8.推理編①
りんごさんに言われた通り、あらためてぼくは、あのエレベーターに乗る直前――エントランス部分での出来事を思い出しながら説明しはじめた。
都内の小じんまりとした七階建の雑居ビル。その最上階の七階に、ぼくが面接を受ける予定だった会社のフロアがあった。
一階のエントランス部分は、ざっと十二畳から十五畳ほどの広さ。
入口はガラス製の両扉が常に開放されていた。中に入ると、左手に小窓で仕切られた受付があり、奥のほうでビルの管理人――四十代くらいの肥満体型の男性――が、テレビを観ながらお茶を飲んでいた。
そして入口向かって正面には、問題のエレベーターが二基ならんでいた。ぼくと彼女たちが乗り込んだのは左側の筐体で、右側の筐体は清掃中。右側の筐体の扉は開放状態で、その中で三十歳前後の清掃員の男性が掃除をしていた。
エレベーター正面から見て左手には裏口に繋がる通路があり、右側には手前から階段と男女共用トイレがある。階段は、そのまま直接最上階まで昇ることもできるようだが、昇りきるのはそれなりに体力が必要かもしれない。通路の左側には受付の小部屋に通ずる扉があり、さらにその小部屋の奥には、関係者用の休憩スペースが設けられている。おそらく受付の人などはそこから出入りするのだろう。
そして。
事件当時、一階のエントランスにいた人物は、全部で六人。
左側筐体にいた、ぼくと亡くなった小柄な女性と眼鏡の女性。
受付でテレビを観ていた、四十代くらいの肥満体型の男性。
右側筐体で掃除をしていた、清掃員の男性。
エントランスの壁際で何やら電話をしていた、若いキャリアウーマン。
そして、犯行に用いられた凶器は硫化水素。
おそらく、ぼくと彼女たちが乗り込んだ時点では、硫化水素はまだ筐体内に充満してはいなかったと思われる。なぜなら、その時点で硫化水素が充満していたら、筐体の扉が開いた瞬間、エントランスにいた他の人たちも被害に遭う可能性があったからだ。だから硫化水素が筐体内を充たし始めたのは、扉が閉まって、上階にあがったあとと推測する。
その途中で彼女たちが次々に気を失い、そのまま意識を取り戻すことなく亡くなった。その直後、ぼくも意識を失ってしまったが(気を失った原因は硫化水素中毒による窒息ではなく、心因性のショックではあるが)、気を失う寸前、階数パネルに『7』の数字が点っていたのをたしかに見た記憶があった。それにぼくが意識を取り戻した場所は、七階フロアの面接予定の会社の入口前である。面接の時間になっても来ないぼくを心配し、採用担当の男性社員が様子を確認するため、フロアを出たら、筐体内で倒れている三人を発見した――という経緯らしい。つまり、ぼくたちを乗せた筐体は、途中で一度も別フロアに停まることなく、そのまま一気に七階まであがったあと、数分間ずっと七階フロアに留まっていた、ということになる。
また、倒れていた三人を発見した採用担当の男性社員は、三人の安否確認を行ったあと、すぐに救急と警察に連絡をしたそうだ。その後、息があったぼくの応急手当をおこない、そのお陰でぼくは意識を取り戻した――というのが、警察の事情聴取による内容だ。
そして彼女たちの遺体だが、犯人らしき人物の指紋や外傷などは検出されず(安否確認をした面接担当の男性の指紋くらいだ)、検死の結果は硫化水素中毒による窒息死で間違いなかった。また、遺体のポーチに入っていた財布や物品が盗まれたり、遺体に乱暴されたような形跡もなかったため、物盗りや性的目的による犯行ではなく、ビル内のガス事故と断定された。しかし先述の通り、エレベーター内には硫化水素が一分子も検出されなかったのだ。それどころか、周辺ビルを含めて、ガス漏れ箇所の発生場所すら突きとめることができず、警察の捜査は非常に難航しているようだった。
「……ううむ」
自分自身が体験したことなのに、まったくもって現実味がない奇妙な事件に、強烈な不快感を抱いたぼくだった。こうして、りんごさんに説明しているときですら、出来の悪い作り話のように思えて仕方なかった。
一体、誰が犯人なのだろうか?
というかそもそも、この中に本当に犯人――魔法使いがいるのだろうか?
りんごさんは「この中に真犯人がいる」と言っていたが、彼女は実際にあの場にいたわけではないし、彼女の思い過ごしという線もないわけではないだろう。
などと、そんなふうに思案するぼくを見たりんごさんが、揶揄うように「探偵のように思案に暮れる表情。案外さまになっていますね」と声をかけた。
「どうですか? まだ時間もあることですし犯人が誰なのか考えてみませんか?」
「え、ぼくがですか?」
「はい。魔法に関する前提条件は先ほど言った通りです。それを知っていれば犯人を言い当てることは現段階で誰にでもできるようになっていますから」
「で、でも。ぼくとしては、犯人を捕まえてくれさえすれば……」
「もちろん。依頼人のあなたがそう言うのであればそれでもいいですが。おそらく今後もあなたは数々の魔法絡みの難事件に巻き込まれるだろうことは想像に難くない。だからある程度簡単な事件のうちに最低限の思考力や魔法への対抗手段を身につけておいたほうが後々よいかと」
それは……たしかに彼女の言う通りだった。
まあそれに正直、探偵みたいな特殊極まる職業にまったく憧れがないわけではないので、ここは彼女の指示に従うことして、自分で推理をしてみることにした。
「わかりました。やってみます」
「ふふ。いい心がけですね」
りんごさんは今日一番の微笑を見せた。ぼくが推理に挑戦するのがそんなに嬉しいのだろうか? ……ああ、あれか。自分の活動や好きなものを他の誰かがやっていると、親近感を覚えるみたいなものだろうか? もしくは今この場では、彼女はぼくの「先輩」ということになるから、教育欲みたいなものが働いているのかもしれないなと考えた。
……まあ、なんでもいいが。
とにかく、ぼくは思考を事件へと移した。
あのときエントランスにいた六人。ぼくと亡くなった被害女性の二人を除外すると、容疑者候補は三人となる。受付にいた肥満体型の男性。清掃員の男性。そしてエントランスで電話をしていた若いキャリアウーマン。
犯行動機の線で考えると、警察の調べでは、遺体から現金が盗まれたり、遺体の身体を乱暴された形跡はなかったようなので、比較的安月給であろう清掃員や、異性である管理人による犯行だと断ずることはできない。しかしだからと言って、あのキャリアウーマンがあやしいというわけでもないのだが……。それに今思ったが、犯行動機から犯人を絞り込もうとするには、被害女性と三人の容疑者たちの関係性がわからなすぎた。仕事場が同じビルなだけあって、受付にいた管理人と清掃員の男性陣とは顔見知りだと思うが、キャリアウーマンに関しては、営業活動でたまたまあのビルを訪れていたらしい。なのでぼくは一度、犯行動機から犯人を絞り込むことは非効率と考え、一旦あきらめることにした。
そんなぼくを見かねてか、りんごさんはぼくに助け舟を出してくれた。
「犯行動機は考えなくて大丈夫です。今回の事件で一番重要なことは――犯人である魔法使いがいかにして『魔法式』を発動させたか。そしてどのタイミングで何回魔法を発動させたかが焦点となります」
「タイミング? ……何回?」
「考えてもみてください」
そう言うと、りんごさんは立ち上がって、部屋の中を歩きはじめた。
「門間さんたちがエレベーターに乗ったときまだ筐体内には硫化水素が充満していなかった。ということは筐体の扉が閉まり上階にあがっている途中で硫化水素が『散布』されはじめたと考えるのが妥当です。さらに七階に到達した筐体の扉が開きっぱなしだったにもかかわらずフロアにいた他の従業員たちが誰一人硫化水素中毒になっていないということは――筐体の扉が開く前に犯人は魔法で硫化水素を『回収』したことになります。つまり犯人は筐体が移動している間に『二回』魔法を使用したことがわかります」
下層階で硫化水素をばら撒いて、中層階で三人を窒息させたあと、最上階で扉が開く前に硫化水素を回収した。
「し、しかし」
りんごさんの説に、ぼくは異を唱えた。
「本当に魔法は二回発動されたんですか? 例えば、下層階でばら撒いた硫化水素が、通気口から出ていった可能性はありませんか? それなら一回ですみますよ。それに、魔法の発動タイミングと回数が重要と言いましたけど、それがどう事件に関係してくるっていうんですか?」
「関係大ありです」
りんごさんは立ち止まって、こちらを振り返った。
「魔法の発動タイミングと回数がわかるということは容疑者三人のうちの誰にその犯行が可能だったのかがわかるということです」
「犯行可能な人物?」
「はい。それに」
と、りんごさんは続ける。
「通気口から硫化水素が出ていったとしても筐体内にガスが一分子も残っていないのは可笑しいですよね。仮にガスが通気口からビルの外にすべて排出されたのだとしたら通りかかった人が異変に気づくか――それこそ死なないにしても体調不良になって騒ぎになっているはずですから」
――周辺ビルを含めてガス漏れ箇所はどこにもありませんでした。
りんごさんはもう一度念を押すように、その情報を語った。
「現代科学でこんな芸当をするのは不可能です。この事件には絶対に魔法が絡んでいるとわたしは確信しています。というかそもそもこの事件に魔法が絡んでいる確固たる証拠はあるじゃないですか。そう――あなたの『魔法不干渉』ですよ。それが何よりの証拠です」
「まあ、確かにそうでしたね……」
ぼくの魔法が効かないという体質――『魔法不干渉』。その奇特な体質のお陰で、高濃度の硫化水素に晒されても死なずにいれているのだ。なので、魔法が関与しているのは確定事項といって間違いない、ということか。
「じゃあ、この事件に魔法が関与しているのは確定として。魔法を発動するタイミングが重要ということですが……もう一度『魔法式』の発動条件のおさらいなんですが、犯人はぼくたちのすぐ近くにいた、ということは間違いないですか?」
「はい。正確には十メートル以内に必ずいたはずです」
そして、その容疑者候補がエントランスにいた三人のうちの誰か、ということらしい。
「さあ。これだけ情報が出揃えばもう犯人はわかりましたよね?」
さも、それが当然みたいな口調で訊ねてくるりんごさん。
「いや、全然わかりませんけど……」
ぼくの頭脳を探偵基準で勘定しないでほしい。それにぼくは、普段からミステリーを読まない人間なのだから。
「ふむ」
するとりんごさんは、口に手を当てながら少し思案した後、
「犯人が硫化水素を『回収』した理由は何だと思いますか?」
と、さらなる助け舟を出した。
「回収した理由?」
「ええ。だって窒息死させるのが目的なら別に硫化水素を回収する必要ってどこにもありませんよね? それどころか硫化水素を回収するために筐体に近づいたところを誰かに見られたら一発でアウトじゃないですか。それなのにそこまでして硫化水素を回収したかった理由は何だと思いますか?」
「……証拠隠滅ですか?」
りんごさんの質問に少しだけ逡巡したのち、ぼくはそう答えた。
「なるほど。悪くない解答ですね。ですが彼女たちの死因が硫化水素中毒だということはすでにわかっています。それであればむしろ現場から硫化水素を回収する必要性はないと思いませんか? 犯人が硫化水素を回収した理由はもっと単純な――生物の本能に関することですよ」
「生物の本能?」
「はい。だって硫化水素を回収しないとガスが充満した筐体が『ビルを縦横無尽に動き回る』んですよ。いつどこの階に停まって扉が開くかわからない……そんな死の筐体が自分のいるフロアに停まったら己自身に危害が及んでしまうじゃないですか。だから犯人はビルに居続けなければならない立場の人間だということがわかります。逆に言うとこのビルの人間ではない――営業で訪れたキャリアウーマンは容疑者候補から外れることになりますね」
「なるほど……」
もし営業の彼女が犯人なら、硫化水素をばら撒いたあと、すぐにビルを抜け出し、そのまま何食わぬ顔で帰社すればいいのだ。そうすれば己自身が危険に見舞われる心配はないし、疑われることもない(少なくとも警察目線、ぼくよりはあやしくないだろう)。
となると容疑者候補は、これであと二人。




