第1話 ④
ミネラルウォーターが、髪の毛から肩、胸へと流れる。ヘソを経由して太ももを通り、凛子さんの全身が濡れる。
一体何をしているんだ?
その疑問の答えは、程なくして目の前に現れた。
「しっかり見ててね」
凛子さんがそういった直後、彼女の体が淡い光を放ち始めた。
こういうホテル特有の仕掛けかと思ったが、違う。
凛子さん自身が発光しているのだ。
その淡い光はやがて足先と指先に集まっていく。
一旦集まった光は、今度はまた心臓の方目掛けて移動していく。
四つの光の輪が、手足の先から滑るように移動する。
それだけでも目を疑うような光景なのだが、本当の驚きはここからだった。
光の輪が通過した凛子さんの手先、足先が変化したのだ。
「みどり」
無意識に声が出た。
そのことにも気づかないほど、凛子さんに起こっている変化に目を奪われていた。
凛子さんの体は光の輪の移動に合わせてどんどんと変わっていく。
手と足は薄い緑色に変わる。肌の表面にはキラキラと小さな鱗のようなものが光る。
体の中心に近づくにつれて肌の色は乳白色に近づき、体毛が消えていく。
「んっ……」
不意に凛子さんが手を挙げて体を捻った。
まるで背中を見せびらかすかのように。
その背中には、首元から肩甲骨の下あたりにかけて小さな甲羅がついている。
光の輪はとうとう凛子さんの首元で集合すると、最後は頭の先まで一気に移動する。
顔も同じく薄い緑色に変化し、元々小さくなかった瞳が一回り大きくなった。
長い髪の毛はそのままに、最終的に光が集まった頭頂部に円形の白い何がついている。
何か、などと勿体ぶった言い方は良くないな。
俺はそれが何かを知っている。
「皿だ」
河童の皿。
凛子さんの頭に載っていたのはあの日の河童と同じ白い皿だった。
「そう、十数年ぶりに河童を見た感想はどうかしら?」
凛子さんは勿体ぶることなく、あっさりと自らが河童であると告げた。
河童。
夢にまで見た存在がそこにいた。
緑の肌に見えていたところは小さな鱗が集まっていたのだと知った。
その裏からの一つ一つがホテルの淡い照明を反射して輝いている。
鱗は足先が一番太く、くるぶし、太ももと体の中心に近づくにつれてより小さくなっていき、ヘソを超えたあたりで肉眼では見えない大きさになった。
鱗が途切れたあたりから、肌の色は乳白色に変化する。
へそから胸にかけては比較的人間の頃に近い質感を保っているが、人間の時の肌がその下にある血管の存在を透かす"薄い白"だとすると河童になった今の肌はウエットスーツのように均一な"分厚い白"といった印象を受ける。
何より違うのが胸に実った二つの乳房。
その頂上にあったはずのピンクのシンボルが白く塗りつぶされていた。
返信する瞬間をこの目で見ていなかったら、プラグスーツのようなタイトなボディスーツに身を包んでいるのだと勘違いしただろう。
首から頭にかけてまた緑色に変化する。
体よりもさらに細かい鱗なのだろう。もう肉眼で確認することはできない。
口は読者モデルのアヒル口をさらに強調したように存在感を放っている。
瞳はさらにくっきりと丸みを帯びており、こちらのことを全て見透かしているかのようだ。
髪の毛は人間の頃よりも艶がかってみえるが、頭頂部に牛乳瓶の蓋ほどのサイズの皿がある以外大きな変化はない。
その全てが、記憶の中のあの河童の美人と重なって見えた。
凛子さんはあの時の河童の美人とは別人だ。それはっきりとわかる。
だが、あの日にまた美人と今目の前にいる凛子さんが同種の存在であることは、疑うまでもなかった。
「記憶の中のその河童がどんなだったか知らないけど、長い年月をかけて美化しすぎちゃったんじゃない?
本当の河童はこんな姿なのよ?
鱗で覆われた緑の肌、胸や性器といった性的なシンボルは厚いゴムで覆われたみたいに隠されて、顔だって緑に変わって一般的な美人とはかけ離れてる。
どう?幻滅したかしら?」
凛子さんはどこか自分のその姿を自虐するかのように呟く。
その口ぶりからは河童の姿のことをあまりよく思っていないことが伝わってくる。
だけど、そんな凛子さんの感情の揺らぎを感じ取れるほど、その時の俺は冷静ではなかった。
十年以上焦がれていきたものが目の前にある。
その事実だけで俺の脳は焼き切れそうになっていた。
目の前の光景を一つ残らず目に映して記憶する。俺はのそのことだけに囚われていた。
太ももを見る。
うち太ももに並ぶ鱗は、その付け根に向かうにつれて小さく細かくなっていく。
その変化はまるで、見るものの目線をその先に誘導するかのように。
自分の体の鱗が、本来自分の最も見られたくない、隠さなければならない場所に他者の視線を集めるというその矛盾が……。
首を見る。
浮き出た鎖骨に沿うように鱗の配列が変わる。
そこまで秩序よく並んでいた鱗が、鎖骨のうねりに遭われて向きを変えているところが……。
胸を見る。
確かにシンボルは消えた。
だがそうすることで、"ここだけは絶対に隠さなければならない"と思う場所も同時に消えた。
それはつまり、見せていい場所と見せてはいけない場所があった人間の体から、見せていい場所と見せてはいけない場所が曖昧な体に変化したということ。
曖昧だからこそ、どこからどこまでが隠すべき場所かを見失ったその胸は、胸全体が……。
それ以外にも、脇が手が足先が顔が皿が甲羅が……。
その全てが、脳に、脊髄に、体全身に電流が駆け巡るかのような刺激を与えてくる。
夢で思い描くそれの何百倍のもの刺激が俺の目を灼いた。
そしてその結果は、とても単純な形で現れた。
「嘘でしょ?本当に?」
凛子さんは、大きな大きなテントを作る俺のパンツを見て今日一番の驚きの声を上げた。




