25章
スイはジェシカとの遅めのランチを終えると、着替えてまたバスに乗り、アンディのバイオリンレッスンに向かう事にした。ジェシカはこれからリュケイオンで授業を受ける予定との事で、途中迄一緒に行く流れになった。
バスの中は今日も空いていて、誰もいなかった。一番奥の5人掛けの座席に二人で並んで座りながら、バスの出発を待った。スイはまだエミールシステムの専用タブレットのオンライン授業のみで済んでいたため、同世代の子供達がリュケイオンで受けているグループ型の講義には参加したことがなかった。それでジェシカにリュケイオンの講義の事を尋ねたところ、
「私だって普段日中に実験が入る事が多いから、ここ最近は補習ばっかりよ。分かりきったことを教わりにわざわざ行くのも面倒なんだけど、受けとかなきゃ進級出来ないから仕方なく受けてる感じ」
と言い放った。
「正直、ネオ・ムセイオンの博士達とずっと一緒にいると、同級生が幼稚に見えて来る事もあるわ」
とは言いながら、スマートウォッチにリュケイオンの友人らしき女の子から連絡が入るとかなり親しげに会話をしていた。
ジェシカの八方美人ぶりを黙って横で見ながら、スイはネルやライラ達の事を想った。ごみ捨て場で共に保護された皆は元気にしているのだろうか?
「おやおや、君たちお揃いで」
バスに乗って来たのはエドとニックだった。
「お疲れ様です。エド博士、ニック」
ジェシカはスマートウォッチでの会話をさっと切り上げると、猫を被った笑顔で二人に挨拶した。
「これからお二方は帰宅かい?」
「いえ、リュケイオンで講義を受けます」
「私もバイオリンのレッスンを受けに行く予定です」
「そうか。悪いんだけど、来週辺りでお二人空いている時間があると良いんだが。ニコラス君の趣味に付き合って貰えたらと思ってね」
ジェシカはそれを聞いてムッとした表情を見せた。
「まさか集古館にでも行くんじゃないでしょうね?」
「さすが聡明なジェシカ君、よく分かってるね」
ずっと黙っていたニックが、別に興味がない人をわざわざ連れて行かなくても良いじゃないですか、と口を尖らせると、笑いながらエドが、野郎ばっかりで行くよりも花があった方が良いじゃないか、と返した。
「それにアサナギさんは集古館には行った事ないんだろう?」
「ないです。そう言う施設があるのは、館内の案内で見たことがありますけど」
オーケー、とエドは言うと、その場でスマートウォッチでチーム5とチーム6のスケジュールを調べ上げ、来週月曜日の午後2~3時間程いいか、とフェイとローレンにそれぞれ連絡した。あっという間に週明けの昼間に決まり、ジェシカはむっつりとした表情で頬杖を付きながら窓の外に視線をやった。
集古館見学の日はすぐにやって来た。その日はよっぽど楽しみだったのか、朝からニックも嬉しそうで、やたら農作業中も家の中でも上機嫌だった。その一方で、午前中スイは農場内の野菜の種まきの手伝いを済ませた後、ラボでデフテロの様子を見守りながらエミールの課題をいくつかこなし、平穏な普段の日常と変わらない時間を過ごした。
「スイ、今日は集古館行くんだってね」
打ち合わせを終えたフェイがラボに戻り、課題に取り組むスイの隣に座るとおもむろに話しかけてきた。
「はい」
「集古館、別名デウカリオンの方船。私は専門外だから数える位しか行った事がないけれど、面白い所よ」
楽しんできてね、とフェイは集古館へ向かうスイを送り出した。行って来ます、と答えてスイは集合場所のエレベーターホールに向かった。
エレベーターホールの前には、エド、ニック、ジェシカの他、ローレンもいた。
「よし、揃ったね。じゃあ行きますか」
エレベーターに全員が乗ると、エドはまずスマートウォッチでバーコードリーダーにコードを読み込ませ、普段押そうとしても押せない地下68階行きのボタンを押した。
5人を乗せたエレベーターはスムーズに降りて行き、あっという間に地下の目的地に着いた。扉が開くと、中は真っ暗で、そしてかなりの広さのあるホールで、そして何者かがひしめき合うような気配を感じさせた。
「さあ、子供達。集古館へようこそ」
エドが壁のスイッチを入れると、ホール内の照明が点き、そして沢山の量の化石や剥製の数々が姿を現した。
「おおー!!」
一人興奮して歓声を上げるニック。
「すげぇすげぇすげぇ!!」
スイは初めて見る動かぬ獣や恐竜の化石群に驚き、ただ言葉を失って一つ一つを見守るだけだった。その一方でジェシカは何も言葉を発することなく、冷静な表情でじっと化石を見つめた。
「今日は地質学が専門のローレン博士もいる。ニコラス、聞きたい事があれば好きなだけ質問していいからな」
「エドさん、あざっす!!」
スイは古生物学の勉強は全くして来なかったので、どこから見るのがいいのか、何も分からなかったが、ローレンが古い地層の順からガイドしてくれた。その一方でニックはアノマロカリスやハルキゲニアやオパビニア等と言ったバージェス頁岩動物群の化石の展示の前で写真を撮ったり、エドと専門的な話で盛り上がっていた。ニックと対象的に、ジェシカは化石の一つ一つに付けてある説明書のプレートを丁寧に読んでいた。
「スティーヴン・ガードナー?」
スイはジェシカが見ていたプレートの説明文の末尾に必ずと言っていいほど記載されている名前に気がついた。
「ジェシカのファミリーネームと同じ?」
「そう。スティーヴンは私の祖父よ」
つまらなそうだったジェシカの顔が綻んだ。
「私が幼い頃に亡くなっちゃったけど、私の誕生日にアノマロカリスの模型をくれたり、三葉虫の化石をくれたり、変なおじいさんだったわ。きっと私にも古生物学を好きになって欲しかったんでしょうね」
「スティーヴン・ガードナー博士はここにある化石のサンプルの大半を収集された功績者だ。ちなみに収集品をここに集め、次世代へ残してくれたのがジェシカ君のお父さんで集古館責任者だったトーマス・ガードナー博士だ」
いつの間にかエドとニックもスイとジェシカの会話に交ざってきた。
「俺、昔ジェシカの親父さんに化石発掘のワークショップに誘われて、何となく参加したのがきっかけで、古生物学が好きになったんだよね」
「父の業績における唯一の汚点だわ。本当に」
「ひでーなあ。俺、スティーヴン博士の著書もトーマス博士の著書も全部読んだんだぜ?」
「どうせなら万単位で購入してくれた方が嬉しいのに。印税が入るわ」
「そんなにいらねーよ」
スイはきょとんとしてニックとジェシカのやり取りを見ていたが、
「ジェシカのお家はおじいさんもお父さんもすごい人だったんだね」
とポツリと言った。
「ジェシカは、ネオ・ムセイオンの実験に参加しようと思ったのは、おじいさんやお父さんの影響?」
「うーん、どうなんだろ。たまたま健康診断の後にスカウトが来たから参加してみただけかな。父が交通事故で亡くなってからは私、母とはあまり仲良くなくて、唯一間を取り持ってくれてた祖母がちょうどその頃に入院しちゃって、家を出たかったからもあるかも?」
「そうだったんだ」
「ニックもスイもいいよね。面倒な親や家族に縛られなくてさ」
「面倒でも、お母さんがいるの、いいじゃない。私はうらやましいと思うな」
スイはそう言ってニックの方を見ると、ニックは背を向け、ピカイアの化石を見つめながら言った。
「俺も母親の記憶はほとんどないけど、死んでくれてよかったと思ってる」
張りつめた空気が一瞬で広がり、その場にいた全員が何も言えない空気に変わった。そして室内に見学終了のチャイムだけが鳴り渡り、誰もが沈黙のまま再度エレベーターに乗り、68階を後にした。




