アパートの最終お掃除④
「うん!元気にバイバイできるよ!」
健太くんは小さな手で目元をゴシゴシと拭うと、握りしめていたミニカーをギュッと胸に抱きしめた。
「ぼくね、ママが泣いてるの嫌だったの。ぼくがニコニコバイバイしたら、ママ元気になってくれるよね?」
刹那さんに元気な声でそう問いかけた。
「ええ!もちろんですぅ!絶対になりますよぉ。お母さんにとって、健太くんの笑顔が一番の宝物なんですからねぇ!」
刹那さんが鼻をすすりながら、優しく健太くんの頭を撫でた。
健太くんはニコニコ笑って頷いた。
健太くんはお母さんの背中へトコトコと歩み寄る。
そして、その小さな手を、泣き続けるお母さんの背中にそっと重ねた。
やっぱり手はすり抜けてしまうけれど、健太くんは一生懸命、大きな声でお母さんに呼びかけた。
「ママ! ぼくね、お引越しするの! お星様のところへ行くんだよ!」
その時⋯⋯
お母さんの肩が、ピクッと跳ねた。
声が届いたわけではない。けれど、冷たかった部屋の空気が、ふっと温かい風に包まれる。
⋯⋯
「ママ!ぼくを産んでくれてありがとう! 幸せだったよ!ママのごはん、だいすきだったよ! ママとお出かけしたこととか楽しかった!ママ大好き!!
だからね⋯⋯ママ、もう泣かないで? ぼく、ずっとママのこと応援してるからね!忘れないよ!」
健太くんが満面の笑顔で叫ぶと、ポロリとお母さんの膝の上に「何か」がこぼれ落ちた。
それは、健太くんがずっと握りしめていた、小さなミニカーだった⋯⋯
健太くんの強い「想い」が奇跡を起こしたのか、その手から零れ落ちたミニカーが、確かにお母さんの膝の上に重みとなって届いていた⋯⋯。
「⋯⋯え?」
お母さんが息を飲み、膝の上に落ちたミニカーを拾い上げた。
今まで誰の言葉も聞こえていなかったお母さんが、震える手でそのミニカーを抱きしめる。
「⋯⋯健太? 健太なの⋯⋯? そこに⋯⋯いるの⋯⋯?」
お母さんはそう言って健太くんがいる場所を見つめる。
「うん!ママ! ここにいるよ!バイバーイ!」
健太くんが元気に手を振ると、彼の体がキラキラとした温かい光の粒になって、ゆっくりと空へ舞い上がり始めた。
「あ⋯⋯ありがとう、健太⋯⋯! ママ、頑張るから! 元気でね、健太⋯⋯っ!」
お母さんは涙を拭い、仏壇の写真に向かって、しっかりと微笑んで手を合わせた。
「美鈴さん⋯⋯見ましたか? 届いたんすよ⋯⋯健太くんの想いが⋯⋯っ
あぁっ!掃除機で吸い忘れました〜。まぁたまにはいいですかねえ!」
刹那さんがボロボロと大泣きしながら私の隣で呟いた。
光の中に消えていく健太くんを見送りながら、私の胸の奥も、すーっと晴れ渡っていくのが分かった。
⋯⋯あぁ、そうか。想いを届けるって、こういうことなんだ⋯⋯
その時、ルーク社長が私の隣に立ち、そっと肩を叩いた。
「美鈴ちゃん。君の最後の『お引越しのお手伝い』、見事だったよ」
ふと自分の体を見ると、私のからだを光の粒が優しく包み込んでいた。
「え?私も消えちゃうの?」
「大丈夫だよ一度事務所に戻ろう。」
ルーク社長は私の手を引いて歩き出した。
車へ向かって歩きながら、私は何度もアパートを振り返った。
お母さんの泣き声はもう聞こえない。きっともう大丈夫。
健太くんの想いは、ちゃんとお母さんに届いたんだ。




