第八話 愛の終わりは金の切れ目
第八話 愛の終わりは金の切れ目
翌朝、公爵邸は地獄と化していた。
まだ陽も完全には昇りきっていない。
灰色の冬空の下、重厚な公爵邸の正門前へ次々と馬車が止まっていく。
王国税務局。
国境警備隊。
王宮監査部。
黒い制服を纏った男たちが、雪を踏みしめながら屋敷へ雪崩れ込んだ。
「家宅捜索です!」
「脱税資料を押収します!」
「公爵家関係者はその場を動くな!」
怒号が朝の静寂を切り裂く。
使用人たちの悲鳴。
走り回る足音。
割れる食器の音。
かつて格式高かった公爵邸は、今や崩壊寸前の市場のように騒がしかった。
「な、何事ですか!?」
若い侍女が泣きそうな顔で叫ぶ。
「知るか! とにかく帳簿を探せ!」
「地下倉庫を開けろ!」
調査官たちは容赦がなかった。
扉を開け放ち、棚を調べ、金庫を封鎖していく。
赤い封印札が次々と貼られていった。
厨房では朝食の準備途中だったらしく、焼きかけのパンの香りが漂っている。
だが温かな匂いとは裏腹に、空気は凍りついていた。
二階の寝室では、アリアが金切り声を上げていた。
「いやぁぁぁ!!」
絹のナイトドレス姿のまま、彼女は化粧台の前で半狂乱になっている。
鏡台には宝石箱が散乱し、真珠の首飾りが床へ転がっていた。
「触らないで!!」
税務官が淡々と言う。
「違法取得資産の可能性があります」
「違法って何よ!? これはルード様にもらったの!!」
「つまり公爵家資産ですね。押収対象です」
「そんなぁ!?」
アリアは崩れ落ちた。
昨日まで、彼女は自分を勝者だと思っていた。
豪華なドレス。
高級宝石。
毎晩の晩餐会。
すべてが永遠に続くと思っていた。
だが今。
宝石箱は没収され、衣装部屋には封印札が貼られている。
鏡に映る自分は、乱れた髪と泣き腫らした顔の女だった。
「全部あの女のせいよ……!」
アリアは歯を食いしばる。
「レティシアが……!」
その時。
寝室の扉が乱暴に開いた。
ルードヴィヒだった。
礼装のまま一睡もしていないらしく、髪は乱れ、顔色は土のように悪い。
「おい! 金庫の鍵はどこだ!」
「知らないわよ!」
「お前が持ってただろうが!」
「そんなの執事が管理してるに決まってるでしょ!」
二人は怒鳴り合う。
もう昨夜までの甘い空気はどこにもない。
「全部あなたのせいじゃない!!」
アリアが叫んだ。
「横領なんかするから!」
「お前が浪費したんだろうが!!」
「だって買っていいって言ったじゃない!!」
「誰が毎月ドレス十着も欲しがる!?」
「愛してるって言ったくせに!」
「だからって金貨数万枚も使うか普通!?」
醜い罵り合いだった。
使用人たちは廊下の端で青ざめている。
以前のレティシアなら、こんな騒ぎになる前にすべて処理していた。
感情で怒鳴ることもなく、静かに帳簿を整え、支払いを済ませ、屋敷を維持していた。
だがもう彼女はいない。
その現実が、公爵邸のあらゆる場所に表れていた。
「旦那様!」
執事が駆け込んでくる。
「地下倉庫も封鎖されました!」
「なんだと!?」
「さらに領地管理局から通知が……」
震える手で羊皮紙を差し出す。
ルードヴィヒは乱暴に奪い取った。
そこに記されていたのは。
『公爵家財産管理権、一時停止』
「…………」
ルードヴィヒの唇が震える。
領地。
収穫。
税収。
すべて凍結。
つまり。
完全終了だった。
「嘘だ……」
力なく呟く。
「こんなこと……ありえない……」
その時、玄関ホールから重い足音が響いた。
国境警備隊だった。
黒革の外套に銀の鎧。腰には剣。
先頭の隊長が冷たく告げる。
「ルードヴィヒ公爵」
「国家資産横領および脱税容疑により、身柄を拘束する」
「待て!!」
ルードヴィヒは叫んだ。
「私は公爵だぞ!?」
「元、でしょう」
淡々と返される。
その一言が胸に刺さる。
「ふざけるな!!」
「抵抗するなら拘束を強行する」
ルードヴィヒは後退った。
初めて本物の恐怖が目に宿る。
今まではどうにかなった。
どれだけ浪費しても。
どれだけ借金しても。
最後はレティシアが片づけていたからだ。
だがもういない。
誰も助けてくれない。
「ルード様……」
アリアが怯えた声を漏らす。
しかしルードヴィヒは振り返らなかった。
余裕もない。
愛する女を守る余力すら。
「わ、私は悪くない!」
アリアが突然叫んだ。
「全部ルードヴィヒがやったのよ!」
「……は?」
「わたし騙されてたの!」
ルードヴィヒが信じられない顔をする。
「お前……!」
「だって知らなかったもの!」
「ふざけるな!!」
二人は再び怒鳴り合った。
だが警備隊は冷めた目で見ているだけだ。
金で繋がった関係は、金が尽きれば終わる。
それだけだった。
やがて警備兵がルードヴィヒの腕を掴む。
「離せ!!」
「往生際が悪い」
「私は公爵だぞ!!」
「もう違う」
その言葉と共に、彼は連行された。
雪の降る庭へ引きずられていく。
白い息。
冷たい風。
屋敷を見上げた瞬間、ルードヴィヒはようやく理解した。
失ったのは金ではない。
この家そのものを支えていた人間だったのだと。
だが。
気づくには遅すぎた。




