第十五話 重すぎる
「一日、お供させてください」
翌朝、桐庵はそう言った。
晴信は、湯漬けを食べる手を止めた。
「供」
「はい」
「何をする」
「同じことをします」
「同じこと」
「上様がなさることを、全部、同じようにやります」
晴信は、湯漬けを飲み下した。
「できぬぞ」
「やってみます」
一日目。
起床は、七つ。まだ暗い。
桐庵は起きられなかった。燈に足で蹴られて、ようやく起きた。
館へ着くと、晴信はもう書状を読んでいた。桐庵は隣に座らされ、同じ山から紙を取って読んだ。読んだが、字が崩しすぎていて半分読めなかった。晴信は無言で正しい読み方を指で示した。
朝餉のあと、評定。
諸将が並び、報告が次々に上がる。晴信は聞きながら決めていく。桐庵は聞いていた。聞いているうちに、誰がどこの誰なのか分からなくなった。同じ「馬場」という名の者が二人いた。
昼を過ぎて、来客。
僧が来た。寺の話をした。長かった。次に商人が来た。塩の話をした。もっと長かった。晴信は両方に相槌を打ち、両方から必要なものだけを取り出して、帰らせた。
夕刻、軍議。
絵図が広げられた。信濃の地図である。桐庵には、線が線にしか見えなかった。
夜、書状。
晴信は二十通を読み、十四通に返事を書いた。
桐庵は、六通目で眠った。
二日目。
同じことが、順番だけ変えて起きた。
桐庵は評定で一度、居眠りをして、隣に座っていた大柄な男に肘で突かれた。その男は「馬場」と名乗った二人のうち、年上のほうだった。
三日目。
桐庵は、昼の来客のところで腹を壊した。
厠から戻ると、晴信はまだ僧の話を聞いていた。同じ姿勢で、同じ顔で。
夕刻の軍議で、桐庵は絵図の前に座ったまま、前のめりに倒れた。
四日目。
起きられなかった。
目が覚めたのは昼過ぎで、蔵の筵の上だった。燈が横に座って、銭を数えていた。
「起きました」
「……何時です」
「昼です」
「館は」
「行ってません」
桐庵は起き上がろうとして、やめた。腰が立たなかった。
その日の夕方、晴信が蔵へ降りてきた。
降りてきて、筵に寝ている桐庵を見下ろした。
そして、笑った。
腹の底から笑った。階段の上の家臣たちが、驚いて覗き込むほどの声だった。
「四日だ」
「……三日半です」
「四日と言うてやろう」晴信は台に腰を下ろした。「よく保ったほうよ」
桐庵は、ようやく上体を起こした。
「上様」
「なんだ」
「あれを、いつからやってるんですか」
「二十年」
「毎日ですか」
「毎日」
「休む日は」
「ない」
桐庵は、しばらく黙っていた。
それから言った。
「よく生きてますね」
晴信は、湯を飲んだ。
「生きておる」
「眠れないのは、当たり前です」
「当たり前か」
「当たり前です」桐庵は膝を抱えた。「私は三日半で潰れました。上様は二十年やっている。同じ体ではありません」
「儂は、丈夫にできておる」
「丈夫な人ほど、気づくのが遅れます」
晴信の手が、椀の途中で止まった。
「気づく」
「壊れかけていることにです」
蔵の中が、静かになった。
晴信は椀を置き、太い指で膝を叩いた。二度、三度。考えているときの癖らしかった。
「医者」
「はい」
「儂は、あれを重いと思うたことがない」
「でしょうね」
「重いのか」
「三日半で潰れる量です」
男は、また指で膝を叩いた。
「では、皆はどうしておる」
桐庵は、顔を上げた。
「皆と申しますと」
「家臣どもだ。儂と同じだけ働いておる者がおる。あれらは潰れておらぬ」
桐庵は、少し考えた。
考えてから、言った。
「上様。それは、潰れていないのではなく、上様に見せていないだけかもしれません」
晴信は、答えなかった。
その夜、館の灯りは、いつもより早く消えたという。
燈がどこからかその話を聞いてきて、桐庵に伝えた。桐庵は「そうですか」とだけ言った。
そして、次の日から、患者が増えはじめた。
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診 療 録
患者番号 〇〇〇六
氏名 武田大膳大夫晴信
年齢 四十一
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主訴
眠れぬ。二十年。
所見
日課を医師が模倣。三日半で医師が臥床。
本人、これを二十年間、無休で継続。
「重いと思うたことがない」と発語。
診断
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処方
当面、そのままでよい。
ただし、自分が普通だと思わぬこと。
備考
この人の一日は、他人が三日で潰れる量である。
本人は、それを普通と呼ぶ。
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