21章
レッスンを終えたスイは、ドリーの家に戻ると、ちょうどニックが農具を片付けようとしている所に出くわした。
「よぉ」
「ただいま」
スイはジェシカから聞いた事を思い出し、ニックに何か話しかけようかどうしようかと、少し躊躇った。そのスイの躊躇った表情を見たニックが皮肉をぶつけてきた。
「お前、いいご身分だよな。ネオ・ムセイオンに来て早々に地上デビューして、ここにいて農場の作業はそっちのけで、下らない楽器の練習かよ」
スイはカチンときた。
「今日はチーム5との共同作業があったから、3日間は自由にしていいとドリーさんからも許可頂いているわ」
「なるほどな。期待のルーキーともなるとどこへ行っても特別待遇って訳だ」
「特別待遇なんてされてないわ。ニックだって同調実験に参加してるんでしょう?」
「ああそうさ。本来なら俺達のチームのアバターがデフテロになるはずだったんだ。ところがお前の登場ですっかり変わってしまった。おかげでこっちはいつ打ち切りにされてもおかしくない立場になったんだ」
スイは言葉につまって何も言い返せなかった。ニックと一緒にいたラモーナは、心配そうに歩き回りながら向かい合う2人の顔を代わる代わる見上げた。そこへシェアハウスの脇から1人の女性を乗せた車椅子を押しながらユリアが現れた。
「ニック、ネオ・ムセイオンでも農場内でも誰もスイを特別扱いなんてしないし、せっかく進んでるアバター研究を打ち切る予定もないわ」
「だけどそのうちヒトクローン胚で人工的にペアリングを大量生産できるようになれば、初期段階の研究なんて不要になるんだろ?」
「科学においては何事も基礎があってこそよ。それに私達のやっている実験は、まだまだ実用化すべきかどうかもはっきり決まった訳じゃないわ」
ユリアが言うと、車椅子の女性が非常に聞き取りにくい声を発した。ユリアはそんな彼女の顔を見て、そして二人に通訳する。
「ニック、スイ、君達は今ここに存在しているという事実だけでも特別なんだってことを忘れないで、とボニーも言ってるわ」
ボニーと呼ばれた、車椅子の女性が更に何かをしゃべった。
「ああ、ボニーごめんなさい。スイと会うのは初めてだったわね。彼女はスイ。私のチームのアバターのパートナーで、2週間位前から農場で一緒に住む様になったのよ」
ボニーは首は動かさずに視線をスイの方へやり、そしてまた聞き取りにくい声で何かしゃべった。ユリアがすかさず通訳する。
「よろしく、だって」
スイははにかみながら、よろしくお願いいたしますと応えた。
「ちぇっ、もうわかったよ」
うんざりした様な口調でニックは家の中へ入って行った。ニックを心配するかの様に、ラモーナもいそいそと後を追いかけてついていった。
ボニーがニックに向かって大声で何かを話しかけたが、バタンと音を立てて玄関のドアが閉まった。
ボニーが寂しげな声でまた何かをしゃべった。スイはボニーが何をしゃべったのだろうと困惑していると、
「ニック、早く立ち直るといいわね」
とユリアが独り言の様に呟いた。
「ユリア、ニックはどうして同調実験がうまくいかないんですか?」
スイの質問に対し、ユリアは淡々と答えた。
「いいえ、スイ。うまくいってないのではなくて、プロトとデフテロが短期間でうまく行き過ぎただけよ。ニックの他にもあと2人現在進行中のペアリングがいて、そちらのアバターもまだ人型を形成出来ていないと聞いてるわ」
「でも、地下の…」
スイは言いかけて口をつぐんだが、ユリアはスイが何を言おうとしたのか察した。
「そうね。私の母の、所長が進めている研究も同時進行しているようだから、一体どれくらいのアバターが育成されているのかしらね」
ユリアが他人事の様に言うと、玄関のドアが再び開いた。
「まあ、ボニー!いらっしゃい!!」
ドリーだった。ボニーは何を言っているのかは分からないが嬉しそうな歓声をあげ、車椅子に座ったままドリーとハグした。
「ボニー、今日はどうしたの?」
ボニーがドリーに向かって一生懸命何かを話す。
「あら、困ったゴマさんね。卵を買い忘れたなんて。いいわ。ここにあるのを持って行きなさい」
ドリーに言われて、ボニーは車椅子をユリアに押して貰い、家の中へと入って行った。
これまでのやり取りを見ていてスイは、ユリアもドリーさんも、ボニーの言葉が分かるなんて凄いなあと思っていると、
「ボニーは、私の娘は、ユリアに子供の頃からずっと妹の様に可愛がって貰っていてね。ユリアは先天性の障害を負っている娘と、いつも普通に接してくれているからとても感謝しているの」
「ボニーさん、何の障害を?」
「生まれた時は先天性の筋ジストロフィーだろうと言われていたわ。でも遺伝子の情報を入れ替える手術を何度もしたのだけれども、その都度元に戻ってしまったの。 色々な治療法や投薬を試してみたけれど、今の医学の知識ではお手上げだと言われてね。あと何年生きられるか、と毎年の様に言われてきたけど、無事に26年生きられたわ」
ドリーの声には、悲しさを通り過ぎて、諦めの様な悟りの境地に達したかの様なニュアンスが含まれていた。
「娘もね、私に倣ってか、ボニーの家という名の施設を運営しているの。時間があったらスイさん、ぜひ貴女も行ってみて」
はい、と応えてスイとドリーは共に家の中へ入った。




