5.探偵と依頼人
「事件の謎を解き明かす前にいくつか確認しておきたいことがあります」
そう言って、りんごさんはぼくをまっすぐ見つめた。
「まず一つ目。どうしてあなたは今回のエレベーター事件の解決をわたしに依頼してきたんですか? こんな奇妙な事件を紹介してくれたことは”魔女”を追っているわたしにとってすごくありがたく思います。ですがあなたにとっての得は何があるんですか?」
「無実の証明です」
ぼくはできるだけ毅然とした態度で答えた。
「ぼくはいま、警察にマークされています。密室のエレベーターに三人いて、二人が死んだ。しかもガス事故の線はほぼ消えた状態。警察がぼくを疑わない理由はないですからね。実際ぼくは退院したあと、事件の重要参考人として警察署で事情聴取を受けました。あくまで被害者という立場での取り調べでしたが、警察はぼくのことを相当怪しく思っているようです」
「よく解放されましたね」
「確実な証拠がありませんからね。ただ、容疑が完璧に晴れたわけでもないので、もしかしたら追加で事情聴取されるかもしれないって……。なのでその前に、りんごさんに相談してみろって、刑部警部に言われました」
刑部警部とは捜査一課の刑事さんで、歳は四十前後の男性。りんごさんとは過去に何度か一緒に事件を解決したことがあるそうで、その縁あってか、今でも警察が手をこまねいている未解決事件の捜査を、こうして時折彼女に回してくれるそうだ。そしてその大体が、魔法使い絡みの事件だという。
「ああ。わたしを訪ねたのは彼の入れ知恵でしたか」
「そういうことです」
「なるほどなるほど。犯人を挙げることがそのままあなたの無実の証明になる――ということですね」
りんごさんは納得したように頷き、
「いいでしょう。依頼を引き受けます――これは”魔女”に繋がる事件かもしれないですから」
と言い、少しだけ愉しそうに微笑んだ。
「それにしても、本当に”魔女”なんて存在するんですか?」
ぼくはひそかに疑問に思っていたことを、彼女に訊いてみた。
この数ヶ月、ぼくは何度か魔法絡みの事件に巻き込まれてきたが、まだ一度も”魔女”を見たことがないのだ。魔法や魔法使いは実際にこの目で見たので何とか信じることができたが、正直いまだに”魔女”の存在に関しては半信半疑だった。
「ええ。存在しますよ。でなければ魔法使いたちが魔法を使うことはできませんから」
ぼくの疑問に、彼女はさも当然であるかのように答えた。
「? どういうことですか?」
「魔法を発動するためには魔力が必要。ですがその魔力は人間からは生成されません。そのため『魔女の心臓』から生成される『魔女の血』――魔力が込められている血液を”魔女”から直接分け与えてもらわないと魔法が使えないのです。つまり魔法を発動できる魔法使いは絶対に一度は”魔女”と接触したことがあるはずなんです」
「なるほど……」
「それにわたしにも……いえ。何でもありません」
「……?」
りんごさんは何かを言いかけようとしたが、あまりこの話を深掘りしたくないのか、すぐに話を本筋に戻した。
「では次に二つ目。あなたの体質の話をもう一度確認させてください」
「体質? 『女難の相』のことですか?」
「いえ。『女難の相』のことではありません。あなたのもうひとつの体質――魔法が効かない体質のことです」
「魔法が効かない……体質……」
「これを話すには三ヶ月前――わたしたちが初めて会った日のことを話さなくてはなりません」
そう言われた瞬間、嫌な汗がじわりと流れた。嫌な記憶だ。ぼくは緊張で喉が渇いてしまい、反射的にカップに手を伸ばした。
そういえば、あれも女性絡みの事件だった。しかし、それが今回の謎に関わる確認事項というのなら話は別だった。ぼくは渋々、あのときのことを思い出した。
あれは、就職活動に行き詰まって年明けしているにもかかわらず、未だ就職活動に難航し、人生に絶望を感じていた冬の夕暮れのことだった。
この日の面接も空振りに終わり、とぼとぼと帰路につく途中のことだった。ぼくは気分を変えるため、いつもと違う帰り道――人通りが少ない住宅街を歩いていた。
すると、有料駐車場の奥、何台か停まっている車の陰に、二人の若い男女が見えた。
その二つの影はお互いの腕を絡ませるよう、熱烈に抱きしめ合っていた。何度かキスもしていた。ぼくは最初、その二人が人目のつかない場所でいかがわしい行為をしているカップルに見え、多少の気まずさを感じたのを覚えている。
ぼくは極力、二人の行為を見ないよう、足早に去ろうとしたのだが、その直後「う、うごおおお……がはっ! ごほっ!」と、男性の呻くような声が聞こえてきたのだ。不審に思い、横目で二人のほうを見ると、そこにはもがき苦しみながら地面に倒れている男性がいた。
「え……?」
突然の事態に驚き、ぼくは唖然としてしまい何十秒かその場で動けずにいた。しかしすぐに気を取り戻したあと、急いで男性のもとに駆けつけた。
「大丈夫ですか!?」
「……………………」
そう声をかけたが、彼から返事が返ってくることはなかった。脈をはかるため、屈んで彼の首筋に手を当てたが反応がなかった――彼はすでに亡くなっていた。
「ひっ……」
初めて見る死体と謎の死因により激しく動揺するぼく。その衝撃的な光景に精神的ショックを受けてしまい、軽い眩暈を覚えた。少し吐き気もしてきた。
しかしそんな中でも、ぼくはこの死体の異常性に気づいた。
「……この死体、何か変だ」
見ると、男性の顔は苦悶に歪んでおり、目を大きく見開いたまま静止していた。そしてなぜか睫毛には水滴がついており、眼窩や鼻や耳、半開きの口からは水が漏れるように流れており、その水が頬や顎を伝って地面に零れていた。
目立った外傷はなく、鈍器で頭部を殴られたり、刃物で身体を刺されたような形跡は見られなかった。また首から下の部分に関しては、顔のように水で濡れてはいなかった。
その状態で、彼は絶命したことになる。
「これは……一体……」
乱れる呼吸を抑えつつ、懸命に知恵を振り絞る。しかし、こんな不可解な状況から導き出される答などあるはずもなく、ぼくは途方に暮れた。
「そんなことより、まずは警察に連絡を……」
ぼくは携帯を取り出し、震える手で一一〇番をプッシュしようとしたその瞬間、一つの疑問が浮かび上がってきた。
「そういえば……さっきまで一緒にいたはずの、あの女性はどこに消えたんだろう?」
「さっきからここにいるわよ。ずっとね」
そう言われて、声のした後方を振り返ると、そこには先ほどまで男性と抱き合っていた例の女性が悠然と立っていた。
彼女は屈んでいたぼくを見下ろすかたちで睨めつけている。その目には敵意が含まれているように感じた。
「やっぱり見られてたのね。せっかく人通りの少ない場所を選んだってのに、これじゃあ全部台なしじゃない」
吐き捨てるように呟きつつ、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる彼女。
「あんたがどこから目撃していたかわからなかったから、車の陰で様子を見てたんだけど、私の姿を見られていたんなら、あんたのことも始末しなくちゃならないわね。まあ仮に容疑者にされたところで、確実な証拠なんて見つからないと思うけどね」
そう言って、彼女はぼくの目の前で立ち止まる。そしていきなり、手にしていたペットボトルの水を大量に口に含むと、口を閉じた状態でうがいをするようにくちゅくちゅと音を立てながら、水を口内でかきまぜていた。
ぼくは蛇に睨まれた蛙のように、恐怖でその場から動けなくなってしまっていた。呼吸がどんどん荒くなっていくのが自分でもわかる。
というか彼女、今何て言った?
――あんたも始末しなくちゃならない?
あんたも?
ということは、あの男性を殺害したのは、この女性なのか?
しかし、どうやって?
考えがまとまらないぼくに対し、彼女は「ほへんへ」と言ったあと――先ほど死んだ彼にそうしていたように、その腕をぼくの背中に回し抱きつくように身を重ねた。
「な……っ!?」
その瞬間。ぼくの身体からどっと冷や汗が噴きだした。
いきなり初対面の女性に抱きつかれたショックもあるが、『女難の相』でたび重なる災難に見舞われたぼくの身体は、女性が近くに来るだけで、緊張とストレスによる冷や汗が出てくるのだ。
「くっ……」
ぼくは彼女を振りほどこうとしたが、身体がだいぶ弱っていたのと、目の前に死体が転がっている現場で殺人犯とおぼしき女性に抱きつかれた恐怖心が勝り、されるがままになっていた。
彼女はそんなぼくに対し、口に含んでいた水を口移しするように――口づけをした。
「……っ!?」
ぼくは反射的に顔をそむけて水と一緒に唾を吐こうとしたが、その水が口から出ていくことはなかった。
というかこれは……。
「……んん、んんん! ……ごふっ!」
声を上げる間もなかった。彼女から口移しされた水がまったく出てこない。それどころかその水は、口から咽頭を通って鼻や肺へどんどん入り込んできた。手で掻き出そうとしても、指の間をすり抜けて這入りこんでくる。次第に痛みと息のできない苦しさがつのってきて、思考が遮断される。いつの間にか視界も水でぼやけており、正常な判断が取れずにパニック状態に陥った。
「…………」
それでも微かにぼくの脳裏に浮かんだのは、男性の遺体のことだった。
あの遺体には目立った外傷はなかったが、仰向けで倒れていた顔だけが濡れていた。さらに顔の窪んだ箇所――眼窩や鼻の孔、口などから水が垂れており、表情はまるで溺れていたような苦痛で歪んでいた。
そして今まさに、ぼくも彼と同じように。
地上にいながら、溺死しようとしていた。
呼吸がうまくできない。
視界がだんだんと暗くなっていく。
原理はまったくわからないが、ぼくも彼と同じ被害に遭っていることは明白だった。あまりの苦しさに立っていられず、思わず膝をついた。倒れた拍子に頭を強打しないよう首を丸め、なるべく転倒時の衝撃を抑えることはできたが、今のぼくにできることはこれぐらいだった。
「…………」
薄れゆく意識の中でぼくは彼女を見た。身体が動かなくなったぼくの状態を確認した彼女は、「さようなら」と呟いたあと、男性の遺体を一瞥してから、ゆっくりとその場を去っていった。
「…………」
朦朧とする頭の隅で、色々と不思議に思うところはあった――が、それどころではなかった。意識が……遠のいてゆく……。
――畜生。
こんなところで、死にたくない。
しかし。
生に執着しても、次第に瞼は落ちていく。
…………。
そのときだった。
「……きゃあ!」
と、先ほどの女性の短い悲鳴が聞こえた直後、彼女は勢いよく吹っ飛んだ。俯せの姿勢で倒れた彼女は、すぐさま起きあがろうとしたが、何かに押さえつけられているみたいに――ぴったりと地面に倒れ伏していた。
「……っ!?」
突然のことに状況をまったく理解できていないぼくは、目の前の光景にただ唖然とするほかなかった。気づけば、ぼくの顔を塞いでいた水も、重力に従うようにぽたぽたと地面に流れ落ちている。水が顔から剝がれ落ちてくれたおかげで、ぼくは咳き込みながらも息を取り戻すことに成功した。肺に入った分はまだあるし、かなり苦しかったが、呼吸ができないほどではない。
「はあ……はあ……」
なぜ助かったのか。そのときのぼくにはわからなかった。
謎の力を使う女性。地上で溺れて窒息した男性。自然の法則に背き、まるで意志を持った生物のように動いていた水。
だがそんなことよりも、それ以上に気になる人物がこちらを見ていることに、ぼくは気がついた。彼女が吹っ飛んできた方向へ視線を向ける。
そこには黒衣の少女が立っており、目が合うと、彼女はぼくに対して話しかけてきた。
「最近。この辺りで男性の不審死が相次いでいるとの噂を聞きつけたのでもしやと思ってやって来てみたら――ずいぶんと面白そうな方がいらっしゃるじゃないですか」
夕暮れどきにもかかわらず、黒い日傘をかかげていた彼女は、地面に伸びた彼女とぼく、そして遺体の男性を見比べて、
「ごきげんよう。さて本日の死体はどちらかしら?」
と悠然とした態度で、そんな決め台詞めいたことを言い放った。
「……あら。生きてる数のほうが多いのね。残念」
それが、ぼくとりんごさんの――初めての邂逅だった。




