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偉人メンタルクリニック 〜主訴・天下布武。診断名は、書きません〜  作者: 彩原 綴


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第二十四話 できるだろう、光秀なら


 使いが来たのは、それから十日ほど後だった。


 今度は、桐庵が呼ばれた。


 安土である。


 城はまだ建ちかけていた。石垣が山を巻き、その上に足場が組まれ、人が蟻のように動いていた。桐庵は普請場の脇を通り、仮の屋形へ通された。


 通された部屋に、二十人ばかりが並んでいた。


 上座に、痩せた男が座っていた。


「遅い」


 半年ぶりの第一声が、それだった。


「申し訳ありません」


「どこにおった」


「甲斐です」


 部屋の空気が、変わった。


 二十人が一斉に桐庵を見た。


 信長は、目を細めた。


「甲斐だと」


「はい」


「武田を見たか」


「見ました」


「どうであった」


 桐庵は、少し考えた。


 考えて、言った。


「太っておられました」


 信長の目が、さらに細くなった。


「嘘を申せ」


「嘘です」


「……」


「すみません。旅の話は、また今度に」


 信長は、鼻から息を吐いた。


 それきり、追及しなかった。追及しない男である。面白くなければ、次へ行く。


「座れ」


「はい」


 桐庵は末席に座らされた。


 評定が始まった。


 報告が上がり、信長が決める。速い。異常に速い。一つの案件に半刻かからない。家臣が説明を終える前に「よい」「ならぬ」が出る。


 三つ目の案件のとき、信長が言った。


「丹波だ」


 部屋が、静かになった。


「波多野が離れた。赤井も動いておる。あれを平らげる」


 誰も口を開かなかった。


「光秀」


「は」


 桐庵の斜め前で、声がした。


 痩せた背中が、まっすぐに伸びた。


「そなたが行け」


「承知いたしました」


 即答だった。


 信長は、次へ移った。


「それから、坂本の城だ。あれを大きゅうする。湖の船着きも広げよ」


「承知いたしました」


「京の治安も、そなたが見よ。町衆が騒いでおる」


「承知いたしました」


「あと、朝廷との繋ぎもだ。あれらは公家の言葉でないと動かぬ。そなたが行け」


「承知いたしました」


 四度目である。


 桐庵は、その背中を見ていた。


 背筋が、四度とも同じ角度で伸びた。声の調子も、四度とも同じだった。


 部屋の中で、誰も何も言わなかった。


 右手の列にいた大柄な男が、膝の上で拳を作った。作って、また開いた。左手の列の若い男は、天井を見ていた。誰もが、何かを言いたくて、言わない顔をしていた。


 信長が、次の案件に移ろうとした。


「ちょっと待ってください」


 桐庵が言った。


 二十人が、振り返った。


 信長の視線が、末席に落ちた。


「なんだ」


「一人に振りすぎです」


 部屋が、凍った。


 誰かが息を呑む音がした。誰かが袴を握り直す音がした。


 光秀が、振り返った。


 その顔を、桐庵は初めて正面から見た。


 驚いていた。


 迷惑そうでもあった。


 そして——ほんの一瞬だけ、別のものが混じっていた。


 桐庵は、それを見逃さなかった。


「医者」


 信長の声が、低かった。


「はい」


「誰が決めた」


「何をです」


「振りすぎかどうかを、誰が決めた」


「私です」


「なぜ」


「医者ですので」


 信長は、しばらく黙っていた。


 黙って、末席の男を見ていた。


 それから、正面に向き直った。


「次だ」


 評定は続いた。


 桐庵の言ったことは、なかったことになった。


 評定が終わり、諸将が立ち上がるとき、右手の列にいた大柄な男が、桐庵の横を通りながら、ほとんど聞こえない声で言った。


「……よう申された」


 桐庵が顔を上げたときには、その男はもう行ってしまっていた。


 廊下で、光秀が待っていた。


「医者殿」


「はい」


「先ほどのことにございますが」


 光秀は、丁寧に頭を下げた。


「二度と、なさいませぬよう」


 顔を上げたとき、彼はまた微笑んでいた。


──────────────────

  診 療 録

  患者番号 〇〇一三


 氏名 明智十兵衛光秀

 年齢 四十九

──────────────────

 主訴

  胃が痛む。眠りが浅い。


 所見

  一度の評定で、四つの任を受諾。

  所要時間、およそ三十呼吸。

  四度とも同じ姿勢、同じ声量。

  同席の家臣二十名、全員が沈黙。


 診断

    ──


 処方

  ——


 備考

  部屋の中で、誰もが何か言いたい顔をしていた。

  誰も言わなかった。

  それが二十年続いた部屋の、顔つきである。

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