敵意と嫉妬と羨望と
怒りを湛えた目で自分をジッと見据える男性。アケチはその顔立ちにヒロと共通のものを発見する。
父親かー
アケチはにこやかに挨拶することも、目に敵意を込めることもせず、ただ目の前の男を見つめる。
「誰だ?こいつは」
男がアケチに視線を当てたまま尋ねる。アケチは視界の端でヒロを捉える。ヒロの細い肩が微かに震えている。
男の目に渦巻く感情。嫉妬だ。敵意と嫉妬。そして歪んだ羨望。アケチの目には娘を結婚相手に奪われた父親というより、自分の恋人をレイプされた男の表情に見える。自分の所有物を穢されたという屈辱。同時に穢したのが自分ではないという激しい失意。
その痩身に渦巻くタールのような怨念。ヒロは毎日この怨念を浴びながら暮らしているのだ。
ヒロは父を見ず視線を伏せたまま小刻みに身体を震わせている。
「家庭教師の先生ー」
アケチはヒロの怯えた声を初めて聞いた。
「家庭教師?」
男が黄色いレンズの向こうで目を細める。蛇の目だとアケチは思った。
アケチと男の視線が宙で絡む。
「えぇ、アケチくんは頭脳明晰な大学生でしてね。なにしろ御所大生ですから」
背後から声が掛かった。ナミコシ警部だ。
「ヒロさんも頑張って勉強されておられますよ、小林室長」
小林室長と呼ばれた男が訝しげな表情になる。
「ナミコシか?二人を知ってるのか?」
小林室長の目が用心深く細まる。
「えぇ室長。二人とも協力者なんです。例の警察官転落死の件、早期解決できたのはお二人のおかげです。ヒロさんの活躍も素晴らしかった。さすがは小林室長のお身内だ」
小林室長は用心深く表情を隠しながらアケチとヒロを観察する。
「今ではお二人は家庭教師と生徒の関係でもあります。事件解決に協力していただくうちに自然とそういう関係になったのでしょう」
小林室長は目を糸のように細めてアケチを見る。敵意と嫉妬の色は消えていない。
「そうか。分かった。帰るぞ、ヒロ」
その言葉にヒロはビクンと肩を震わせる。勇気を振り絞るようにヒロが言う。
「あっー こ、この後、授業だから…」
父と子の間に冷たい緊張が走る。すかさずナミコシ警部が間に入った。
「小林室長、差し出がましいようですが、私もまだ二人に用がありますので。よろしければ授業終わりに私がご自宅までお送りしましょう」
小林室長はナミコシ警部の言葉を吟味するように間を取った。そして車のドアに手を掛けながら、
「じゃあよろしく頼む」
そう言い残して車に乗り込むと、ウインカーも出さずに走り去る。
車を見送ったアケチは、ヒロの様子を見ながら声をかけた。
「今日はもう飯は作らなくていいから。その辺で何か食おう」
ヒロは首を振る。
「作るよ。作りたいんだ。料理するとちょっと落ち着くから」
ヒロは衣替えのあとに訪れた予想外の寒空に震えるように、両腕を抱いている。
「分かった」
近くのスーパーマーケットに行く。ヒロはアケチの押すカートに選んだ食料品を入れていく。
アケチはヒロに聞こえないようナミコシ警部に言った。
「警部、ヒロが小林室長の家族だって知ってたんですね!?」
ナミコシはちょっと頭を掻きながら、
「えぇまぁー 上役の家族構成ぐらい頭に入っていないと警察では生きていけませんからな」
カートに乗せたカゴが二つ一杯になる。レジに並ぶとナミコシが、
「あ、ここは私が払いますよ。この後お二人に話を聞いていただきたいので」
「え?僕らに用があるって本当だったんですか?」
「はは、事件は毎日起こりますからな。それにヒロさんの料理はなかなかのものですしね」
ヒロは小さく笑った。アケチはナミコシの自然に褒め言葉を口にする才能をうらやましく思った。
第二章「落ちる警官」了
第三章「黒い蜥蜴と魔女」へ続く




