アパートの最後お掃除③
「わ、私!!透けちゃってる?⋯⋯私、本当に死んじゃってたんだ⋯⋯」
自分の手を見つめる私に、刹那さんは鼻をすすりながら、子供みたいにボロボロと涙をこぼした。
「⋯⋯すんません。自分、美鈴さんが⋯⋯本当に頑張り屋で、優しくて⋯⋯本当はもっと早く言わなきゃいけないのわかってました⋯⋯でも、居心地が良すぎちゃって⋯⋯『もうちょっとだけ』って誤魔化してました⋯⋯!」
刹那さんのその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
怖さや絶望は、不思議となかった。
ただ、今まで私を優しく守ってくれていた刹那さんへの愛おしさと感謝が溢れてくる。
「⋯⋯刹那さん、泣かないでください。私、怒ってないですよ。⋯⋯むしろ、ありがとうございます。私、幸せでした。あのまま過労死して寂しく消えるはずだったのに、一緒に働けて、すごく楽しかったから」
「美鈴さんっ!」
刹那さんは袖で豪快に顔をぐしゃぐしゃと拭った。
「美鈴ちゃん。あのね。新しい世界へ転生するって思ってもらって大丈夫なんだ。美鈴ちゃんはこの世界を終えて、新しい世界へ行くんだ。」
「新しい世界へ?」
「魂は色々あって、どこの世界へ行くかは旅立った時に決まるんだ。次の世界も色々あるんだよ。これから美鈴ちゃんと行く所は、その1つの世界だね。また⋯⋯向こうでゆっくり話すね?」
ルーク社長が私の頭を優しく撫でてそう言った。
⋯⋯新しい世界⋯⋯
そうなんだ。
「だから美鈴さん。これは、終わりではなく始まりなんですよ?向こうの世界もこちらと同じで、買い物だって外食だって何でもできる世界です!」
刹那さんがそう言って優しく笑った。
そうなんだ⋯⋯終わりじゃなくて始まり⋯⋯。
「美鈴ちゃん。自分のことが分かった上で、最後の『お仕事』、やってくれるかな?」
「⋯⋯はい!」
涙を拭いて、私は力強く頷いた。
101号室のドアの前で、健太くんが不思議そうに私たちを見ていた。
「お姉ちゃん、泣いてるの? どこか痛いの?」
「ううん、大丈夫だよ健太くん。健太くんは優しいね!」
私は今度はしっかりと、何も考えることなく、健太くんの頭を優しく撫でた。
「健太くんは、もう亡くなっているんですよ。もう⋯⋯1年ほど前に交通事故で」
刹那さんがそうつぶやいた。
⋯⋯1年⋯⋯
「じゃあ、お母さんは1年の間⋯⋯」
苦しい1年だよね。
可愛い息子がこの世から去っていってしまって⋯⋯
「じゃあ、お母さんに事情を話すんですか?」
私が刹那さんとルーク社長に尋ねると。
ルーク社長は黙って刹那さんを見る。
「美鈴さん。ナマモノ⋯⋯この世に生きてる人は、自分で立ち直らなければいけません。自分たちにできることはないんです。」
刹那さんはそう言って私を見た。
え?
「美鈴ちゃん。立ち直るのは母親の力で立ち直らないとね。生きてるんだから。他人の力を借りたらいけない。」
ルーク社長はそう言って、微笑む。
そう⋯⋯なんだ。
でも、1年も悲しんでるお母さんはこの先大丈夫なのかな⋯⋯
「じゃあ……私たちは健太くんのお手伝いをするってことですか?」
「うん。健太くんがママを心配して、この世にとどまっちゃってるでしょう? 健太くん自身が『もう大丈夫だ、向こうへ行こう』って納得して笑顔で旅立てるようにしてあげることが、僕たちの最後のお仕事だよ」
ルーク社長が優しく語りかける。
生きているお母さんの悲しみを直接消してあげることはできないけれど、健太くんの心残りを取り除いてあげることはできる。
私は頷いて、健太くんを見る。
「健太くん、お母さんのお部屋に入ってみようか」
私の言葉に、健太くんは「うん!」
と元気にうなずいて、101号室のドアをすり抜けて中へ入っていった。
私とルーク社長、刹那さんも続いて部屋の中へ足を踏み入れる。
部屋の中は、まるで時間が止まってしまったかのように静まり返っていた。
畳の上には小さな仏壇。そこには笑顔の健太くんの写真と、真新しいお骨が祀られている。
そしてその前に、膝を抱えて背中を丸め、ボロボロと涙を流しているお母さんの姿があった。
「けんちゃん!⋯⋯健太⋯⋯ごめんね、ママが目を離した隙に⋯⋯ママが身代わりになればよかったのに⋯⋯っ」
お母さんは胸をかきむしるようにして泣き続けている。
1年間、ずっとこうして自分を責め続けてきたんだ⋯⋯。
「ママ⋯⋯」
健太くんがお母さんの肩に手を伸ばすけれど、その手はお母さんの体を悲しくすり抜けてしまう。
健太くんは、悲しい目で私をみあげると、駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん⋯⋯ママ、ぼくが『ここにいるよ』って言っても、全然見てくれないの。お腹すいたって言っても、ごはん作ってくれないの⋯⋯ぼく、普通じゃないんだ。」
健太くんは悲しそうに首をかしげた。
自分が死んでしまったことも、なぜお母さんに声が届かないのかも分からないまま、ずっと大好きなママの側にいたんだね。
ただ、普通じゃない⋯⋯それだけはわかってるんだね⋯⋯
「健太くん」
私は健太くんの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
もう自分の手がうっすら透けているけれど、不思議と怖くなかった。
「お母さんはね、健太くんのことが大好きで、大好きでたまらないから⋯⋯健太くんがいなくなっちゃって、すごく寂しくて泣いてるんだよ」
「ぼく、ここにいるのに?」
「うん。健太くんの体はね、もう遠いお星様のところへお引越ししちゃったの。だから、お母さんには健太くんの姿が見えなくなっちゃったんだ⋯⋯」
健太くんは目をごしごしと擦りながら、仏壇の写真と私を交互に見た。
「⋯⋯あ!そうか⋯⋯ぼく、もしかして、もう死んじゃったの?⋯⋯じゃぁ、お姉ちゃんも?」
「⋯⋯うん。そうだね⋯⋯でもね、健太くんがお母さんを心配してずっとここにいると、お母さんも寂しくてずっと泣いちゃうの。健太くんが笑顔で『ママ、今までありがとう! バイバイ!』って元気に旅立つことが、お母さんが元気になるための一番の魔法なんだよ?」
「魔法⋯⋯?」
健太くんが小さな手で、ギュッとミニカーを握りしめた。
「お姉ちゃん⋯⋯お姉ちゃんも一緒に旅立つの?」
健太くんは私の手を握り私を見つめた。
「うん。そうだよ。一緒に新しい世界にいくよ?
健太くんはその前にお母さんに⋯⋯」
最後は言葉が出なかった⋯⋯
私の代わりに刹那さんが健太くんのそばにしゃがむと。
「健太くん、元気にバイバイできますかねぇ?」




