、アリッサは立ち上がって足早に会議室を出て行き、それに続く様に他のメンバーも会議室を立ち去った。




