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偉人メンタルクリニック 〜主訴・天下布武。診断名は、書きません〜  作者: 彩原 綴


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第八話 退屈という病


 三日後、信長は荷車で来た。


 正確には、荷車が先に着いて、そのあとから信長が降りてきた。荷の上には布がかけてあり、森と小者が四人がかりで蔵の前に下ろした。十三段は運べないので、地上に並べることになった。


「見よ」


 布が取られた。


 南蛮渡りの品であった。硝子の器。金属の筒。絵の描かれた壺。それから、桐庵には用途の分からない、歯車の組み合わさった箱。


「面白いか」


「面白いですね」


「それだけか」


「それだけでは足りませんか」


 信長は硝子の器を持ち上げ、日にかざした。光が地面に色を落とした。彼はその色をしばらく見ていた。


「これを初めて見たとき、余は三日、眠らなんだ」


「今は」


「見飽きた」


 彼は器を置いた。置き方が雑だった。


 それから、次の荷を持ってこさせた。


 鉄砲だった。玉の込め方が違うのだという。信長は自分で込めてみせ、桐庵に持たせ、重さを確かめさせた。桐庵は重いですね、と言った。信長は満足しなかった。


 次は茶碗だった。高いのだという。桐庵は、いくらですかと訊いた。信長は額を言った。桐庵は、それだけあれば鶏が何羽買えるかを計算しはじめた。信長は不機嫌になった。


 次は相撲だった。呼ばれた力士が二人、蔵の前の空き地で組み合った。信長は前のめりになって見ていた。勝負がついた瞬間、彼は大声で笑った。


 そして、二番目が始まる前に、もう立ち上がっていた。


「次は何がある」


 桐庵は、地面に座ったまま、それを見ていた。


 見ていて、分かったことがあった。


 この人は、新しいものを見ているあいだだけ、息ができている。


 硝子も、鉄砲も、茶碗も、相撲も、目的ではない。全部が同じ一つのことをしている。彼の中で常に鳴っている何かを、少しのあいだ黙らせているだけである。


 そして黙る時間は、年々短くなっている。


 三日眠れなかった硝子が、今は一瞬もたない。


 後の世に、この状態には名前がついている。


 注(・)意(・)欠(・)如(・)多(・)動(・)症(・)、という。


 生まれつき、頭の中の手綱が短い。注意が一つのところに留まらず、思いついたことが、決める前に体から出る。怠けでも、育ちの悪さでもない。脳のつくりの話である。


 ただし、それだけでは名前はつかない。子どもの頃から始まっていて、城でも野でも同じように出ていて、そのせいで一日が立ち行かなくなっている。そこまで揃って、初めて名前がつく。


 待てないこと。一つが続かないこと。話が途中で別の話になること。新しいものがないと息ができないこと。しかもそれが、子どもの頃から、場所を選ばず続いていること。桐庵の知っている枠に、この人はよく当てはまった。当てはまりすぎるほどだった。


 ただし、と桐庵は思った。


 退屈が嫌いな人間は、いくらでもいる。次から次へと手を出す人間も、いくらでもいる。仕事が詰まっている月は、誰でもそうなる。正常な人間というものが、どこかにいるわけではない。


 名がつくのは、それが何十年も続いて、その人の一日を壊しているときだけである。


 この人の一日は、壊れていた。


 桐庵は、それでもその名前を口の中で転がして、捨てた。


 名をつけたところで、この人の中の音が止まるわけではない。名前は、鳴っているものを説明するだけで、鳴りやませはしない。


「医者」


「はい」


「何を考えておる」


「上様は、退屈が痛いんだろうな、と」


 信長の動きが、止まった。


「痛い」


「ええ。他の人にとって退屈は、ただ何もないことです。上様にとっては、たぶん痛みです」桐庵は立ち上がり、袴の土を払った。「歯が痛いときに、人は何かを噛みますよね。あれと同じで、痛いから次の物を口に入れる」


「……」


「硝子も、鉄砲も、茶碗も、噛むためのものです」


 信長は、置いたばかりの硝子の器を見た。


 それから、桐庵を見た。


「治るか」


「治りません」


 あまりにあっさり言ったので、森が階段の上で転びかけた。


「治らぬのか」


「痛みの感じ方は、人によって違います。上様は退屈が痛い。私は静かなのが好きです。それは治すものではありません」


「では、どうせよと」


「痛いときに何を噛むかを、選んでください」


 信長は眉を寄せた。


「噛むものによって、後で困るものと、困らないものがあります」桐庵は硝子の器を指した。「これは、困らない」


 それから、鉄砲を指した。


「これは、困る人が出ます」


 蔵の前が、静かになった。


 信長は鉄砲を見ていた。長いこと見ていた。


 やがて彼は、それを小者に渡し、荷車へ戻させた。


 そして、硝子の器だけを持って、地面に座った。日にかざした。地面に色が落ちた。


 桐庵は隣に座った。


「灸、しましょうか」


「要らぬ」


「そうですか」


 二人は、しばらく色を見ていた。


```

──────────────────

  診 療 録

  患者番号 〇〇〇一


 氏名 織田上総介信長

 年齢 四十二

──────────────────

 主訴

  家臣どもの仕事が遅い。


 所見

  新奇なものによる鎮静。持続時間が年々短縮。

  硝子、鉄砲、茶器、相撲——いずれも同じ役割。

  「見飽きた」の間隔が、数年から数刻へ。


 診断

    ──


 処方

  噛むものを、選ぶこと。


 備考

  この人にとって、退屈は痛みである。

  痛みを叱っても、止まらぬ。

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