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12話

 神浜市かみはましの裏社会にその名を轟かせる、我らが黒王会こくおうかい

 だが、その本拠地である真っ当な会社ビルの広々とした厨房には今、ひどくピリついた空気が流れていた。


「――とぼけないで!これがただの『蕎麦粉』なわけないでしょ!!」


 ステンレス製の調理台をバンッ! と強く叩き、黒いスーツ姿の女刑事・如月紗耶きさらぎ・さやが鋭い声を上げた。


「(ひっ……本当にただのそ、蕎麦粉だよぉ……。その裏に隠されてる、わけわかんない色したアーロンが持ってきた粉は知らないけど……)」


 怒声にビクッと肩を揺らした黒田が、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。


 先日のダンジョンブレイクの一件と、黒王会の急激な勢力拡大について『任意の事情聴取』という名目でアジトに乗り込んできた彼女たちは、真っ直ぐにこの厨房へとやってきたのだ。


 彼女の視線の先には、前回ガサ入れに来た時にも置いてあった、最高級の蕎麦粉の入った麻袋がある。


「あなたたちみたいな暴力組織の、しかも、あの化け物みたいなボスが、休日に『蕎麦打ち』をしているですって? 笑わせないで。どうせこれは、違法な魔法薬を精製するためのダミーか何かでしょ!」

「ば、化け物……」


 如月が、腕を組んで座るボスの黒田をキッと睨みつける。当の黒田は、初対面の女性からストレートに「化け物」と罵られたショックで、ひっそりと悲しそうな顔をしていた。


「……おいおい、いくらなんでも推理小説の読みすぎじゃないか?」


 俺は、厨房の隅でココアを啜りながら呆れたように肩をすくめた。


「もう何度も来てるし、このやり取りも何度もやってんだからいい加減分かっただろ?ボスはただの蕎麦好きだ。疑うなら、成分検査でも何でも――」

「口で言うだけなら何とでも言えるわ!」


 如月が俺の言葉を遮り、黒田にビシッと指を突きつけた。


「私を、警察を煽るつもりか知らないけど、本当にこれがただの蕎麦粉で、あなたが蕎麦を打てるっていうなら……今、ここで証明してみせなさいよ! できないなら、やっぱりこれは偽装工作ってことよ!」

(……な、なんだってぇぇ!?)


 腕を組んで震えていた黒田の内心は、極限のパニックに陥っていた。


(いや、ただの蕎麦粉だよ!本当に俺が休日に打って食べてるだけだよ!なんで警察がこんなに怒ってんの!?ここで証明できないと、俺、違法薬物の密造とかで逮捕されるの!? 嫌だ、絶対に刑務所入りたくないぃぃ!!)


 ボスの顔面から一気に血の気が引き、極度の恐怖による『致死量の魔力プレッシャー』が、ブワァァッと厨房内に漏れ出し始めた。


 ビキィィン……と調理器具が微かに震える音を聞いて、如月と後ろの刑事たちが「っ……!」と息を呑み、咄嗟に腰のホルスターに手をかける。

 だが、黒田は無言のまま、ゆっくりと立ち上がった。


 身長二メートルの巨漢が、ドス黒い殺気(※ただの恐怖)を放ちながら、調理台の前に立つ。そして、頭に白いタオルを巻き、真っ白なエプロンを身につけた。


「……ボ、ボス?」


 幹部の1人である轟が息を呑む。

 黒田は、警察に逮捕される恐怖から逃れるため、己の持てるすべての技術をこの一瞬に懸ける覚悟を決めていた。


(やるしかない……!俺の完璧な蕎麦打ちを見せて、これがただの蕎麦粉だって証明するしかない……!!)


「……フゥッ、み、見せてやる……俺ならできる、俺なら……」


 黒田が、誰も聞こえないようなか細い声で短く鋭い呼気を漏らした。


 その瞬間、彼の背中から一切の迷いが消えた。最近、度重なる極限のストレスで胃に穴が開きそうになった彼が、唯一の癒やしとしてドハマリし、異常な集中力で極めた『手打ち蕎麦』の技術。

 黒田は巨大な木鉢に蕎麦粉をドサリと開け、正確な分量の水を一気に回し入れた。


 ――ザッ、ザッ、ザッ。


 太く力強い指先が、粉と水を素早く、そして繊細に混ぜ合わせていく。魔力を帯びた巨漢の動きは、一切の無駄がなく、まるで流れるような武術の型のようだった。


「み、見ろ……あの全くブレのない動き。粉の一粒一粒にまで、ボスの覇気が行き渡っている……!」


 健吾が、滝のような汗を流しながら感嘆の声を漏らす。


「ええ……。ただ粉をこねているだけだというのに、見ているだけで私の風魔法のインスピレーションが研ぎ澄まされていくわ……!」


 刃切はぎりが、メモを取りながら熱心に頷く。


「ワオ……ボスノ手サバキ、マサニ、神業ネ!オイシソウダネ!」


 アーロンがサングラスをずらしながらゴクリと喉を鳴らした。


(……いや、ただ単に蕎麦こねてるだけだろ。……い、いや。す、すげぇな!?ボスもボスで、なんでこんな無駄な才能発揮してんだよ)


 俺は内心でツッコミを入れながらも、そのシュールな光景を黙って眺めていた。


 トントントン……トントントン……。

 やがて、生地を薄く均等に伸ばし終えた黒田が、巨大な『蕎麦切り包丁』を握り、寸分違わぬ一・五ミリの太さでリズミカルに切っていく。


(ど、どうだ……! これで信じてくれるか!? 俺はただの無実の蕎麦好きだ!)


 黒田は必死の思いで、茹で上がったばかりの蕎麦を氷水で一気に締め、ザルに美しく盛り付けると、それを如月たちの目の前にドンッと置いた。


「……く、食え。し、汁も自家製だ……3日は熟成してある」


 黒田は、ボスの威厳を保つために低い声で短く言い放ち、鋭い眼光(※緊張で目が血走っているだけ)で如月を睨み下ろした。


 圧倒的な魔力プレッシャーを放つ裏社会のトップが、無表情のまま差し出してきたその一杯。

 如月たちの脳内で、それは最悪の形に翻訳された。


『(――国家の犬ども。俺様が直々に打ったこの蕎麦を食う度胸があるなら、食ってみろ)』


 という、毒が入っているかもしれない極限の『肝試し』、あるいは『服従の儀式』である。


「……っ!わ、私たちを試しているのね……!」


 如月はゴクリと喉を鳴らし、ヤクザの挑発から逃げるわけにはいかないと、震える手で割り箸を割った。


「警部! 危険です!こいつらは何をするか分かりません!もし違法な薬物が仕込まれていたら……!」

「構わないわ!ここまでコケにされて……警察の、私の意地を見せてやる……!」


 如月は決死の覚悟で、蕎麦をツユに少しだけ浸し、ズズッと思い切り啜り込んだ。

 直後。彼女の動きが、ピタリと止まった。


「……け、警部!?」

「やはり毒が!? くそっ、この卑怯者めっ!」


 部下の刑事が慌てて駆け寄り、黒田たちに向かって激昂の声を上げる。

 如月は目を見開き、プルプルと肩を震わせていた。そして。


「……な、何これ……っ!!」


 如月が、信じられないという顔でツユの入った器を見つめた。


「香りが……蕎麦の豊かな香りが、鼻にフワッと抜ける……!細打ちで喉越しは最高なのに、しっかりとしたコシがある!しかもこのツユ……本枯れ節の深いコクと、利尻昆布のまろやかな旨味が完璧なバランスで調和してる……!! 私が休日に一時間並んで食べる老舗の蕎麦屋より、遥かに美味しいじゃない……っ!!」

「「「え、えええええっ!?」」」


 部下の刑事たちが驚愕の声を上げる。


「ズズッ! ズルズルズルッ!! ふぅ……っ!お、おかわりっ!」


 如月は、もはや刑事としての矜持を忘れ、ただの蕎麦好きの女性と化して、無心でザル蕎麦を平らげてしまった。


 それを見ていた部下たちも、「お、俺たちも味、いや毒味を……!」とボスの蕎麦に群がり、次々と「美味い!」「なんだこの弾力は!」と感動の涙を流しながら啜り始める。


「毒味のお代わりって……」

「……ハハッ。言ったろ、ウチのボスの手打ちは絶品なんだよ」


 俺は、ヤクザのアジトの厨房で、警察官たちが並んで蕎麦を爆食いしているというシュール極まりない光景に、思わず笑い声を漏らした。


(よ、よかったぁ……! みんな美味しそうに食べてくれてる! これで俺、逮捕されないよね!?)


 黒田は心底ホッとして、内心でガッツポーズを決めていた。

 だが、その光景すらも、幹部たちには『警察権力すらも一杯の蕎麦で手懐ける、王の器』として映っていた。


「フッ……警察の犬どもも無様だな。我らがボスの蕎麦の前に、完全に屈服しているわ」


 刃切が、一心不乱に麺を啜る刑事たちを見下ろし、冷笑を浮かべながら誇らしげに呟くのだった。





     ⭐︎






「……ごちそうさまでした。じゃなくて!!」


 五分後。


 しっかりと2杯おかわりをした後、ザルを空にし、蕎麦湯までしっかり堪能した如月は、コホンと咳払いをして、口元をハンカチで拭った。美味しい蕎麦を食べてしまった手前、少しだけ毒気が抜けてしまっているが、彼女は必死に刑事の顔を取り戻す。


「話を戻すわよ!九条迅!」

「勝手に蕎麦食って満足してたのは誰だよ」

「アイツダネ。副ボス」

「う。うるさい!!」


 如月は、顔を真っ赤にさせながらオフィス側の応接テーブルに俺を座らせ、鋭い視線を向けてきた。


「先日、ダンジョンブレイクの現場で、あなたたちはAランクのボスモンスターを討伐した。……その時ドロップしたはずの『Aランクの魔石』はどこにあるの?」


「いやぁ。あれだけしっかり食べた後にこの話を戻すのは無理あると思うが……まぁいいか。ほらよ」

「面ノ顔厚イネ」

「アーロン……頼むから静かにしててくれ」


 俺は余裕の笑みで、用意しておいた分厚いファイルの束をテーブルに滑らせた。


「この通りその魔石なら、もう表の魔法市場のオークションで正規のルートに乗せて売却済みだ。もちろん、国への売却益と特別税の申告も、1円の狂いもなく昨日のうちに終わらせてある。……いくらでも確認してくれ」

「なっ……!?」


 如月がファイルをめくり、その完璧すぎる経理処理と適法な手続きの証拠を見て、絶句した。


「……ヤクザが、Aランクの魔石を裏ルートじゃなく、真っ当に納税して売り捌いたっていうの……!? バカな、そんなの利益が半分以下になっちゃうじゃない!」

「だから、俺たちは真っ当な会社だっていつも言ってんだろ」

「ヤクザミタイナ顔ハボスダケヨ」

「ひどい……!!」

「いや、ボスも大概だがアーロン、見た目お前も怪しいからな」

「琴音……、自分ガ陰鬱ダカラッテ嫉妬スルノヨクナイヨ」

「うるせぇって言ってんだろ!!」


 凹んでるボスを尻目に戯れてる影浦とアーロンを睨め付けながら小さく肩をすくめた。


「ゴホン……裏ルートでコソコソ小銭を稼ぐより、表の市場でデカい顔して堂々とシノギを回す。別にやましい事なんて俺たちはしなくてもやってける。それに、このやり方がウチのボスの黒王会のやり方なんだよ。……税金払ってもまだ文句あるか?」

「くっ……!」


 如月はギリッと奥歯を噛み締めた。組織の急拡大に伴う資金を、完全にクリーンな形で調達されたのだ。これでは警察として手出しができない。


「なら、もう一つ聞くわ! 最近、あなたたちのシマの周辺で、神浜市の最大勢力『羅刹会らせつかい』の連中が不穏な動きを見せているわ。あなたたち、羅刹会のシマを荒らしているんじゃないの!?」

「言いがかりはやめてくれよ、お巡りさん」


 俺は冷たい目で如月を見返した。


「俺たちはただ、真っ当に不動産とシマの見回り……セキュリティの事業をやってるだけだ。あとは小遣い稼ぎ程度に魔石の売買。ダンジョンブレイクの時、市民を無様に見捨てて逃げ出した警察や羅刹会の連中とは違ってな。……ウチのクリーンなやり方と、地元に寄り添う姿勢に賛同して、羅刹会の傘下だった連中が勝手にウチに鞍替えしてきてるだけさ。競合他社が落ちぶれてるのを、俺たちのせいにされちゃあ困るな」

「~~~ッ!!九条迅……!!あなたって人は……!」


 如月は、一切の隙を見せない俺の完璧な受け答えと、痛いところを突く皮肉に、悔しそうに拳を握りしめた。


 だが、同時に彼女の目には、絶対に諦めないという執念の炎が燃え上がっていた。


「……いいわ。今日は、今日のところはこれで引き上げる。お蕎麦は、悔しいけど美味しかったわ」


 如月は立ち上がり、俺と、奥で腕を組んで立っているボスを交互に睨みつけた。


「帳簿は完璧。証言も完璧。でも、私は絶対に騙されないわ! あなたたちみたいなバケモノが、こんなクリーンなだけの組織なわけがない! ……私が個人的にでも、絶対に尻尾を掴んでみせるから!!」


「いや、これ以上に何を疑うんだよ。完璧ならいいじゃねぇか」と俺が呟いたツッコミは完全に無視され、如月は捨て台詞を吐いて、部下たちを引き連れて足早にオフィスから出ていった。


「はい俺の勝ち。なんで負けたか明日まで考えといてください!」

「警察苛めんなー!性格悪い副ボスー!!……って轟が言ってるぞ!」

「ソウダーー!副ボス!!甘党デ厨二病デチビノくクセ……ッテ轟ト琴音ガ裏デ言ッテタ」

「な、厨二病は言ってないぞ!?」

「こんのっ、クソ野郎が、てめーら、今日はマジで殺すっ!!特に轟っ!」

「今回は私関係ないですよね……あ、ちょっと、若頭っ!待って…アビビビビビビッ!」


 逃げる影浦とアーロン。捕まって電撃を浴びせられる轟。ソレを笑うボスと刃切。警察が来ようとも去ろうとも変わらない、いつもの黒王会の日常が広がっていた。







      ⭐︎






「あーもう……、あのクソ野郎ども、次は絶対ぶち殺す。それにしても今日も長かったなぁ……ようやく帰ってくれた。何回来れば良いんだよ。うちのこと逆に好きだろアイツら……」


 蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった影浦とアーロンに対して恨みを吐きながら、俺が伸びをして立ち上がると、厨房の奥で腕を組んで仁王立ちしていたボスが、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 そして、ドカッと革張りソファに重い腰を下ろす。


「……やっと帰ったか。迅くん。いつもご苦労様だね」


 ボスは、低くドスの効いた声でそう呟いた。

 だが、その直後。こめかみを抑えながら、ボソッと本音を漏らす。


(……い、胃が痛い。警察の相手は疲れるな……」


 巨体が微かに小刻みに震えているのが見えた。

(本当は『銃向けられて怖かったよぉ! もう嫌だぁ!』って叫びたいけど、若頭の前でそんな情けないこと言えない……!)という、トップとしての威厳を必死に保とうとするギリギリの強がりだった。


「ハハッ、違いねぇ。けど、お疲れ様でした、ボス。あの蕎麦打ちの腕前は流石でしたよ。今度、また俺にも一杯食わせてください」

「迅くんになら、いつでも打つよ!」


 俺が冷たく冷えたココアを注ぎながら労うと、ボスは少しだけホッとしたように息を吐き、天井を仰いだ。


「……あ、甘っ……こ、今度の休日は、もっと静かな趣味を見つけるとしよう」

「静かな趣味、ですか」

「うん。警察もヤクザも、半グレも誰も寄り付かないような、静かで落ち着く店で……新しい盆栽でも買って、心を癒やしたいなぁ……」


 そういえば、以前ボスが大事に育てていた盆栽は、先日の暗黒合成獣アビサル・キメラの襲撃で、社長室ごと木端微塵に消え去ってしまったのだった。


 俺は、一般人でもある人間が組織の矢面に立ってプレッシャーと戦うトップの、そのストイックな孤独感に「なるほど。たまには一人で出歩くのもいいでしょう」と深く頷いた。対して仕事はしてないと思うのだが。


 だが。

 この時のボスも、そして俺も、全く気づいていなかったのだ。

 ボスが平和と癒やしを求めて向かう『静かな盆栽屋』が。

 そして、執念に燃える女刑事・如月の『個人的な尾行』が。

 神浜市の裏社会を牛耳る『羅刹会』との、血で血を洗う全面戦争の引き金になってしまうということに。




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