O-30:報連相は、多ければいいわけではない
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(公園)
休日の午後。
補給科長は、ベンチに浅く腰掛けたまま、公園を走り回る子どもたちを眺めていた。
上の子らは遊具へ散り、下の子は砂場に座り込んでいる。
妻は少し離れたところで末の子を見ていた。
平日と違って、頭の中へ締切も依頼書も飛び込んでこない時間だった。
来ようと思って来たわけではない。
今日は家族に引っ張り出された。
「お父さーん、見てー!」
遠くから子どもの声が飛ぶ。
補給科長が手を振り返した、その時だった。
「……補給科長?」
聞き覚えのある声に振り向くと、第5中隊長が立っていた。
その隣には、小さな女の子がいる。
第5中隊長は、職場で見るときのような隙のない表情ではなかった。
ラフな服装に薄い化粧、それでも背筋はきっちり伸びている。
ただ、顔だけが妙に疲れていた。
「珍しいですね」
補給科長が立ち上がる。
「第5中隊長が公園にいるの。久しぶりに見ました」
「娘の希望です」
第5中隊長は短く答えてから、少しだけ笑った。
「補給科長こそ、家族サービスですか」
「強制連行です」
「そうですか」
乾いたやり取りのあと、補給科長は娘の方へ目を向けた。
「愛菜ちゃん、久しぶりやな。お母さんと公園来たんか」
娘は一瞬だけ母親の脚に隠れかけたが、すぐに補給科長の顔を見上げた。
完全な他人に向ける警戒はない。
それなりに見慣れた“大人”を見る目やった。
補給科長は、そのまま少し離れた場所で遊んでいる自分の子どもらへ声を飛ばした。
「おーい、ちょっと来い。お客さんや」
最初に駆けてきたのは次女、そのあとを三女と次男がついてくる。
「なにー?」
「愛菜ちゃん、久しぶりやろ。一緒に遊んできてええぞ」
次女がすぐに顔を輝かせた。
「あ、愛菜ちゃんや!」
三女も続いて手を振る。
「いっしょにすべりだいする?」
第5中隊長の娘は、最初だけ母親の服を握っていたが、そこへ妻が穏やかに声をかけた。
「お姉ちゃんたちと行っておいで。お母さんはここで見とるから、大丈夫やよ」
次女が自然に手を差し出す。
三女もぴょこぴょこ横で待っている。
少し遅れて次男が「鬼ごっこでもええぞ」と言った。
娘は、母親の顔を一度見てから、小さくうなずいた。
「いく!」
そのまま三人に混じって、遊具の方へ走っていく。
第5中隊長は、その後ろ姿をしばらく目で追っていた。
肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
「助かります」
「そらどうも」
補給科長は何でもない顔で答えた。
「うちの子らも愛菜ちゃんと久しぶりに遊べて喜んどりますから」
第5中隊長はそこでようやくベンチへ座った。
母親としての意識を完全に切ることはないだろうが、それでも、少しは会話ができる顔になっていた。
補給科長も座り直し、改めて第5中隊長の顔を見た。
久しぶりに見た、というのもある。
だがそれ以上に、疲労が濃かった。
寝不足の顔。
肌のくすみ。
笑っていても目の奥が休めていない。
「随分久しぶりですね。最近忙しいですか?」
第5中隊長は、一瞬だけ答えを探す顔をした。
それから、職場で見せる鉄仮面の姉御ではなく、ただの母親の顔で小さく息を吐いた。
「忙しいですね。
娘を公園に連れてきたのも、だいぶ久しぶりです」
遊具の方から、娘の笑い声が飛んでくる。
第5中隊長は、その声を聞きながら続けた。
「繁忙期ではあるんですが……。
それにしても、最近ほんとに娘と遊んでやれてなくて。
今日はようやく作れた休みなんです」
補給科長は、少しだけ目を細めた。
たしかに今は忙しい。
だが、第5中隊長は第5中隊長や。
あの人の処理能力で、ただ繁忙期というだけでここまで顔が死ぬことはあまりない。
「最近の残業時間は?」
第5中隊長は、そこで一瞬だけ補給科長を見た。
ああ、そこを聞くのか。
そんな顔だった。
「……先月で120時間くらいです」
補給科長は、すぐには返さなかった。
風が少し吹いた。
砂場の端で遊んでいた子どもが、何かを叫んで笑っている。
補給科長は、その平和な音の中で静かに言った。
「それは多いですね」
「多いです」
「貴方の能力で必要になる量やないでしょう」
第5中隊長は、小さく苦笑した。
「さすがに買い被りすぎです」
「事実なんで」
補給科長は、少しだけ前傾姿勢になった。
「業務量の問題ではないなら、構造でしょう。
心当たりは?」
第5中隊長は、しばらく黙っていた。
娘が補給科長の三女に手を引かれてブランコの方へ行くのが見える。
その様子を見届けてから、ようやく口を開いた。
「日中に自分の業務を進めることが出来ないから、ですね」
「……ほう」
「日中、ほとんどが部下からの報告受けや指導で終わります。
自分の机仕事に手を付けられるの、定時後からなんです」
「どんな内容ですか?」
第5中隊長は、そこで指を折るようにして言った。
「昨日の場合だと、
“今日の車両誘導の並び、A案とB案どちらがいいですか”
“この文書、合着の順番はどちらが優先ですか”
“第1小隊の陸士が、少し顔色悪いんですが早退させますか?”
みたいなのが来ます」
「ええ」
「午前中は
“この電話、どこまでこちらで回答してよかったですか”
“業務隊への確認、今の段階で入れていいですか”
“この書類、先に班長確認ですか中隊長確認ですか”
って感じです」
「ええ」
「午後になると
“今の段階で中隊長に上げるべきか悩みました”
“念のため確認ですが、こういう理解で合ってますか”
“さっきの件、今処理していいですか、それとも明日まとめた方がいいですか”
が続きます」
補給科長は、そこで何も言わなかった。
ただ、少しずつ顔が真顔に寄っていく。
第5中隊長は、それを見て、少しだけ言いにくそうに続けた。
「部下は、別に怠けてるわけじゃないんです。
むしろ皆、責任感は強い。
だからこそ、何かあればすぐ上げてくる」
「班長級もですか」
「班長も、若手もです。
細かい差はありますけど、全体として“確認してから進める”がかなり強い」
「で、中隊長は全部拾ってる」
「……はい」
補給科長は、少しだけ呆れたように息を吐いた。
「そら120時間行きますね」
「自分でもそう思います」
「断れないんですか」
第5中隊長は、そこで苦い顔になった。
「断るというか……。
雑に切って事故るくらいなら、一回見た方が早いと思ってしまって」
「でしょうね」
「あと、以前“私が知らないところで、勝手に事故っていた”事があって。かなりきつく指導してしまったんですよね。
それ以来、皆ちょっと確認寄りになった感じはあります」
「なるほど」
補給科長は、そこでやっと全体像が見えた顔になった。
業務量そのものが爆発しているわけではない。
中隊長が無能なわけでもない。
部下が怠けているわけでもない。
むしろ逆や。
部下も上司も、責任感が強くて真面目やから、全部“確認した方が安全”へ寄っている。
その結果、判断が全部中隊長へ集まり、日中の稼働が死んでいる。
「第5中隊長」
「はい」
「今の話だけで、だいぶ見えました」
「……何がです」
「それ、報連相が多いんやなくて、確認のしすぎです」
第5中隊長が、少しだけ眉をひそめる。
「違いがありますか」
「かなりあります」
補給科長は、前方の遊具を見ながら言った。
「たとえば、異常がある。問題が起きた。判断を要する。
そこを上げてくるのは報連相です。必要でしょう」
「ええ」
「でも、今聞いた内容、だいぶ
“自分で持っていいか分からないから、とりあえず全部上げてる”
になってます」
「……」
「しかも、中隊長が拾ってくれる。
なら部下から見れば、“上げた方が安全”になります」
第5中隊長は、そこで黙った。
娘が遠くで笑っている。
補給科長の三女と一緒に、次男を追いかけ始めていた。
第5中隊長はその姿を見ながら、小さく言った。
「つまり、自分が育てた、と」
「半分はそうでしょうね」
「半分ですか」
「残り半分は、組織です」
補給科長は即答した。
「過去に勝手判断で事故った。
事故を嫌がる。
責任感が強い。
上司も真面目で、拾ってくれる。
そら、何でも確認する集団ができますよ」
第5中隊長は、そこで少し笑った。
笑った、というより、ようやく自分の疲労の正体に名前が付いたような顔だった。
「……なんか、部下が悪いわけじゃないのが、逆にしんどいですね」
「でしょうね」
「皆、一生懸命なんです」
「ええ。だから面倒なんですよ」
補給科長は、何でもない顔で言った。
「怠け者がサボってるだけなら、まだ切りやすい。
でも今回は、部下も上司も責任感が強くて、一生懸命に、綺麗に詰んでる」
第5中隊長が、思わず吹き出した。
「言い方」
「でも本質でしょう」
「否定はしません」
少しだけ、空気が軽くなった。
補給科長は、その変化を見てから続けた。
「ただ、これは放ってても治りません。
“確認しすぎる方が安全”という学習が回ってる以上、誰かが線を引き直さないと、ずっと中隊長に流れ込みます」
「……どう切ればいいと思いますか」
補給科長は、そこでベンチから少し立ち上がり、遊具の方を見た。
下の子が転びかけて、妻が慌てて駆け寄るのが見えた。
その様子を確認してから、また座る。
「それは次です」
「次」
「今日は、まだ診断まででしょう。
原因を雑に“部下の報連相が多すぎる”で終わらせると、また外します」
第5中隊長は、そこで少しだけ首を傾げた。
「では、何が正確なんですか」
補給科長は、静かに答えた。
「部下が報連相好きなんやなくて、
“自分で持っていい範囲”が分からんのです」
風が吹いて、ベンチの下の砂が少し舞った。
補給科長は、そのまま続ける。
「もっと言うなら、中隊長が“どこまで自分で決めていいか”を、部下に渡せてない。
だから皆、安心のために確認を投げる。
今起きてるのは、報連相過多やなくて、判断権限の境界線が死んでる状態です」
第5中隊長は、そこで完全に黙った。
図星だったのだろう。
反論はなかった。
ただ、娘が遠くで転ばずに踏ん張って笑ったのを見て、第5中隊長の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……次、聞かせてください」
「でしょうね」
補給科長も、ようやく少しだけ口元を緩めた。
「このままやと、公園来る時間どころか、家で子どもの顔見る時間も削れていくでしょうし」
「それ、かなり刺さりますね」
「事実なんで」
公園には、子どもの声がまだ響いていた。
だが、大人二人の会話だけは、そこだけ少し静かだった。
報連相は、ないよりあった方がいい。
それはたしかだ。
でも、どこまで自分で持ってよくて、どこから上へ上げるべきか。
その境界線が消えた時、報連相は安心の道具ではなく、組織を静かに詰まらせる流れにもなる。
第5中隊長は、遠くで遊ぶ娘を見ながら、小さく息を吐いた。
「……ああ、だから自分、ずっと机に貼り付いてたんですね」
補給科長はそれに答えなかった。
ただ、次に何を話すかは、もうだいたい決めている顔をしていた。




