16章
かつてシリコンバレーが存在していた場所は、廃墟の瓦礫が海水の浸食により脆く崩れ落ち、また周辺に起きた地殻変動によって地形も変わり果てていた。数々の産業を生み出した企業の跡地が、大自然の力によって無に帰す途中とも云えた。ユリアが嘆くでも唖然とした様でもなく、ただ感情もなく呟く。
「生物がいる痕跡もなし。まさに廃屋や兵どもの夢のあと、ね」
「何それ?」
「俳句ポエムよ。500年位昔の」
ハイクなんて、私たち遊びに行ってるんじゃないだから、とローレンがムッとして口を尖らせた。
「そのハイクじゃないんだけどね~」
ネオ・ムセイオン内のユリア、フェイ、ローレンのやり取りを小耳に挟みながら、スイはセイに心の声で話しかけた。
「さっきの、あれは私の記憶なの?」
「そう。今から10年前の事よ」
「一緒にいたのは?」
「私たちのお父様とお母様」
「父さんと母さん?」
「ええ、間違いなく」
セイの声が涙をこらえるかのような、色々な感情を押し殺したかの様な抑揚になり、スイはためらいがちに対話を続けた。
「どうして私、こんな、父さんと母さんに関する大事な事も忘れてたんだろ?」
「一気に思い出さなくても良いことだってあるわ。スイが幼い頃の記憶を失ってしまった事には理由があるし、そのお陰でスイが今幸せに過ごせているという事も事実なの。一つだけ今私からスイに教えてあげられるのは、スイが当時、私たちのお父様とお母様にとてもとても愛されていたという事よ。愛しのパミーナ」
愛しのパミーナ、と言われてスイの頭の中でとてつもなく巨大な怪物が激しくのたうち回るかのような、そして胸の奥底から内臓が一気に喉元まで押し寄せるような、混乱と吐き気がスイの中でこみ上げてきた。
「…父さん‼」
スイの鼓動が早く打ち、その異変に気が付いたチャーリーがラボ内で大声を上げた。
「スイの様子がおかしいです!」
チャーリーの元に駆け寄るフェイとユリア。だがフェイはおかしな点に気が付いた。
「スイとデフテロの脳波がシンクロしていない…?」
だが、ラボのメンバーが見守るモニターの画面上では、デフテロの様子は至って正常であった。そしてスイとデフテロの脳波を示す2本の波線はまた同調を始めた。
「スイ?どうしたの?大丈夫?」
ユリアの問いかけに反応したのは、スイの口を通じて発せられた、セイの言葉だった。
「大丈夫です、ユリア。何も問題ないわ」
ユリアは前回同様、スイの口調が僅かながら変化した事に眉を顰めながらも、落ち着きを保とうと努めながら言葉を発した。
「問題ないの?じゃあこのまま調査を続けてもいいわね?」
「ええ」
ジェシカ=プロトが周辺の地質を計測したり、放射線の状況を調べたりする傍ら、スイ&セイ=デフテロは淡々とプロトの作業の手伝いをしたり、周囲の様子を撮影するドローンの邪魔にならない様、瓦礫の撤去をしたり、ユリア達の目からは何も変わりない様に見受けられた。だが、スイ本人の意識は自分自身の記憶の迷路の中に囚われてしまっていた。デフテロの行動は完全にセイのコントロール下によるものだったのだ。
セイ=デフテロは抜かりなくずっと立ち振る舞っていたが、海岸からさほど遠くない所の海面下に何かがキラキラッと光る違和感を覚えた。
「あれは?」
気が付くとセイ=デフテロはエアボードに乗り、海に向かって疾走していた。
「スイ、どうしたの?」
ユリアの問いかけにも答えず、セイ=デフテロは背中に担いでいた長剣を鞘から抜き、右手で構えながら一気に先ほどのきらめきが見られた海上まで進んだ。
「ジェシカー!この場を早く離れてー!」
陸地で作業をしていたジェシカ=プロトがスイの声を聞いて、立ち上がって海の方を見ると、デフテロが長剣を海面に向かって振り下ろし、それと同時に海面が盛り上がって、海中から黒い鯨の様な表面をした巨大な人型をした何者かがデフテロの振り下ろした長剣を左腕で受け止めている所だった。
「何…あれ…」
恐怖の余り、逃げることも出来ず立ちすくむプロト。
ネオ・ムセイオンのラボでも、スタッフ一同が騒然とした。
「あれも、ギガスなの…?」
フェイも驚きを隠せない様子で呟いた。
セイ=デフテロは敵に向かって何度も長剣を振り下ろした。だが黒いすべすべとした表面に上手く切り込めず苦戦した。
「モイライ、力を貸して…!」
セイは幾度となく長剣を敵の体に叩きつけながら、かつて目の前のギガスを相手に戦った3人の女神達に向かって、そう呼びかけずにはいられなかった。
ギガスはデフテロの攻撃をあしらいつつ、海の底に手を伸ばし、海底に沈んでいた廃墟の瓦礫をおもむろに掴むと、陸地に向かって投げつけ始めた。
瓦礫が海から陸地に向かって飛んで来る中、ジェシカはただエアボードで後退する他思い浮かばなかった。
「ドクター、何かデフテロに応戦できるものはないの?」
「残念ながら武器になるようなものは何も用意してないわ」
ローレンの悲痛な声に、逃げるしかないのか、とジェシカは苦し気に呻いた。
セイ=デフテロは攻撃を耐えず繰り広げながら、一つの戦略を立てた。その戦略に基づき、少しずつ敵を北へ誘導しようとするが、相手が所構わず瓦礫を投げつけるのは非常に厄介だった。
「スイ、もう戦わなくてもいいわ。隙を見て貴女も逃げるのよ!」
ネオ・ムセイオンからユリアの指示が入るが、セイ=デフテロは首を振った。
「私達は逃げない。このまま北上して、ハンターズ・ポイントまで誘導するわ。その間にジェシカは早く逃げて」
フェイはセイがスイの口を通じて発した言葉に、彼女が何をしようとしているのかを察した。
「まさか、旧アメリカ海軍の劣化ウラン弾を使うつもり…?」
「劣化ウラン弾ですって?!」
再びラボ内が騒然とした。
「ハンターズ・ポイントが閉鎖されたのは200年近くも昔だろう?」
「劣化ウラン弾を使えば、また地上が被曝する事になるんだ!」
大人達のざわめきの傍ら、ジェシカだけは冷静だった。
「ハンターズ・ポイントにある劣化ウラン弾を使えば、その黒いのを倒せる?」
「確約は出来ないけど、勝てる確率は上がる」
「じゃあ私がハンターズ・ポイントまで取りに行くわ。デフテロは防戦してて」
「ちょっと、ジェシカ!」
「デフテロに全部押し付けて、私だけ避難するのは後味が悪いわ。ドクター、ハンターズ・ポイントまで誘導して。あとは手持ちのカウンターで探し出してみせる」
もう!というローレンの声がして、ジェシカ=プロトが北へ向かって飛び去って行く様子を確認すると、セイは敵の頭にもう一度長剣を叩き付けた。




