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8話

 神浜市かみはましの夜空に、突如として不気味な亀裂が走った。


 ガラスが割れるような甲高い空間の軋み音が街中に響き渡り、空にポッカリと開いた赤黒い穴から、ドス黒い魔素が滝のように降り注ぐ。


「――空間歪曲くうかんわいきょくを確認!裏通りの中心部で『ダンジョンブレイク』が発生しました!!」


 黒王会の本拠地であるオフィスビル。その最上階にある俺の執務室に、見回りをしていた部下の一人が血相を変えて飛び込んできた。


 デスクで帳簿の計算をしていた俺は、持っていた万年筆を置き、窓の外を見下ろした。


 本来なら平和なはずの夜の繁華街が、阿鼻叫喚の地獄へと変貌しつつあった。


 空間の亀裂から次々と溢れ出してきたのは、複数の魔物の部位を不自然に縫い合わせたような異形の怪物――『下級合成獣レッサー・キメラ』や、身体に不気味な管や金属が埋め込まれた痛々しい姿の魔犬などの群れだ。


 逃げ惑う一般市民の悲鳴と、車のクラクション、そして魔物たちの野卑な咆哮が混ざり合い、街をパニックに陥れている。


「……なんだあの群れ。どいつもこいつも、自然界の生態系じゃあり得ねェ、人工的に造られたような『ツギハギ』のバケモノばっかじゃねェか。魔法観測局が検知していた『異常な魔力溜まり』ってのはこれのことか」

「若頭! いかがなさいますか!このままでは我々のシマがいえ、この町が蹂躙されてしまいます!」

「決まってるだろうが」


 俺は立ち上がり、青白い雷の魔力をバチバチと指先に走らせた。


「ここは黒王会ウチの……いや、ボスの庭だぞ。泥靴で上がり込んできた害獣どもを、一匹残らず駆除しろ。元『毒蛇』の阿木達は逃げ遅れた一般市民の救助と避難誘導に回れ。他はすべて討伐だ。無駄な血が流れるのを、ボスは極端に嫌うからな」

「ハッ!!ボスの御心みこころのままに!!」


 俺の号令一つで、百人規模に膨れ上がった黒王会の構成員たちが、一斉に夜の街へと出撃していった。






      ⭐︎






「ヒィィッ! 誰か、助けて!!」

「ママぁぁっ!!」


 炎上する大通り。逃げ遅れた親子に、右腕がカマキリの鎌のように変異した異形の豚男(オーク・ミュータント)が襲いかかろうと凶刃を振り上げた。


 だが、その腕が振り下ろされる直前。


「オラァッ!ボスのシマでデカい顔してんじゃねぇぞ、豚野郎ッ!!」


 怒号と共に飛来した魔法の火球が、異形の顔面に直撃して吹き飛ばした。


 助けに入ったのは、黒いスーツを着崩したガラの悪い男たち――つい先日まで半グレ集団『毒蛇どくへび』として暴れ回っていた、黒王会の新入りたちだった。


「おら、立てるか!モタモタしてねぇで、あっちの地下シェルターに走れ! 護衛は俺たちがしてやる!」

「あ、あなたたちは……ヤクザの……?」

「馬鹿野郎、黒王会をそこらのヤクザみてぇなクソと一緒にすんな!俺たちは真っ当な社員だ! うちのボスはな、一般人が巻き込まれるのを死ぬほど嫌ってんだよ! ほら、ガキの手をしっかり握って走れ!」


 荒々しい口調ながらも、彼らは自らが剣となり、盾となり、市民たちを安全な場所へと誘導していく。


 かつては私欲のために力を使っていた彼らだが、「圧倒的なカリスマ(※ただのクソ雑魚ビビリ)」の傘下に入り、「無駄な血を流すな」という絶対のルールを叩き込まれたことで、統率の取れた強力な防衛部隊へと変貌していたのだ。


『すごい……警察より早く駆けつけてくれたわ!』

『国の正規ギルドの連中なんて、まだ一人も来てないぞ! 黒王会の方がよっぽど頼りになるじゃないか!』


 助けられた市民たちから、次々と感謝の声が上がる。

 裏社会の最凶組織が、結果的に「街の守護者」として機能し始めるという奇妙な逆転現象が起きていた。






      ⭐︎







その頃、大通りの片隅で、数人の警察官たちが絶望的な戦いを強いられていた。


「くっ……!弾が効かない!一匹一匹が強いくせに、あの不自然な機械装甲が硬すぎるわ!!」


 対魔法犯罪特捜班の女刑事、如月紗耶きさらぎさやは、魔法リボルバーのシリンダーを弾き出しながら、悔しそうに唇を噛んだ。


 彼女の周囲にいるのは、直属の部下である数名の捜査官だけ。彼らを囲むように、十数頭の『機甲蜥蜴メカニカル・リザード』がジリジリと距離を詰めている。肉体と分厚い金属装甲が強引に融合させられたような、悍ましい合成魔獣だ。


「け、警部!我々だけではもう限界です!なぜ本部からの応援が来ないんですか!?」

「本部は……上層部は、この区画を『放棄』したのよ……!」

「放棄、だと……!?」


 如月は血の滲むような声で答えた。

 この神浜市の中心部は、現在『黒王会』という巨大な闇組織がシマとしている。警察の上層部や国の正規ギルドは、「ダンジョンブレイクを利用して、ヤクザどもと魔物を共倒れさせる」その為に多少の犠牲はやむを得ない。という非情な決断を下したのだ。


「私だけは……私と私の班だけは、一般市民を見捨てるわけにはいかない……っ! 撃ち続けなさい! 活路を――」


 如月が決死の覚悟で前へ出ようとした、その瞬間だった。


 ――バリバリバリィッ!!

 凄まじい雷鳴が夜空を劈き、如月たちを囲んでいた十数頭の機甲蜥蜴の頭上に、青白い落雷が直撃した。


 轟音と共にアスファルトが爆散し、分厚い装甲を持っていたはずの魔物たちが、ショートして黒焦げの炭となって吹き飛ぶ。


「え……?」

「よォ。久しぶりだな。随分と泥臭いことやってんな、お巡りさん」


 もうもうと立ち込める煙の中から、ポケットに手を入れたままの九条迅が、悠然と歩み出てきた。


「く、九条、迅……!なぜ、あなたが……っ」

「今度はウチの近くを散歩してるだけで取り締まるのか? いや、それよりなんでお前ら『だけ』なんだよ。他の警察や、討伐隊、それに国営のギルドの連中はどこで油を売ってやがる?」


 俺が呆れたように尋ねると、如月は悔しさで顔を歪め、俯いた。


「……上層部は、応援を出さないわ。このシマの人間ごと、魔物に処理させるつもりなのよ。……国も、警察も、この街を見捨てたの」


 その言葉を聞いて、俺は冷たく目を細めた。

 市民を守るべき連中が、自分たちの都合で命を天秤にかけたという、吐き気のするような理屈だ。


「……あー。まぁダンジョンブレイクは時間で勝手に収まるし、周囲の被害を気にしないとしたらそれが妥当だが、ほんとくっだらねぇ」


 俺は小さく舌打ちをし、指をパチンと鳴らした。


 すると、俺の背後の影や路地裏から、凄まじい魔力を持った黒王会が誇る幹部たちがスッと姿を現した。さらに遅れて、凄まじい排気音と共にアーロンがボロボロのハーレーを飛ばしてやってくる。その後部座席には、なぜかフラついている轟の姿もあった。


「若頭。お呼びでしょうか」

「あぁ。お前ら、このお巡りさんたちに手を貸してやれ。街で暴れてる魔物どもを、一匹残らず駆除しろ」

「なっ……!?」


 如月が信じられないという顔で俺を見た。


「勘違いすんな。ウチのシマで勝手な真似されるのが気に食わねぇだけだ。……お前ら、市民に怪我人は出すなよ。ボスの絶対命令だ」

「「「ハッ!!ボスの覇道のために!!」」」

「ボスノ覇道ト、ワタシノ筋肉ノタメニ!!」

「……アーロン、お前は一言多いんだよ」


 俺はやれやれと呆れて振り返り――そこでふと、アーロンと、その後部座席から降りてゲホゲホとむせている轟の姿に目を留めた。


「……って、おいアーロン、それに轟も。お前らなんでそんなボロボロなんだよ。来る途中で強めの魔物と戦闘でもしてきたのか?」

「イヤ、事故ッタ。最後壁ニブツカッテ止マッタカラ、ハーレー多分モウ動カナイ。ダカラ、コイツヲ、魔物ニ向カッテぶん投げるっっっ!フンッマッスル!!」

「そういうことです。若頭……」

「……」


 俺はスッと遠い目をした。

 ……まぁ、アーロンのあの無茶苦茶な運転で、パニック状態の街を爆走してきたなら、そりゃ事故るよな。


「……轟、お前、後ろに乗ってただけでそんなボロボロに……災難だったな。ほら、回復薬やるから頑張れよ」

「あ、甘いタイプの奴か。あんまり好きじゃ無いんですけ……か、かたじけない……ッ!」

「なんか言ったか?」

「か、感謝ぁ!さーて、敵をぶち殺すぞっ!」


 轟がフラフラと涙目で敬礼し、幹部たちが一斉に散開していく。そして、圧倒的な力で周囲の魔物たちを蹂躙し始めた。


 その頼もしすぎる背中(一部ボロボロだが)を見つめながら、如月は呆然と呟いた。


「国が見捨てた、採算の取れない街を、裏社会の人間が守るなんて……。あなたたち、一体……」

「別に不特定の人間を守ろうってわけじゃ無いさ。俺たちが守るのはこの街の人間だけだからな。それに、お前らの命までは保証しねぇ、自分の身くらいは自分で守りな、如月警部」


 俺は如月に背を向け、本拠地のビルの方角へと駆け足で向かい始めた。

 百人の部下と、四人の精鋭幹部をすべて、街の防衛と住民の避難誘導に半分ずつ回した。


 これにより、本拠地のビルの防衛力は実質的に『ゼロ』になった。

 あそこには『裏社会最凶のバケモノ』と恐れられるボスがいるから、本来なら何の心配もいらないはずだ。本能で動く低級の雑魚魔物など、あのハッタリの威圧感だけで一目散に逃げ出すだろう。


 ……だが、なぜか妙な胸騒ぎがする。念のため、一応戻っておくか。


 ――そう、俺は完全に油断していたのだ。

 真に強力な上位の魔物という生き物の、恐るべき本能を。






     ⭐︎






「ヒィィィィッ!!なんか外からドカバキ爆発音とか、『おらぁ!ついてこいや!ぶち殺すぞ!』とか『てめぇらこっち来いや!そっち危ねぇぞ!さっさと避難しないと沈めるっぞ!』とか『俺のハーレーがぁ!!!』みたいな怒号が聞こえるんだけど!? ヤクザの抗争!?それとも警察の突入!?怖い怖い怖い!!」

(※部下の怒声です)


 誰もいなくなった本拠地の社長室。

 ボスの黒田は、巨大な革張りソファの裏に隠れ、ガタガタと全身を震わせていた。


 街のパニック音と魔法の爆発音が響くたびに、ボスの心臓は早鐘を打ち、極限の恐怖による『致死量の魔力プレッシャー』が、制御不能の状態でドバァァァッと空間に垂れ流されていた。


 普通の人間の感覚なら、その魔力に当てられただけで気絶するか、恐怖で逃げ出すだろう。強力な魔物にとっても、本能だけで動く低級の魔物ならその圧倒的なプレッシャーに怯えて逃げ出すはずだ。


 しかし、理性を凌駕する本能を持った真に強力な上位の魔物にとって、その莫大な魔力溜まりは、どう映るか。


 それは、暗闇に灯る強烈な光であり、極上の『ご馳走の匂い』に他ならなかった。


 ――ズズズンッ……!!

 ビル全体が、大きく揺れた。


 外からよじ登ってきた『何か』の重みによる軋みだ。


「えっ……? な、なに? 今、間違いなくビル揺れたよね……?」


 黒田が涙目で窓ガラスの方を振り返った、その瞬間だった。


 ――ドゴォォォォォォォンッ!!!

 社長室の分厚い強化ガラスと壁面が、紙屑のように吹き飛ばされた。


 粉塵が舞い散る中、外の月明かりを背にして姿を現したのは、体長五メートルを超える漆黒の四足獣。獅子の頭に山羊の角、そして蛇の尾……街で暴れていた下級合成獣たちの『完成形』とも言える、すべての部位が完璧な殺意で縫い合わされた伝説上の怪物――『上位のAランク』に指定される災害級のボスモンスター、暗黒合成獣アビサル・キメラだった。


「ルルォォォォォォォォッ!!!」


 キメラが、ご馳走《黒田》を見つけて歓喜の咆哮を上げる。


 その声の衝撃波だけで、室内の豪華な調度品が木端微塵に砕け散った。


「…………(絶句)」


 黒田は、目の前に現れた巨大な化け物を見て、声すら出なかった。


 腰が完全に抜け、逃げることすらできない。ただ白目を剥きそうになりながら、鼻水を垂らして口をパクパクとさせているだけだ。


 だが、その極度の防衛本能により、黒田の体内から放たれる魔力の圧力はさらに膨れ上がり、部屋の重力が倍になったかと錯覚するほどの空間の歪みを生み出していた。


(あ、死んだ。俺、死んだ。さようなら母さん……今、わけわからない部下《迅くん》に土下座させれて、担ぎ上げられて、社長やってるんです。フリーター時代よりお金は貰えてるから、貯金はたいて、実家の温泉のリフォーム代、振り込んでおけばよかった……)


 黒田が現実逃避をして走馬灯を見始めた、その時だった。


 バヂィィィンッ!!


 社長室の扉が内側から蹴り破られ、青白い電光を纏った影が、黒田とキメラの間に滑り込んだ。


「……なるほどな。雑魚どもが街で暴れてる間に、群れのボスが直接お出ましってわけか」


 そこには、冷たい目でキメラを見上げる九条迅の姿があった。


「じ、迅くんっ!!」


 黒田が涙と鼻水を流しながら、助けを求めるように手を伸ばす。

 その姿を視界の端に捉え、俺は内心で息を吐いた。


(……鼻水垂らしながらガタガタ震えてやがる。まぁ、一年前までただのフリーターだったおっさんがこんな災害級のバケモノを前にして、よく気絶せずに踏み止まったもんだ。……一応漏らしてはないと信じたいが)


 俺はキメラから目を離さないまま、背後のボスに向けて恭しく告げた。


「ボス、ご安心を。こんなツギハギの雑魚にあなたの手を煩わせる必要はありません。ここは俺がやります」


 腰を抜かし、鼻水を垂らして震えていた黒田は、俺の言葉にビクッと肩を跳ねさせた。


「えっ?あ、ああぁ……た、頼んだぞ、じ、迅くん……っ」


 黒田が震える声で必死に見栄を張る。

 俺は右腕に、かつてないほど高密度の雷魔力を収束させ、バチバチと空間を焦がしていく。


「お前みたいな人工物の粗大ゴミが、ウチのボスの首を狙うには――百年早いぜ」


 誰もいない、手薄になった本拠地の最上階。

 クソ雑魚の神輿を守るため、勘違いした最強の右腕が、真の災害級モンスターと真っ向から激突しようとしていた。

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