第2話 ④
競射は中断して弓道場の奥の畳のスペースに並んで座った。
俺は胡座、日岡は体育座り。
「ほんとにくだらない話なんです」
きっかけは、スポーツの講義で同じ組になった男子が日岡のことを好きになった事だそうだ。
「周りはイケメンって言うんですが、私にはどうも魅力的に見えなくて」
直接告白されたわけではないが、その男子が日岡のことを狙っていることが周囲にバレバレになる程度にはアタックを受けたらしい。
そしてその誘いを全て断ったのだそうだ。
「大学の一回生なんて理由がなくても集まって騒ぐ生き物だろ?その中にいながら誘いを全部断るって、それは波風立てない方が難しいだろ」
「ですよね」
案の定、日岡は周囲から浮く存在となった。
大学はこれまでの学校とは違って浮いた存在が許容される懐の深さを持っている。
とはいえ、まだ高校生に毛が生えた大学一回生。それもまだ新年度が始まって二ヶ月ほどしか経っていない。
それに教養科目、特にスポーツ講義はグループで講義を受ける関係で他の講義よりもそう言った高校時代の空気をより色濃く残しやすい環境でもある。
調子に乗ってる。
同じ組のメンバーが日岡を見る目は、自然と統一されていったそうだ。
「そりゃサボって弓引きたくもなるな」
横目で日岡を見る。
多分日岡にとってみれば、こんな理由で授業をサボタージュするのは不本意極まりないことなのだろう。
多分、高校時代の日岡なら周りの目を気にせず授業に出続けただろう。
「大学生ってもっと賢い生き物だと思ってました」
「それは残念、大学生ほど馬鹿な生き物はいないんだぞ」
日岡の言う"大学生"とは、日岡のことを好きになった男の子のことか、それとも日岡を浮いた存在だと見定めたグループ全員か、はたまた講義をサボタージュしている日岡自身のことか。
「この時間なら空きコマだからいつだって相手してやる。
一般教養の単位なんて、いつだって取り返せるんだから」
「単位のことは気にしてません。
ただ、親元を離れただけで、自分がこんなに脆い人間だったって気付かされたのが辛くて」
どうやら賢くない大学生とは自分自身のことだったようだ。
「そんなの当たり前だろ。
むしろ日岡はよくやりすぎてるくらいだ。
もちろん大学で学ぶのも大事だけど、それはそれとして今しかできない事をするのも大事なんだぞ」
ありきたりな言葉しか出てこないが、俺の本心だった。
「授業サボって弓道場で厄神先輩に愚痴を聞いてもらうこともですか?」
「そうだぞ、昨日までのサボタージュを知らない日岡と、今日のサボタージュを知った日岡。
この二人の間には何か違いが生じてるはずさ」
「それはいい違いですか?」
「さぁそれはどうだか?
だけど、少なくとも今俺は日岡と話せて嬉しいぞ。昨日かなり疲れることがあったからこうして可愛い後輩と駄弁れるのは心の回復だよ」
わざとらしく首を傾げて見せると、日岡が歯を見せて笑う。
「厄神先輩の良くないところですよ」
日岡は立ち上がり弓を取る。
「下心なく、そんなふうにちょうどいい優しさをもらっちゃうと、勘違いしちゃう女の子がまた出ちゃいますよ」
俺も日岡に続いて立ち上がり弓を手に取る。
「今日のところは引き分けにしておくか?それとも決着をつけるか?」
二限が終わるまであと二十分ほどある。
「最後までするに決まってるじゃないですか!」
お互いに矢を四本持ってまた前に立つ。
安土にはそれぞれ四つ穴の空いた的が二つ。
今度は俺が右手側に立ち先攻をとった。
パンッ!
中ったがさっき日岡が開けた穴よりも外側だ。
パンッ!
間髪入れずに日岡が射る。
「そういえば、昨日は合コンだったんですよね」
後ろから日岡が尋ねてきた。
「何でこんなこと知ってるんだ!って情報源は一つしかないか」
「はい、粟生先輩が息巻いてましたよ。
今度こそあいつの河童狂いを辞めさせるんだって」
高校生の頃、俺の秘密をカミングアウトした時に日岡と翔馬は知り合っている。※粟生は翔馬の名字だ。
高校卒業後、俺とは連絡を取らなかった日岡だが、翔馬とは定期的に連絡を取り合っていたらしく、この大学の建築学科に入学したのも翔馬の影響だそうだ。
パン!
二本目は真ん中に中った。
パン!
すかさず日岡もあてる。
「粟生先輩も分かってないですよね。
厄神先輩がカッパに夢中なこと、裏を返せば人間の女の子に全く興味がないことは変わるはずないじゃないですかね!
そんなに簡単に変わるなら…」
パンッ!
「そうだな、そんなに簡単には変わらない」
「そうですよね!」
日岡は俺の背中側に立っている。
だからどんな表情をしているかは分からない。
ただ、弓が引き切られるギリギリと言う音だけが聞こえる。
数秒の静寂ののち。
パン!
日岡の矢はまた真ん中に中った。
ここまでお互い外さずにきている。この四本でも決着が付かないかなと思いながら四本目を番える。
「それにしてもそんな飲み会で二日酔いになるまで飲むなんて珍しいですね?
そんなに楽しい人がいたんですか?」
打ち起こす直前の射に集中し始めていたタイミングだったかもしれない。
俺は日岡からの質問に、無意識に答えていた。
「いや、人じゃないんだ。
昨日はもしかしたら本物の河童にあったのかもしれない」
パン!
雑念混じりだったせいか矢が少しブレた。
何とか中ってくれたが反省の多い一本だ。
だがこれで次の四本に進める。そう思った瞬間。
ボス
気の抜けた音と共に、日岡の矢は俺の的と日岡の的のちょうど真ん中に刺さった。
初心者がするようなとんでもない大外し。
驚いて振り返るともうそこに日岡の姿はなく、弓道場の隅で荷物を纏めていた。
「おい」
呼び止めるのを聞かず、すみませんっと頭を下げる。
「次の授業の課題忘れてたので今から教室に行ってやってきます。
本当にすみませんが、矢片づけていただけると嬉しいです」
それだけ言い残し、逃げるように道場を出ていく日岡を俺は呼び止められずに見送った。




