【第52話】「大切だから」
仮面の男の人は言った。
僕は「実験体」だと。
あの男の人が、そうしたのだと。
僕は「感情を失っている」のだと。
――最初から、壊れていた。
だから、うまくいかなかった。
だから、どんなに考えても、何がいけないのか、わからなかった。
「そういうもの」だというのなら。
もう、仕方ない。
生きている限り、誰かに嫌な思いをさせてしまうなら。
《断罪》先輩があんな顔をした、理由も。
イグナスさんが言った「好き」の違いも。
ノクスがなぜ、あんなに苦しんでいるのかも。
ずっと、理解できないままなら。
生きている意味なんて、ない。
だから、死んでもいい。
そう、思っていたのに。
イグナスさんが駆け寄ってきて、僕を強く抱き締める。
苦しいくらいに。
こんなふうに抱き締められる理由が、わからない。
「もう大丈夫だ」
「……イグナスさん」
「帰るぞ」
ノクスが、少し離れた場所で、こちらを見ている。
その口元が、安心したように、少しだけ緩んだ。
ヴァルターさんは言っていた。
――『君を大切に想っているから。それだけだ』
「大切」だから、助けにきてくれたのなら。
助けにきてくれたヴァルターさんたちも、僕を大切だと想ってくれているということだろうか。
でも、ヴァルターさんたちは、僕をこんな風に抱き締めたりはしない。
……やっぱり、僕には、わからなかった。
イグナスさんは僕の両手を縛っていた縄を切り、足の鎖を斧で砕いてくれる。
「歩けるか?」
「……はい」
壊れた檻を出ると、仮面の男の人が後ろ手に縛られ、床に転がされていた。
ヴァルターさんが、無言でその側に立っている。
臙脂色のフードを被った魔術師の人も同じように縛られ、騎士団の人たちに捕らえられていた。
観客席にいた貴族の人たちも、逃げ出すことは叶わず、別の騎士団の人に監視されて震えている。
「……なぜ」
仮面の男の人が、呆然と呟いた。
「なぜ、あの記録帳を持ち出すことができたのです」
「幾重にも罠を仕掛けさせ、屋敷も隠したというのに」
自分で言いながら、その言葉に疑問を持ったように、言葉を切る。
「いえ、そもそもおかしな話です」
「屋敷から記録帳を盗み出し、騎士団を動かし、軍事魔術の許可まで得て」
「なぜ、そうまでして、あの子を助けようとしたのですか?」
「ただの、ギルドの末端構成員のうちの一人ではありませんか」
「いなくなったところで、何も問題ないでしょう?」
ヴァルターさんは、そんな男の人を見下ろし、短く言った。
「……だから、お前には理解できない」
「あの子は、人間だ」
仮面の男の人が、ヴァルターさんを見返して、静かに笑う。
「……ええ。できませんね」
諦めたような声音。
「……ふざけんな」
それを聞いた魔術師の人が、忌々しげに吐き捨てる。
「勝手に終わろうとしてんじゃねえ!」
「あんたが俺を雇ったんだろうが!!自分は信頼されてる、捕まる訳がねえって!!」
「どうせ死刑なら、全員、道連れにしてやる!!!」
そう喚き散らした途端。
周囲が、急に薄暗くなった。
まるで雷雲が集まるように、淀んだ黒い靄が劇場を覆う。
みるみるうちに、それは形を変え、いくつもの巨大な黒い剣になった。
ヴァルターさんが、僕の側へ近づいてくる。
「軍事魔術だ……!!」
騎士たちがざわめく。
「自棄になったか」
《教授》先輩が手をかざすと、何もない空間に、無数の氷の槍が現れる。
同時に、魔術師の人が、歪んだ笑みを浮かべ、叫んだ。
「――死んじまえ!!」
黒い魔術の剣が、無差別に降り注ぐ。
《教授》先輩の氷の槍は、正確に剣を狙って飛んだ。
けれど、その全部を撃ち落とすことはできなかった。
黒い剣は禍々しい光を放ちながら、氷の槍を弾く。
魔術師の人が呻き、顔を歪めた。
まるで、自分の命そのものを差し出して、力に変えているみたいに。
壁に、床に、次々と黒い剣が突き刺さる。
壁が崩れ、床に穴が開き、生き残っている人たちを襲う。
観客だった貴族の人たちも巻き込まれ、耳をつんざくような悲鳴が、劇場に響き渡る。
イグナスさんが舌打ちした。
「離れるなよ!」
斧を振るい、飛来した黒い剣を弾き飛ばす。
その隙を抜けた刃だけを、ヴァルターさんが静かに叩き落としていく。
《断罪》先輩が剣を振りながら、僕のほうへ走ってくる。
舞台上に置かれた机を、黒い剣が貫いた。
そこに載せられていた日用品や玩具も、一緒に粉々になる。
――なぜか、そちらに気を取られた。
さっきまで、何も感じなかったはずなのに。
思わず、足を踏み出した。
「ルシア!!」
誰かが叫ぶ。
顔を上げた時には、目の前まで黒い刃が迫っていた。
「あ」
その瞬間。
何かに、勢いよく、突き飛ばされた。
視界の端に映ったのは――金色の光。
僕は、床の上に倒れる。
一瞬。
劇場から、音が消えた。
「……大丈夫?」
――穏やかな声が、聞こえた。
僕は、顔を上げる。
ノクスが、僕の顔を覗き込んで、笑っていた。
いつもの、優しい微笑み。
「……ノクス」
名前を呼んだ。
次の瞬間。
ノクスが咳き込む。
口から、鮮血が溢れた。
「……ノクス?」
僕は、その胸元に、視線を落とす。
ノクスの胸には。
魔術の剣が、深々と突き刺さっていた。




