2.花園林檎
「と、いうことがありまして……」
都内某所。雑居ビルのワンフロア。
『花園探偵事務所』。
事件から二日後。ぼくは応接ソファに腰を下ろし、事件の一部始終をあますことなく説明し終えたところだった。
「……なるほど。事前にある程度お話はうかがっておりましたがこうして門間さんから直接お話を聞いてみますとますます興味深い事件ですね」
そう言うと、彼女は澄ました表情でアッサムティーを優雅に啜った。
「一見ただのガス漏れ事故に見えますがしかしその実とても奇妙な謎が二つも転がっている」
花園林檎。
彼女はぼくが数ヶ月前からお世話になっている私立探偵である。ちなみに他の従業員はおらず、一人で切り盛り経営しているそうだ。
「それにしてもあなたのその不幸体質? まるで行く先々で殺人事件が発生するミステリーの探偵役みたいですね。それにその不幸が起こるときには必ず女性が近くにいるというのも興味深いです。女性限定の不幸体質――『女難の相』とでもお呼びしましょうか。本当に面白い体質ですね。今までそんな珍妙な体質の方は聞いたことすらありません。お陰でいつもよりアッサムティーが美味しく感じるくらいです」
なんたって他人の不幸は蜜の味ですからね――と言いながら、彼女は実に美味しそうに紅茶を口に含んだ。
……あまり人の不幸話で紅茶を嗜まないでほしい。
それに、別に今回が初めてというわけではないけど、死んだ人間を間近で見たときの、あの身の毛のよだつような感覚が、二日経った今でも残っており、いまだに精神的にも体調的にも本調子ではないのだから。
「あら。ごめんなさい。通常死体を見たとき『普通の人』は食欲が落ちるんでしたね」
りんごさんは、しれっと「普通の人」ではないような台詞を言ってのけた。たしかにこの数ヶ月の付き合いでわかったが、この人の感性はどこかが決定的にずれている。
作り物のように――人としての何かが欠けているように。
だがしかし、探偵としての腕は確かだ。推理力、観察力、知識どれをとっても、ぼくの知るどの探偵よりも頭一つ抜けているだろう。しかしそれでも、そんな彼女の探偵としての有能さ以上に、人間性が常軌を逸していると思わざるを得なかった。
しかもその異常性は、彼女の外見にも反映されていた。
りんごさんは全身を黒で固めている。
ヴィクトリア時代の喪服を思わせる漆黒のドレス、レースがあしらわれたヘッドドレス、肘まである手袋、黒い靴に黒タイツという決して陽の下に素肌を晒さない完全防備である。さらに窓辺には彼女が愛用している黒い日傘が立てかけてあった。
一方で髪は明るい赤色で、ゆるく波打って肩口あたりで揃えている。澄んだ瞳は硝子玉のようで、長い睫毛がそれを綺麗に縁取っていた。小柄な痩躯も相まって、とても可愛らしい異国の少女がそのまま大人びたような雰囲気を纏っていた。
さらに特筆すべきは、彼女の白磁のようななめらかな肌だ。健康的でみずみずしい肌なのだが、それと同時に病的な――否、病気がちなまでに白い肌……。そんな相反する印象が同居しており、その姿はまるで、童話の世界から抜け出してきた、出来のよい西洋人形を眺めているような心地になる。
……この人、何歳なんだろう?
さすがに女性に年齢を訊くのはよくないよなあ……。エレベーターでの話じゃないけど、それこそハラスメントに近しい行為だろう。
それに、この可愛らしい西洋人形のような見た目をしたお嬢さま然とした彼女は、年齢以外も謎に包まれている。
「あら? 前に言いませんでしたっけ? わたしは普通の人たちより少々鼻が利くのでいい匂いがするものなら何でも好きですよ。特に紅茶の香りと死体から流れる血の臭いは別格です――血の匂いにはアッサムティーが一番合うのですよ」
……とりあえず彼女が変態だということはわかった。
「わたしは変態じゃなくて変体です。おっと、この発言はネタバレでしたね。ええととにかくわたしは匂いにとても敏感なんです。紅茶の匂いも死体の血の臭いも大好き。ですがそれ以上に――罪の匂いに敏感なんです。なんせ探偵ですから」
そんな物騒ともとれる発言を放ちながら、彼女は自信たっぷりに胸を張った。
そういえば鼻が利くで思い出したけど、エレベーターに乗っていた彼女たちはあの腐乱臭のような臭いに気づいていなかったなあと、ぼくはふいにそのことを思い出した。
りんごさんの個人情報も気になるが、今はぼくの身に襲いかかっている事件の解決をしてもらうことのほうが重要だった。
何故ならぼくとりんごさんは、あくまで依頼人と探偵という関係性なのだから。それも安くない依頼料を払っての。
「そうそう。事件に関してのお話でしたね。前日に事件の内容を聞いていたのですでにあらかた事件の全貌について判明させておきましたよ」
「え、もうわかったんですか? 流石ですね」
事件が起きたのがちょうど二日前。りんごさんに電話で依頼を出したのは、事件翌日の午前中なので、ちょうど二十四時間で事件の全容を解き明かしたことになる。まあ確かに、彼女の推理力を持ってすれば、十分過ぎるほどの時間かもしれない。
「さっきも言いましたけど今回の事件はとても単純なものなんです。難易度で言えばCランクくらいでしょう」
「……それって、どれくらいの難易度なんですか?」
「ミステリー小説を読んだことがある人であれば誰でも解けるくらいのレベルです。ただしいくつかの『前提条件』を知っていることを踏まえての話ですが」
「なるほど?」
よくわからない基準だったが、少なくともぼくには解けない謎らしい。
「シャーロック・ホームズくらい読みましょうよ。これは名作中の名作ですよ」
りんごさんは本棚からホームズ全集を一冊手に取り、そう言った。
「昔ドラマでなら少しだけ見たことがありますけど。どうも活字は苦手で……」
そう言って、ぼくは事務所の内装を見渡した。
以前訪れたときから思っていたが、彼女の事務所はどことなく、かのホームズ先生が住処としていた、あの下宿先を想起させるような内装をしていた。テーブルに置かれたティーセット、ぼくとりんごさんが向かい合って座っている安楽椅子、マホガニーの棚や作業机なんかはすべて西洋風のものだった。そして壁一面を覆いつくす本棚には、ところ狭しと分厚い背表紙の本や専門書、事件に関する新聞記事をまとめたファイリングなどで埋め尽くされており、いかにも探偵事務所といった様相をしている。
はじめは彼女の個人的な趣味かと思ったが、服装といい、無類の紅茶好きといい、いつもの人間味に欠ける冷めた感じとは異なり、ぼくにシャーロック・ホームズを熱心に勧めてくるその表情といい、もしかしたら彼女は熱烈なシャーロキアンなのかもしれない。その証拠に、普段の抑揚のない淡々とした――まるで読点がないかのような機械的な喋り方より、いくらか感情が込められているように見えるし。
「シャーロック・ホームズは、どの回が好きなんですか?」
興奮気味の様子の彼女が妙に新鮮で、謎に包まれている彼女の新たな一面に少しばかり興味を抱いたぼくは、そんなふうに話題を振ってみた。事件の解決も大事ではあるが、まあ多少の脇道はよかろう。
すると彼女はほんの少し頬を緩めながら、「そうですね」と思案する。
「やはり『赤毛組合』ですかね。ミステリーの古典と言われているトリックにもなったホームズの代表作でもありますし何より最後の逮捕劇があざやかで非常におもしろいです。それにもしわたしが作中の登場人物にいたらその組合に呼ばれていたかもしれませんしね」
彼女は自身の艶やかで真っ赤な髪を撫でながら、そんなふうに言った。
「他には二部構成の作りが巧妙な『緋色の研究』や『恐怖の谷』。アイリーン・アドラーが好きなので『ボヘミアの醜聞』。あとは『サセックスの吸血鬼』なんかもいいですね。ええとそれから――」
「な、なるほど」
彼女が喋っている半分も理解できなかったが、楽しそうなりんごさんを見れただけで、妙な満足感があった。
それ以降も彼女は喋り続けていたが、まったく理解できない領域にまで話が及びそうだったので、ぼくは適当に雑談を切りあげて話を本筋に戻した。




