【第54話】目覚め
ヴァイスベルク伯爵は、《幽影》の手により、命を絶たれた。
軍事魔術を使用していた魔術師も、魔術の暴走により、死亡。
観客として居合わせた貴族たちは騎士団の取り調べを受けたが、表立った処分は与えられなかった。
記録帳の存在が公となり、孤児院にも調査が入る。
だが、孤児院の人間は何も知らなかった。
――「いなくなった」子供たちは、里親へ送られた。
そう、聞かされていただけだった。
後味の悪さだけを残し、事件は幕を閉じた。
あれから、数日。
被験体となった青年「ルシア」だけが、まだ目を覚まさなかった。
ギルドの医務室で、ルシアは静かに眠っていた。
眠っているだけのように見えた。
倒れたルシアをギルドに運び、すぐさま医者に診せた。
教会の神官まで呼んだ。
異常は、どこにもなかった。
それでも。
どんなに呼びかけても。
目を、覚まさない。
時間だけが、虚しく経過していく。
《狂刃》が、きつく唇を噛んだ。
「……なんでだ」
「なんで、起きねえ」
《幽影》は、目を伏せ、呟く。
「……あのとき」
「この子の歪んでいた認知が、戻ったのなら」
「脳に過度の負担がかかって倒れたとしても、おかしくはない」
《教授》が、眼鏡を押さえながら、重々しく口を開く。
「……断言はできないが」
「あの『奇跡』にも、能力の反動が起こるとすれば……」
その先を口にすることを躊躇うかのように、言葉を切る。
《断罪》が叫んだ。
「そんなのって、ねえだろ……!!」
「せっかく……あいつ、感情が……!!」
その先は、言葉にならなかった。
寝台の傍らに座り、離れようとしない青年の姿を見つめる。
《毒蛇》は、眠っているルシアの手を握り締め、語りかけていた。
「ねえ」
「起きてよ」
「お願いだから」
「もう、嘘はつかないから」
「やっと、全部、話せたのに」
「……僕がいいって」
「初めて、言ってくれたのに」
その姿に、全員が、視線を落とした。
※※※
なんでもない日だった。
いつものように、畑仕事を、手伝っていた。
なだれ込んでくる、黒装束の人たち。
それが、すべての始まりだった。
刃を突きつけられ、全員が、山奥の洞窟に集められた。
どこにも、逃げ場はないまま。
ひとりひとり。
順番に、壊されていく。
恐怖に歪んだ、悲鳴。
助けてくれと、懇願する声。
洞窟に充満する、鉄錆のような臭い。
――腐臭。
耳に残る、男の人の声。
――『子供を一人だけ、残してください。傷をつけてはいけませんよ』
押さえつけられながら。
僕は、見ていた。
父さんが。
母さんが。
妹が。
目の前で、苦しんでいる姿を。
壊されていく姿を。
見せられ続けた。
男の人は、いつの間にか、どこかへ消えていた。
助けは、来なかった。
僕が一人、残るまで。
何も、感じなくなればいい。
大切なものを、作らなければいい。
そうしたら、怖いことは何もない。
失うものが、何もなければ。
――もう、大丈夫。
そう、思っていたのに。
どこからか、声が聞こえる。
「……起きてよ」
「お願いだから」
ひどく、苦しそうな声で。
僕を、呼んでいる。
「もう嘘はつかないから」
「やっと、全部、話せたのに」
怖かった。
その声に応えたら。
全部、変わってしまうような気がした。
「……僕がいいって」
「初めて、言ってくれたのに」
でも。
僕が起きなかったら。
この人は、ずっと、苦しみ続けるのだろうか。
「……ルシア」
――それは、嫌だった。
僕は、その方向へ、手を伸ばした。
※※※
眩しい。
見知った白い天井が視界に入る。
左手が、温かい何かに、包まれていた。
僕は、顔を横に向ける。
青い瞳が、僕を見ていた。
――綺麗だった。
「……ノクス」
「……ルシア」
ノクスが、息を呑んで、立ち上がった。
「ルシア!」
近くには、みんながいた。
目を覚ました僕を見て、その場で硬直している。
ゆっくりと、寝台の上に身を起こす。
僕の世界は――変わっていた。
いつもなんとなく感じていた、遠くの気配や、音が、わからない。
両手を開き、じっと見る。
ナイフの握り方が、わからない。
――僕は「暗殺者」では、なくなっていた。
けれど、その代わりみたいに。
頭の中の記憶だけが、やけに鮮明だった。
「……ルシア?」
動かない僕を見て、ノクスが心配そうに声をかけてくる。
「……大丈夫?どこか痛い?」
僕は、その顔を見つめた。
「……ごめんなさい」
涙が、溢れる。
「……え?」
ノクスが、目を見開く。
「たくさん、傷つけてしまいました」
「僕、ノクスの気持ち、何もわかっていなくて」
ノクスの胸元に、縋り付く。
「ごめんなさい」
「僕のこと、嫌いにならないでください」
「……っ」
ノクスが、僕の腕を引いた。
「――どうして、君が謝るの」
ノクスの声も、震えていた。
壊れ物を抱くみたいに、僕を抱き締める。
「嫌いになんて、なるわけないでしょ」
その腕も、胸も、とても温かかった。
僕は、声を上げて泣いた。
いつからそうしていなかったのか、自分でも、わからなかった。
「……心配、させやがって」
ぶっきらぼうな声が、聞こえた。
「……イグナスさん」
「……よかったな」
イグナスさんは、僕を見て、優しく微笑む。
その目が、わずかに赤くなっているような気がした。
隣にいる《断罪》先輩は、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
僕は、そんな《断罪》先輩に向き直った。
最初に、僕に「好きだ」と言ってくれた人。
毒を受けた僕が死にそうになった時、本気で心配してくれたのに。
そんな優しい気持ちを、踏みにじってしまった。
「ごめんなさい」
「僕のこと、あんなに大切に想ってくれていたのに」
「僕……何も、返すことが、できませんでした」
《断罪》先輩は、手で目頭を拭いながら、大きく首を横に振った。
「そんなこと、言うな……!」
「俺のほうこそ、すまねえ……!!」
それ以上何も言えない様子で、鼻をすする。
「……イグナスさん」
イグナスさんは、苦笑した。
「謝んなよ」
「お前は、選んだだけだ」
そう言われて、また、涙が溢れる。
そんなイグナスさんに、どれだけ救われてきたのかも、わかっていなかった。
「ありがとうございました」
「……」
「いつも、僕のことを助けてくれて」
「僕が、一人にならないように、気遣ってくれて」
「……」
「一緒に、いてくれて」
「『選ぶ』ことを教えてくれて」
「『そのままでいい』って言ってくれて」
「……」
「僕、幸せだったんですね」
「……」
イグナスさんは、何も言わなかった。
しばらく僕から視線を外したあと――
「……まだ、これからだろ」
そう言って、笑った。
《教授》先輩とヴァルターさんは、静かに、そんな僕たちの姿を見つめている。
ふいに、イグナスさんがノクスを見て、真剣な声音で告げた。
「――お前、幸せにしろよ」
ノクスは、そんなイグナスさんの目を見て、短く返す。
「……するよ」
そしてまた、僕を強く抱き締めてくれる。
「もう、離さないから」
「……はい」
僕も、ノクスの背中に、腕を回した。
「……そういえば」
「……ん?」
「まだ、言えていませんでした」
「……何を?」
ノクスが、首を傾げる。
僕は、ノクスの顔を見て、微笑んだ。
「好きです」
「……」
「愛してます」
「……」
「ずっと一緒にいたいです」
「……」
ノクスは、首を傾げた状態のまま――動かなくなった。
「……ノクス?」
僕も、首を傾げる。
「……おい、《毒蛇》、また死にかけてねえか?」
《断罪》先輩が、訝しげに眉をひそめる。
「いや、もう死んだかもしれねえ」
イグナスさんが、妙に冷静な声で言った。
《教授》先輩が咳払いし、銀縁眼鏡を押し上げる。
「……脳が許容量を超えたようだな」
しばらくして。
「……無理」
ノクスが、小さく呟いた。
「もう限界」
僕の手を取り、寝台から立ち上がる。
「行くよ」
いきなり言われて、僕は目を丸くした。
「行くって、どこにですか?」
「僕の家に決まってるでしょ」
ノクスは僕の手を引き、ずんずん歩いていく。
イグナスさんも、《断罪》先輩も、止めない。
ヴァルターさんは、何かを察したような表情で、そんな僕たちを見送った。
医務室を出ようとする僕たちの背中に、《教授》先輩の声がかかる。
「……数日間、休んで構わないぞ」
「……?はい、ありがとうございます」
こうして――僕は何がなんだかわからないまま、医務室を後にした。




