6話
黒王会のアジトに併設された、会社の応接室。
最高級の革張りソファが向かい合うその部屋は、現在、ひどくピリついた空気に包まれていた。
「――いやァ、黒王会の皆さんが最近飛ぶ鳥を落とす勢いなのは存じ上げておりますがね。まさかワイバーンを落としてしまうとは。いやはや、もはや鳥ではなくて落とすのは竜ですね。おほん、ただ、深層のダンジョン産の素材取引となると、また表の『ルール』ってやつがありまして」
テーブルを挟んで俺たちの対面に座っているのは、派手なストライプのスーツを着た胡散臭い男。裏社会と表の魔法市場を繋ぐ悪徳ブローカーの鮫島だ。
そして鮫島の背後には、いかにもその筋の「強面でガタイの良い護衛の男たち」が四人、腕を組んで威圧的に立っている。
鮫島は、テーブルの上に広げられた昨日俺がダンジョンで狩ってきた飛竜の鱗や魔石をねっとりとした目で見つめながら、小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていた。
「深層の飛竜の素材は確かに一級品ですがね。昨今の市場の飽和状態、それに伴うC国の関税の引き上げ、さらには深層の魔素の浄化処理にかかる法定手数料とうちの手数料を差し引き、他にも、深層由来素材の二次汚染リスク評価義務や、魔素干渉領域に関する環境補填金の拠出規定、流通段階における属性偏差補正税などが加わってきておりまして……」
鮫島は、わざと小難しい専門用語や法律の単語をマシンガンのように並べ立てていく。
要するに、「お前らみたいな最近デカくなっただけの脳筋ヤクザは、どうせ市場の相場や法律なんて知らねぇだろ。タダ同然で買い叩いてやるよ」という魂胆だ。
「おいおい坊主。うちの社長は、お前らみたいな新参者に『適正な勉強料』を教えてやってるんだぜ?これでも新規という事で手数料少なめにしてやってるんだからありがたくハンコ押しな」
背後の護衛の一人が、首の骨をボキボキと鳴らしながら俺に向かって凄んでみせる。
鮫島が提示してきた買取金額は、俺が計算した適正価格の『十分の一』にも満たない、完全に舐め腐った端金だった。
俺は内心で(……この三流詐欺師と木っ端どもが。後で全員まとめて雷で消し炭にしてやろうか)と考えていただけだが、俺の隣で腕を組んで座っている、我らが黒王会のトップであるボス、黒田は、俺とは全く別のベクトルで限界を迎えていた。
(……や、やばい。このスーツのおじさん、何言ってるのか1ミリもわかんない……関税?環境なんとか?なんだよそれ。仕事の話してるときの迅君みたい)
ボスの黒田は、元・フリーターでありただの配達員である。
関税? 市場の飽和? 法定手数料?評価義務?なんだそれは。という状態である。普段の業務に関しても、頭を使う面倒なことはすべて俺に丸投げしており、基本的には書類に印鑑を押すだけの『自動押印BOT』と化しているのだ。
そんな偏差値がミジンコどころかBOTレベルの黒田に、表世界の複雑な経済用語など理解できるはずがない。
(どうしよう……。後ろに立ってる人たち、文句言ってるだけだけど顔がめっちゃ怖いよぉ。俺のこと坊主って言ってたようにも聞こえたけど、迅くんのことだよね? 流石に俺のことじゃないよね? あぁぁ、このおじさんの香水とタバコの匂いがキツくて頭痛くなってきた……。早く自分の部屋に帰って、お布団被って寝たい……)
ボスのコミュ障と、ヤバい取引現場にいるという極度の緊張感が、徐々に臨界点へと達していく。
そして鮫島が「ですから、この破格の金額でも、私としてはかなり無理をして――」とさらに嘘八百を並べ立てようとした、その瞬間だった。
(も、もう無理。後は迅君に任せて帰る。俺、限界)
ガタッ。
ボスが、突如として無言で立ち上がった。
「……ボス?」
俺が様子を窺うと、ボスの顔には一切の表情がなかった。いや、実際には『勢いよく立ち上がったはいいものの、何と言って帰ればいいのか分からず、極度のコミュ障と恐怖で顔面が完全にフリーズしている』だけなのだが。
そして、パニックに陥ったボスの巨体から、部屋の空気を軋ませるほどの尋常ではない魔力の威圧感が、ドス黒いオーラとなってドバァァァッと漏れ出した。
ビキィィィンッ!!
応接室の窓ガラスが、その莫大な魔力の圧力に耐えきれずに細かいヒビを走らせる。
「ヒッ……!?」
鮫島の顔から、ヘラヘラとした薄笑いが一瞬で消え去った。
俺に凄んでいた背後の護衛四人も、あまりの魔力圧に息ができなくなり、顔面を蒼白にしてその場に膝をつく。
鮫島は、目の前にそびえ立つ身長二メートルの巨漢から見下ろされ、肺を直接鷲掴みにされたような錯覚に陥り、ガタガタと震え出した。
「な、なにか、ご不満でも……?」
鮫島が引き攣った声で尋ねる。
ボスは、冷や汗を流しながら、この場から一秒でも早く逃げ出したい一心で、絞り出すようにこう言った。
「……も、もう、終わりにしよう」
(俺、もう終わりでいいかな?自分の部屋に帰っていい? 話わかんないし、一人にしてくれないかな?)
という、100%純粋な、限界を迎えたコミュ障の泣き言である。
だが。
この異常な殺気(※ただの魔力漏れ)と、底知れない無表情(※フリーズ)を前にして、鮫島と護衛たちの脳内でその言葉は最悪の形に翻訳された。
『(――この程度の端金で、俺様の貴重な時間を奪うな。これ以上、舐めた口を利くなら……貴様らの存在を『もう終わりにしよう』。「生きて」帰れると思うなよ)』
という、一切の慈悲もない【死の宣告】である。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
鮫島は完全に腰を抜かし、ソファからズルリと床に崩れ落ちた。
屈強な護衛たちも「も、申し訳ありませんでしたぁ!!」と床に額を擦りつけてガチガチと歯の根を鳴らして震えている。
(……マジかよ。ボスの強面とコミュ障、ここまで交渉の武器になるのかよ)
俺は内心で呆れながらも、この完璧すぎるアシストを逃す手はないと、スッと前に出た。
逃げようとしていたボスの肩に手を置き、力で無理やりソファに座らせる。
(※ボスは『えっ、帰っちゃダメなの!?』と絶望の目をしていた)
「……ボス、お気持ちはわかりますが。こんなものを見せられてお怒りになるのもごもっともです。ですが鮫島さん。うちのボスはああ言ってブチギレてますけど、ウチとしてはね、まぁ穏便にいきたいんでね。俺も血を見るのは趣味じゃないんで」
俺は極めて爽やかな笑顔を浮かべ、床に這いつくばる鮫島を見下ろした。ここからは、完全に俺のターンだ。
「穏便に……は、はい! もちろんですとも! 先ほどの金額はあくまで仮の……!」
「そうですよねぇ。だって鮫島さん、さっき『関税の引き上げ』とか言ってましたけど、先月の国会で魔法素材の特例措置が可決されて、第一種の飛竜素材はむしろ免税対象になったはずですよね?」
ビクッ、と鮫島の肩が跳ねた。
俺は自分の記憶力にはかなり自信がある。一度目を通した表世界の経済新聞や法律の変更点は、頭の中にすべて入っているつもりだ。
「それに、市場の飽和? 冗談を。ヨーロッパのダンジョンで大規模な魔物災害が起きて、今、世界的に防具用の鱗が枯渇して価格が高騰してる。評価義務も汚染リスクも補填金規定も数年前に改正されてますよね?……アンタ、俺たちからタダ同然で巻き上げたこの素材を、裏ルートで海外のブローカーに横流しして、最低でも今の『二十倍』の利益を抜く気だっただろ?」
「なっ……なぜ、下等なチンピラがそこまで……!」
鮫島は、完全な情報封鎖を敷いていたはずの自身の裏ビジネスのカラクリを全て暴かれ、絶望的な顔をした。
「俺は、俺たち黒王会はあくまでも一般人に対しては穏健派なんですよ。だから、互いに笑って握手できるラインで手を打ちましょうや」
俺は、あらかじめ用意しておいた『新しい契約書』を鮫島の目の前に突きつけた。
そこに書かれている買取金額を見た瞬間、鮫島の目が点になった。
「こ、これは……!! いくらなんでも高すぎます! これではうちの、私達の会社利益が……っ」
「どうです? 今の市場価格の変動と、アンタの横流しルートの経費を全て差し引いた上で……アンタの懐に、『0.1%』ぐらいは利益が残る絶妙な額面ですよ」
そう。ブローカーが絶対に赤字にはならないが、生かさず殺さず、骨の髄まで搾り取るギリギリのライン。
「俺たち黒王会は、裏も表も真っ当な組……じゃなくて会社なんでね。これからもアンタ達とは『良い取引先』として長く付き合っていきたいんですよ。……これなら、最初のおもんない冗談を聞いて機嫌悪くしたうちのボスもアンタの首を終わりにせずに見逃してくれます。違いますか?」
正直なところ、ただ素材を売り捌くだけなら相手は誰でもよかった。なぜわざわざこんな面倒くさい三流ブローカーを選んだかといえば、裏ルートの販路をすでに持っていて、かつ脅せばいくらでも言うことを聞く『都合の良い金蔓』になるからだ。
俺がそう言ってボスのほうを顎でしゃくると、ボスは俺のいう声など聞こえておらず「早く終われ……早く終われ……」と念仏のように心の中で唱えながら、血走った目でガクガクと震えていた。その姿は、鮫島には『処刑のタイミングを今か今かと待ち望む狂戦士』にしか見えない。
「それとも、後ろの方も含めて今すぐに首置いて帰ります? ボスが暴れる前にサインしたほうが賢明だと思いますが、ボスがこうなってしまったら5分後には、まぁここから先を言うのは野暮ですかね」
「~~~~ッ! よ、喜んで、サインさせていただきますぅぅぅ!!」
鮫島が泣きながらペンを握り、ブルブルと震える手で契約書にサインを書き殴ろうとした、まさにその時だった。
「ボスッ!オ客様ニモ、オ茶モッテキタヨッ!!」
バンッ!と足で勢いよく扉が開き、サングラスをかけた黒人の幹部、アーロンが満面の笑みで部屋に入ってきた。
(……一応はボスの客なんだから足で開けんなよ)
誰の耳にも届かない俺のささやかなツッコミをよそに、彼の手には、お盆に乗せられた急須と人数分の湯呑みが握られている。
……が。その湯呑みの中身は、なぜかドロドロの赤黒い液体であり、ボコボコとマグマのように沸騰して凄まじい熱気と異臭を放っていた。
「交渉、オツカレサマ! コレ、ワタシノ故郷ノ『特製ハーブティー』! 飲メバ、腰痛モ、頭痛モスグ治ルヨ! サア、オ客様モ、冷メナイウチニ一気ニ飲ンデ!!」
アーロンは純度100%の善意で、その「マグマ茶」を鮫島たちの目の前にドンッと置いた。
湯呑みがジュウゥゥッと音を立てて焦げている。
「ヒッ……!! ど、毒殺される!? い、いや、拷問か!?」
鮫島の顔面から完全に血の気が引いた。サインを渋っていたら、ついに強硬手段(マグマ飲ませ)に出られたと勘違いしたのだ。
「サ、サインしましたぁぁ!! お茶は結構です! 帰ります! お金は契約書の通り、直ちに振り込みますのでぇ、命だけはお助けをぉぉぉ!!」
鮫島は契約書に凄まじい筆圧でサインを殴り書きすると、素材を片手に護衛たちと共に転がるように応接室から逃げ出していった。
「……まいど」
俺は契約書を回収して微笑むと、外から「くそぉ……っ」という鮫島の泣き声が聞こえてきた。
「アレ? オ客様、帰ッチャッタ。……オ茶出スノ遅過ギタカナ?」
アーロンが不思議そうに首を傾げている。
「あぁ。お客様のお帰りだぞ。……アーロン、外で聞いてた幹部たちと奴らを外まで送ってやれと伝えろ」
「ワカッタヨ、副ボス!」
アーロンが廊下に出ると、扉の横でひっそりと待機していた二人の幹部の声が聞こえてきた。
刃切と、影浦だ。
「さっさと歩け、ゴミども。ボスと若頭の完璧な交渉の空気が汚れる」
刃切が短刀をチャキッと鳴らして腰を抜かして震えていた鮫島たちを威嚇する。
「ちょっと刃切、出しゃばらないで。貴方みたいにすぐ刃物をチラつかせる物騒な陰キャ芋虫に、副ボスの高尚なサポートなんて無理よ。貴方の適正ポジションは便所掃除とシュレッダー係。いつでも影から副ボスを護衛できる私が、暫定・右腕なんだから」
「はぁ?そもそも私の方が先に黒王会に、いや若頭に忠誠を誓ったんですけど!!だいたい、いつも物陰からネチャァ……って若頭を見つめてるだけのストーカー女が右腕とか笑わせないで!そのうち通報されるわよ」
「スッ、ストーカーじゃないわよ!対象を24時間見守る『完璧なステルス警護』と言いなさい、この通り魔気取りのメンヘラ女!」
「誰がメンヘラよ、この日陰カビ女!」
「殺すぞ」
「死ぬのはお前だぞ。カビ女」
「HAHAHA! ワタシカラ見レバ、2人トモ副ボスノ『ヤバい追ッカケ』ネ!日本語デ言ウ『ドッチモドッチ』ヨ!」
「「アーロンは黙ってて(よ)!!」」
二人とアーロンは「どちらがより迅に評価されているか」というくだらない理由で小競り合いをしながら、鮫島たちの首根っこを引きずって廊下の奥へと消えていった。
⭐︎
バタン、と扉が閉まり、部屋には俺とボスの二人だけが残された。
途端に、張り詰めていた空気がふっと緩む。
(……俺の右腕の座を巡ってくだらねぇマウント合戦をしてる暇があるなら、少しはこっちの仕事を手伝えってんだ。暗殺だの護衛だのって息巻く前に、まずは山積みの書類を片付けるのが先だろうが)
俺はドアの向こうのポンコツ幹部たちに向けて、内心で盛大な愚痴をこぼしながら深く息を吐き出した。
「……ふぅ。中々えげつない交渉をするね、迅くん。俺も少し、ハラハラしたよ」
ボスが、額の汗を拭いながら、一応はトップとしての威厳を取り繕うようにそう言った。
俺は手元の契約書を弾き、莫大な組織の活動資金が手に入ったことに満足げな笑みを浮かべた。そして、本人は必死に隠しているつもりなのだろうが、未だに少し足が震えている巨大な男に向けて、心からの本音をこぼした。
「……ボスの、おかげですよ」
「えっ?」
ボスが不思議そうに首を傾げる。俺はソファに深く腰掛け、天井を仰いだ。
「ボスがそこに座って、ただ睨みを利かせてくれている。それだけで、俺たちは好き勝手やれるんです。俺の考えた完璧な絵図を、アンタの圧倒的な存在感が実現させてくれる」
俺は、ボスに向けて、今日一番の純粋な笑顔を向けた。
「アンタがトップにいてくれるから、俺は最高の『No.2』でいられるんです。……感謝してますよ、ボス」
俺の言葉を聞いて、ボスは少し照れたように「そ、そうかな……」と頭を掻いた。
そして、コミュ障なりに少しでも強がりを見せようと、ポツリとこぼした。
「まあ、でも……あんな強面の人たちがいきなり何人も来るなんて聞いてなかったから……ちょっとだけ、本当に胃が痛くなったのは内緒だけどね」
俺は、ボスのその情けない強がりに「ははっ、違いねぇ」と笑い声を漏らした。
――思えば、半年と数ヶ月ほど前。こいつの放つ桁違いの魔力と威圧感に『絶対的な強者』を見出し、「俺をあなたの右腕にしてくれ」と頭を下げたのは他でもない俺自身だ。まさかその正体が、ただ魔力が無駄に多いだけの、頭からっぽなビビリのフリーターだったとは思いもしなかったが。
勝手に勘違いして惚れ込んだのは俺だ。文句を言う筋合いはない。それに、このどうしようもないハッタリ男を神輿に担ぎ上げ、ポンコツで騒がしい幹部連中と一緒に『黒王会』という組織を動かしている今の日常は、悪くないどころか最高に楽しいのだ。
だが……だからといって、面倒な実務を全て俺に丸投げして、いつも一人だけ安全圏でオロオロしているこの男に、日頃の鬱憤やちょっとした『理不尽なムカつき』がないわけではない。
俺は、テーブルの上に残されたままの、ボコボコと沸騰する湯呑みをスッと指差した。
「なら、ちょうどいいじゃないですか。せっかくアーロンが淹れてくれたんだ。その特製ハーブティー、胃痛に効くらしいですよ。冷めないうちに飲んだらどうです?」
「…………」
「……まぁ、知らんけど」
俺は最後に、わざと聞こえるか聞こえないかの小声で付け足しながら、マグマのように沸き立つ湯呑みをボスへと差し出した。
「ヒィィィッ!?やだ!!これ絶対内臓溶けるやつでしょ!?今『知らんけど』って言ったよね!? 器溶けかかってるじゃん!!」
一瞬でボスの威厳は吹き飛び、ソファの隅に逃げ込んでガタガタと震え出した。
「大丈夫ですよ。ボスというお方がアーロンの気遣いを無下にする気ですか?ほら、グイッと一気に」
「ギャアアアア!!飲ませないでぇぇ!!迅くん助けてぇぇ!!」
「……いや、アンタにそれ無理矢理飲ませようとしてるの俺なんですけどね」
半泣きでマグマ茶から逃げ回る裏社会の最凶ボスと、日頃の鬱憤を晴らすかのようにそれを笑顔で押し付ける俺。
俺は、そのバカバカしくも騒がしい日常の光景を眺めながら、最高に退屈しない自分の居場所に、腹の底から笑うのだった。




