O-31:報連相の量ではなく、境界線を教えろ
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(公園)
第5中隊長の娘は、補給科長の子どもたちに混じって遊具の方へ走っていった。
さっきまで母親の脚に張り付いていたのに、三女と手を繋ぎ、次女の後ろをついていく足取りは軽い。
その背中を見送って、第5中隊長は小さく息を吐いた。
「……次、聞かせてください」
「でしょうね」
補給科長はベンチの背に軽くもたれた。
「このままやと、中隊長が全部確認窓口になって、班も小隊も育たんまま詰みます」
「そこまで言いますか」
「言いますよ。
だって今起きてること、仕事を丁寧に見てるんやなくて、“判断を全部上に集めて安心してる”だけでしょう」
第5中隊長は少しだけ苦笑した。
「耳が痛いです」
「でしょうね」
補給科長は、遊具の方を見たまま続けた。
「報連相って、量の問題やないんです。
どの段階で、何を、誰まで上げるか。
そこに線が引けてるかどうかです」
「……」
「今の第5中隊は、その線が消えてる。
だから部下から見たら、“小さいことでもとりあえず中隊長に投げる”が最適解になってる」
「でも、以前“勝手に進めたら事故ってた”があったのは事実です」
「ええ。だから部下が慎重になるのは分かります。
ただ、その反省の仕方が雑なんです」
第5中隊長が顔を上げる。
「雑、ですか」
「“勝手に進めて事故った”の反省が、
“じゃあ全部確認しよう”
になってるでしょう。
本当はそこ、
“どこから確認が必要かを明確にしよう”
へ行かなあかん」
第5中隊長は、そこで完全に黙った。
補給科長は、何でもない顔で続ける。
「今の第5中隊の報連相、ざっくり理由は四つです」
「四つ」
「一つ、怒られたくない。
二つ、どこまで自分で決めていいか分からない。
三つ、自分の判断に自信がない。
四つ、中隊長が拾ってくれるから、上げた方が安全。
だいたいこれです」
第5中隊長は、遠くで娘が滑り台を滑るのを見ながら、小さく言った。
「全部、ありそうです」
「でしょうね」
「じゃあ、どう切ればいいですか」
補給科長は、そこでようやく第5中隊長の方を向いた。
「まず、“何でも上げる方が正しい”をやめさせることです」
「……はい」
「次に、“これは自分で決めていい”“これは分隊長まで”“これは小隊長”“これは中隊長”の線を言葉で配る。
最後に、“相談するときは、自分の案を一回添えさせる”です」
「自分の案」
「ええ。
“どうしましょう”だけ上げるから、安心のための投げになります。
“自分はこう思いますが、どうでしょう”に変える。
それだけで、思考停止の確認はかなり減ります」
第5中隊長はそこで、少しだけ目を細めた。
「それ、反発ありませんか」
「最初はあるでしょうね。
でも反発というより、不安です。
今まで“全部上げるのが安全”やった人に、急に持たせるんやから」
「……」
「だから、ただ“自分で考えろ”では駄目です。
線を配る。
基準を返す。
外した時は怒るより、“どこで線を見誤ったか”を戻す。
そこまでやってやっと改善です」
第5中隊長は、そこで少し笑った。
「面倒ですね」
「面倒ですよ。
だから皆、“とりあえず全部上げろ”で済ませたがるんです」
「でも、その結果が120時間残業」
「そういうことです」
風がまた少し吹いた。
補給科長は立ち上がって、砂場の方で末っ子が転びそうなのを一度確認し、また戻ってきた。
「週明け、小隊長達を集めてください」
「小隊長だけでいいですか」
「まずはそこです。
いきなり全員へ流すと、また“中隊長の新しい方針”だけ伝わって雑になります。
最初は主要な人間に、何が問題で、どう変えるかを理解させる方が早い」
「……分かりました」
「あと」
補給科長が、少しだけ間を置く。
「第5中隊長」
「はい」
「“部下が細かく上げてくるからしんどい”では伝わりませんよ」
「では」
「“確認が多すぎるから減らせ”でも駄目です。
それやと部下は、今度は“どこまで切っていいか分からん”でまた固まる」
「……なるほど」
「必要なんは、量を減らせやなくて、境界線を配ることです」
第5中隊長は、そこでゆっくりうなずいた。
「分かりました。
週明け、やってみます」
「やってみるやなくて、やるしかないでしょうね」
「ほんま、最後まで優しくないですね」
「でも本質でしょう」
第5中隊長は、娘の笑う声を聞きながら、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「……はい。そこは否定しません」
(第5中隊・会議室)
週明け。
第5中隊長は、小隊長達と主要な陸曹を会議室へ集めた。
顔ぶれは、真面目な人間が多い。
どちらかと言えば、今の“確認しすぎる第5中隊”を支えている側の人間たちだった。
第5中隊長は、最初から遠回しに言わなかった。
「最近、第5中隊は、確認が多すぎて業務が詰まっています」
第2小隊長が少しだけ眉をひそめる。
「確認、ですか」
「ええ。
丁寧さそのものを否定するつもりはありません。
でも今の状態は、“必要な報連相”と“安心のための確認”が混ざっています」
室内が少し静かになる。
誰も怠けているつもりはない。
だからこそ、“確認しすぎ”と言われると少し痛い。
第5中隊長は、その空気を見たうえで続けた。
「まず確認します。
最近、皆、自分で決めて進めるより、一回上に上げて確認した方が安全だと思っていませんか」
完全な沈黙のあと、若い陸曹が小さく答えた。
「……思ってます」
もう一人も続いた。
「以前、勝手に進めて事故った時に、ご指導を頂きましたので……」
「はい。そこです」
第5中隊長はうなずいた。
「その結果、“迷ったら全部確認”へ寄った。
気持ちは分かります。
でも今の第5中隊は、そのせいで中隊長判断に流れ込みすぎています。
これでは、皆も育たないし、日中の仕事も詰まる」
第1小隊長が、少しだけ言いにくそうに言った。
「中隊長が拾ってくださるので……その方が確実かと」
「ええ。そこも問題です」
会議室の空気が、少しだけ動いた。
「今後は線を引きます」
第5中隊長は、机上に置いた紙を配る。
そこには簡単な分類が書かれていた。
① 即時上げるもの
人命・安全・服務事故・対外影響大
② 小隊長判断で処理し、後で共有するもの
軽微な日程調整、定型的な対外連絡、軽微修正
③ 小隊長までで止めるもの
既定手順内の運用変更、班内再配分、軽微な判断
④ 中隊長へ上げる時の条件
前例逸脱、判断根拠が割れる、責任所在が中隊長級に乗るもの
班長たちは紙を見た。
そこで初めて、今まで曖昧にしていた線が、文字で置かれた。
「そして、相談するときは“どうしましょう”だけではなく、自分の案を添えてください」
第5中隊長は、紙を見上げた部下たちへ言った。
「“自分はA案が妥当と考えます。理由はこうです”
まで持ってくる。
中隊長はその線で確認します」
若い陸曹が少し不安そうに尋ねる。
「外したら、どうなりますか」
第5中隊長は、そこで少しだけ表情を柔らかくした。
「外した時は直します。
ただし、“なぜその線で判断したか”は確認します。
最初から全部中隊長へ投げるより、その方がずっといい」
第2小隊長が紙を見ながらぽつりと言った。
「……正直、どこまで自分で持っていいか分からないことが多かったです」
「そうでしょうね」
第5中隊長は、短く答えた。
「そこを今まで、こちらが曖昧にしていました。
だから、ここからは線を返します」
その場で、完全に空気が変わったわけではなかった。
だが少なくとも、“確認が多いのは部下の性格”という話ではないことは、皆に伝わった。
(第5中隊・事務室)
最初の数日は、ぎこちなかった。
「中隊長、この件、自分の案としてはAで進めたいんですが……」
「理由は」
「前例と、調整先の負荷を考えてです」
「よろしい。そのままやってください」
そんな会話が増えた。
逆に、第5中隊長がその場で切るものも増えた。
「それは班長判断でいいです。後で共有だけで十分です」
「これは小隊長までで止めてください」
「それは今上げなくていい。16時のまとめで聞きます」
最初は、部下たちの顔に不安が見えた。
だが、第5中隊長が本当に“外したら理由を聞いて戻す”だけで、感情的に叩かないと分かると、少しずつ流れが変わった。
報告件数が減った。
いや、正確には、“中隊長へ直接上がる確認”が減った。
小隊長のところで止まるもの。
すぐに中隊長にあげるもの。
まとめて夕方に共有するもの。
それらが少しずつ機能し始めた。
(第5中隊長室)
1週間後。
第5中隊長は、まだ定時ぴったり退庁とまではいかない。
だが、日中に自分の机仕事へ手が付くようになっていた。
早朝出勤は減った。
深夜残業も減った。
休日出勤は、その週はなかった。
何より、顔色が前より明らかにましだった。
「中隊長、これ、後で共有でいいですか」
「ええ。16時のまとめで持ってきてください」
そんなやり取りが、事務室の中で自然になり始めている。
第5中隊長は、自分でもそれを少し不思議に思っていた。
仕事量が急に減ったわけではない。
人が増えたわけでもない。
ただ、“何でも自分へ上がる流れ”が減っただけで、こんなに違う。
あの公園で補給科長に言われた言葉が、少し遅れて効いていた。
“報連相過多やなくて、判断権限の境界線が死んでる状態です”
あれは、その通りだったのだろう。
(公園)
数週間後の休日。
補給科長は、また同じ公園にいた。
子どもたちは相変わらずよく動く。
補給科長の次男はボールを持って走り、次女と三女は砂場の近くで何かを作っている。
そこへ、第5中隊長と愛菜がやってきた。
前と違ったのは、まず第5中隊長の顔色だった。
疲れてはいる。
だが、前のような“人間の電池が切れかけてる顔”ではない。
「また会いましたね」
補給科長が言うと、第5中隊長は少し笑った。
「ええ。今日は普通に来られました」
「それは何よりです」
愛菜は、もう補給科長の子どもたちを見つけるなり、勝手にそっちへ走っていった。
三女がすぐに手を振り返し、次女が何かを叫ぶ。
補給科長がその背中を見送っていると、数分後、愛菜が急に引き返してきた。
小さな足でとことこと近づいてきて、補給科長の前でぴたりと止まる。
「おじさん」
「何や」
愛菜は、少しだけ真面目な顔をして言った。
「おじさんのおかげで、ママがいっしょにいてくれるじかん、ふえた。うれしい。ありがと」
補給科長は、一瞬だけ止まった。
それから、ものすごく嫌そうな顔で隣の第5中隊長を見る。
「……子どもに何を言わせてるんですか」
第5中隊長は、珍しく職場の鉄仮面ではない、柔らかい笑みを浮かべていた。
「愛菜に“なんで最近早く帰って来れるの?”と聞かれたので、事実を伝えただけですよ」
「いや、もっとこう、言い方があるでしょう」
「何か問題でも?」
「問題しかないでしょう……」
愛菜は、二人のやり取りの意味までは分からず、でも大人が変な顔をしているのが面白いのか、くすくす笑っている。
第5中隊長は、その笑い声を聞きながら小さく言った。
「助かりました。
正直、部下を責めるしかないと思いかけていました」
「でしょうね」
「でも、そうじゃなかった」
「ええ。
怠けてるんやなくて、一生懸命に、安心のための確認を投げてただけです」
第5中隊長は、静かにうなずいた。
「境界線って、大事ですね」
「大事ですよ」
補給科長は、遊具の方へ走っていく子どもたちを見ながら答えた。
「報連相は、ないよりあった方がいい。
でも、多ければいいわけでもない。
どこまで自分で持ってよくて、どこから上へ上げるか。
そこを教えんと、結局、上も下も潰れます」
第5中隊長は、少しだけ笑った。
「今回は、かなり身に沁みました」
「それは何よりです」
「でも、こうやって言語化されるまで、自分では分からなかったです」
「そういうもんでしょう。
渦中におる時って、だいたい“忙しい”でしか認識できんので」
第5中隊長は、娘が補給科長の三女に手を引かれて走るのを見ながら、穏やかに息を吐いた。
「……また詰まりそうになったら、相談してもいいですか」
補給科長は、少しだけ嫌そうな顔をした。
「嫌ですね。休日まで働きたくないんで」
「そう言いながら、結局聞いてくれるでしょう」
「さあ、どうでしょうね」
「少なくとも、見て見ぬふりはしない人でしょう」
「買いかぶりすぎです」
「でも事実でしょう?」
二人の間に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
子どもの声は、相変わらず公園に響いている。
ただ今回は、その音が前より少しだけ穏やかに聞こえた。
報連相は、量を増やせば解決するものではない。
安心のために全部上へ流すだけでは、誰かの机が詰まり、誰かの生活が削れていく。
必要なのは、黙らせることではなく、境界線を教えること。
どこまで自分で持ち、どこから上へ上げるのか。
その線を配って、ようやく組織は少しだけ楽になる。
補給科長は、娘に追いかけられて走り出した三女を見ながら、小さく息を吐いた。
「……子どもに礼言われるの、一番困るんですよね」
第5中隊長は、それを聞いて少しだけ笑った。
「知りませんよ。事実なんで」
補給科長は、嫌そうに眉をしかめた。
「その言い方、移りましたね」
「良い教育だったんじゃないですか」
「最悪ですね」
そう言いながらも、補給科長の口元はほんの少しだけ緩んでいた。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
他に書きたい話ができたため、このシリーズは一度ここでお休みします。
思いつきで始めた連載でしたが、ここまで続けてこられたのは、読んでくださった皆さまのおかげです。
また、もし
「こういうテーマを科長に解説してほしい」
「こういう悩みを、あの人ならどう切るのか見てみたい」
というものがあれば、感想などでお知らせください。
内容によっては、短編という形でお答えできるかもしれません。
もっとも、かなり科長の私見は入ると思いますが、そのあたりも含めて楽しんでいただければ嬉しいです。
ひとまず、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




