24章
スイはチーム6のラボに戻ると、奥のデフテロが見えるアクリルパネルの脇に座り、スリープモード中のセイに呼びかけた。
「セイ、教えて」
「おはよう、スイ。今日は何を聞きにきたの?」
「私、他のアバターとは会話は出来ないの?」
「そりゃそうよ。あの人達は全くの他人だもの。実際にこの前プロトの声は貴女には聞こえなかったでしょう?」
「そっか…」
「でも、今日スイが会った人達は、パートナーも本体もちょっと闇が深いわ」
「…セイ、どういう事?」
「パートナー、ニコラス君、彼の過去の記憶がアバターの成長と退行に関係してるみたい」
「どんな過去?」
「他人の過去の記憶は軽々しくしゃべれないわ。特に本人が言いたくない事なら尚更」
もういいかしら、とセイが言うと、スイはもう1つだけ、とせがんだ。
「セイは他のアバターとはどうして違うの?」
「ナンセンスな質問ね。それは貴女がジェシカやニコラスとどうして違うのか、と聞いているのと同じ事よ」
セイが再びスリープモードに入ったのを見届けると、スイはラボの中で資料の整理をしていたユリアの隣に立った。
「私にも手伝わせて」
「ありがとう。嬉しいけど、どうしたの?」
「別に何もないです」
「あっそ」
暫く二人は膨大な量の破棄する書類と保存する書類を無言で仕分け続けていたが、スイが囁くような小さい声でユリアに尋ねた。
「どうして私はパートナーに選ばれたんですか?」
「本来デフテロの細胞は、アバターの実験よりもずっと前に行われていた実験で被験体になっていたサンプルだったの。ところが偶然サンプルと同調する可能性が極めて高いパートナー、貴女が見つかった。それで急遽私達はこれまで進めてたニックの実験を他のチームに任せて、貴女の同調を優先する様指示を受けた。まあそんな所ね」
「同調する可能性って、何で計られるものなんですか?」
「大まかに言っちゃうと、アバターのベースになっている人間のDNA情報がより合致しているパートナーとは同調しやすいの。50%以上合致していれば同調できる可能性も50%近くなるのだけれども、貴女の場合は100%合致していたわ。あまりにも出過ぎていて驚いた位」
「それが分かったのはいつのタイミングでだったんですか?」
「急遽ニック達の方をチーム7に引き継いで、貴女の方の実験に回る様に言われたのは貴女と出会う前日の事よ。しかもここの所長の1人、マーギュリス博士からの直々の指示だったし」
「マーギュリス所長?」
「そう。私の母も含めたネオ・ムセイオンを創設した3人の所長の内の1人。もともとアバターの実験は所長達の実験の延長だし」
スイはマーギュリス、と小さく心の中で繰り返した。
「母が進めてる人工的な遺伝子操作でのペアリングでもない限り、パートナーとアバターのベースのDNAが100%合致する事は理論上起こり得ない事だけど、現に貴女は存在してるし、貴女が研究において特別扱いを受けているってニックが思い込んでしまうのも、無理はない事だなとは反省はしてるんだけどね」
スイは無言でうつむいた。
「ニック、アバターの実験に参加する前に、過去に何かあったんですか?」
「ニックはネオ・ムセイオンに来る前、辛い幼少時代を送っていたとドリーさんから聞いた事があるわ。詳しい事は分からないけれど」
「ニックがアバターと上手く同調出来ないのは、過去の記憶がアバターに影響してるのかもしれないって」
「記憶が?」
「セイがそう教えてくれました」
そんなバカな、とユリアは言いかけて、スイの方を見た。
「それじゃ、現状で進行中のアバターとペアリングの実験を全部貴女を通じてデフテロに見て貰えば、何が原因で進行が遅れているのか、どうすれば促進させられるのかが分かるって事なのかしら?」
「それは分かりませんけど、セイは様々な過去を記憶しています。だけど私の過去についてはちっとも話してくれないし、ニックの過去も軽々しく話せない、と言って教えてくれませんでした」
そろそろバイオリンのレッスンに行きますね、とスイは廃棄する書類をボックスに投げ入れると、ラボを後にした。
スイはロッカールームへ向かう途中、ロビーで休憩しているジェシカを見つけた。
「あら、スイ」
「ジェシカ。ちょうど良かった。ちょっとだけ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「んー、私、お腹すいてるのよね。付き合ってくれない?」
二人はネオ・ムセイオン内のカフェテリアへ行った。スイは普段ドリーの農場で取れた物を持参するか、柘榴食堂に行く事が多かったので、カフェテリアに来るのは初めてだった。
午後のピーク時を過ぎていて、メニューは半分以上売り切れていたが、ジェシカはサンドイッチとフルーツサラダをトレイに取り、スイは日替わりのランチセットを選択した。レジで会計を済ませると、窓際の席に向かい合って座った。
「それで、聞きたい事って何?」
「ニックの事なのだけど、ジェシカは彼の過去について、何か知ってる?」
「何よ。直接本人から聞いたらいいじゃない」
「ううん、ニックが人には言えないような過去が何かないかを知りたいの」
ジェシカは真顔のまま、ふと窓の外に顔を向けた。彼女の長いブロンドの髪が音を立てずに肩からするりと滑るように流れた。ジェシカは明るい青い色の瞳を外の景色に向けたまま、独り言の様に静かに告げた。
「あいつは、実験に参加する前は大変だったみたい。両親ともヤク中で、ほとんどネグレクト状態だったんだって言うし」
「ネグレクト?」
「いわゆる育児放棄ね。ニックには弟がいた様なんだけど、ほったらかし状態だったから餓死したって言う話だわ」
「ジェシカよく知ってるのね」
「何でも弟が亡くなったのが発端で、両親が逮捕されて、ニックは遠い親戚の家に一時的に引き取られたんだけど、その一家が私の家の近所だったから、隣の家の人と私の親達が話してたのを偶然聞いたのよ」
でも何で急にそんな事気になったの?とジェシカはスイの目を見ながらフルーツサラダのオレンジを頬張った。
「仮説だけど、ニックのアバターが成長しないのは、ニックの過去の記憶がアバターの成長を妨げているのかもしれないの」
「何それ。まるで心理学的な意見ね」
「ジェシカにとってはプロトはどんな存在なの?」
「言葉の通り、地上に置ける仮の姿の私そのものよ」
「私は違うと思う。デフテロにも意思があって、私は単にデフテロが活動する手助けしてるだけと言うか、活動するきっかけを与えてるだけなんじゃないかって」
「それは今、貴女が食べているレタスや小麦や卵や豆にも魂が宿るっていうアミニズムか、あるいはすべての物には神が宿ってるっていう汎神論的な意見でしかないって。ここは神殿や寺院じゃない。世界最大規模の科学研究所よ。貴女の考えは単なる子供の考えた絵空事よ」
「ジェシカは難しい言葉をたくさん知ってて凄いね。私には分からない事だらけ。だけど、世の中は全部が全部、私達の理解が出来る様に動いてるとは限らない気がするわ。ギガスの事もね」
ジェシカは黙ってサンドイッチを頬張り、飲み込み、ミネラルウォーターを一口飲むとスイを青い瞳で真っ直ぐ見て言った。
「スイ、私は貴女の事はごみ捨て場の浄化活動で保護されたストリートチルドレンだって聞いてるけど、隠してる事があるんじゃないの?デフテロが地上に行けばギガスが現れ、博士達の静止も振り切ってギガスとバトルして、昔の核兵器まで持ち出してきて。本当に予想外過ぎて、困惑してるわ」
「ジェシカの言う通り、私はデフテロと同調する迄は、毎日住む家もなく、食べる物もなくてひもじかったし、自分自身の事も分からない事だらけだった。だけど、デフテロと同調し始めてから色んな事が分かる様にもなったし、実験に参加させて貰えるお陰で毎日の生活にも困らなくなった。だから私なりにネオ・ムセイオンやドリーさんの家の皆の力になりたいだけ。悲しいけど、ギガスはこれからも地上に出現するわ。その為にもニックには早く同調を成功してもらいたいの」
「スイ、ニックをギガスとの戦いに巻き込むつもり?」
「この前の合同調査でも思ったでしょう?味方は多ければ多い方が良いし、お互いに知り合い同士なら、更に連携してギガスに対抗できるわ」
ジェシカは真顔で言うスイを前に、背筋に冷や汗が流れて行くのを感じた。




