【第50話】観察結果
《狂刃》と《毒蛇》は、翌日の日暮れ前に、目的の貴族の屋敷へ到着した。
気配を殺し、遠目に屋敷の様子をうかがう。
ほどなくして、数台の馬車が、列をなしてやってくるのが見えた。
家門を覆った馬車が、湖畔で静かに止まる。
色とりどりの灯りが夜の湖へ映り込み、その周囲には手入れの行き届いた庭園が広がっていた。
降りてきたのは――正装した貴族たち。
全員が、顔の上半分を覆う仮面をつけている。
待機していた案内役の使用人が、恭しく彼らを迎え、先に立って歩き出す。
貴族たちは、笑いさざめきながら、湖の付近を散策しだした。
《狂刃》は、理解しがたい表情で、眉をひそめる。
「こんな浮かれた連中を呼んで、何するつもりなんだ」
「さあね。でも好都合」
《毒蛇》は、淡々と答える。
照明の光を避けながら、庭園の陰に、身を隠す。
男の招待客に目星をつけ、人目から外れた瞬間を見計らう。
茂みへ引き込む。
喉元に手刀を落とす。
男は声一つ上げず崩れ落ちた。
仮面と外套を静かに外し、招待状を探り当てる。
そして、すべてを《狂刃》にそのまま渡した。
「これ着て」
《狂刃》が言われた通りにしている間に、別の一人を昏倒させ、同様に仮面と招待状を手に入れる。
「……お前らしいな」
呆れたように呟く《狂刃》に、《毒蛇》は答えなかった。
何食わぬ顔で門番に招待状を見せると、何の問題もなく通される。
客人を迎えるための通路に、罠など仕掛けられるはずもない。
二人は使用人に案内されるまま、何事もなく地下へと足を踏み入れた。
――そこは、小さな劇場だった。
正面に舞台があり、階段状に座席が設置されている。
貴族たちは何やら興奮を抑えきれない様子で、先立って前の方へ座ろうとしていた。
《狂刃》と《毒蛇》は貴族に扮したまま、彼らとやや距離を保ち、席に着く。
全員が席に着くと、ゆっくりと幕が上がった。
舞台袖から、仮面を被った一人の男が進み出てくる。
「本日は、『人間観察倶楽部』へようこそ」
穏やかな声だった。
「……『人間観察倶楽部?』」
《狂刃》が眉をつり上げる。
気味の悪い単語。
だが、観客は誰も反応しない。
《毒蛇》は、無言で眼下の舞台を見つめていた。
「今宵は、壊れた人間を『普通』に育てた場合、どのような人格へと成長するのか」
「その観察結果を、ご覧いただきましょう」
劇場の袖から、二人の使用人が進み出てきた。
巨大な箱のようなものを、台車に乗せて押してくる。
厚い布に覆われ、その中身は見えない。
「さあ――ご覧ください」
合図とともに、布が一気に下ろされた。
「……!」
《狂刃》と《毒蛇》は、揃って息を呑んだ。
――それは、檻だった。
その中にいたのは。
両手を縛られ。
両足を鎖に繋がれ。
きょとんとした表情で客席を見上げる、小さな姿だった。
「名前はルシア」
《狂刃》と《毒蛇》の息が、止まる。
何の感慨もなく。
ただ、実験動物を紹介するかのような声音で。
告げられた、その名前。
「ルシア……」
《毒蛇》が、呆然と呟く。
「覚えておいでの方もいるでしょう」
「あのフェル村虐殺事件の、唯一の生き残りです」
「ルシア」は、何の反応もしなかった。
まるで、自分が見世物になっていることすら理解していないように。
ただ、壇上で喋る男を、不思議そうに見つめていた。
その瞳には。
怒りも、恐怖も、羞恥もなかった。
「まずは、実験体の作製から始めました」
男は、恍惚と語り始める。
まるで、何か素晴らしい研究成果でも、発表するかのように。
「村人全員を、洞窟の中に閉じ込めて、一人一人殺していきます」
「それから――家族が目の前で嬲られるところを、毎日見せ続けました」
「最初は、泣いていましたよ?」
「ですが」
「泣いても無駄だと悟ると、何の反応もしなくなりました」
「……」
黙って聞いていた《狂刃》の身体が、震える。
《毒蛇》は、青ざめた顔で、檻の中の「ルシア」を、ただ凝視していた。
観客席の熱が、高まっていく。
「……それはそれは」「興味深い……」などと、楽しげに囁く声が聞こえる。
中には身を乗り出して「ルシア」の姿を眺める者もいた。
「次に『環境』の用意です」
「孤児院に送り、他の子供たちと同じように育てさせました」
「挨拶から、身の回りの躾け、職員たちの愛情の与え方まで、平等にです」
「しばらくは、何の反応もせず、ただ生きていました。ところが――」
男は、何かとっておきの話でもするかのように、声を低めた。
「ある日、面白いことが起きました」
「孤児院に置かれていた、ひとつの童話に、異様な執着を示したのです」
「題名は《影の暗殺ファントム》」
「読み上げましょう」
男は、その一節を、蕩々と読み上げた。
《影の暗殺者ファントムは、どんな任務も、かならず完璧にやりとげます》
《あっというまにしごとを終わらせるので、だれにもそのすがたは見えません》
《どんなひょうてきでも、ファントムは一瞬でしずかにたおしてしまいます》
《あまりにはやいので、いたいと感じるひまもありません》
男は息を吐き、観客席を見渡す。
「おわかりいただけましたか?」
「『苦しまない死』に対する憧憬の念を」
「この子は、成長し、自ら暗殺ギルドの門を叩きました」
「そこから、私も予想していなかった、特殊能力が開花したのです」
観客席のざわめきが、いっそう大きくなる。
男はなおも語り続けた。
「私は、この子の動きを、密かに監視させていました」
「致命傷に近い傷を負っても動き、任務を終えた後になって、帳尻合わせのように死にかけた」
「だから即効性のある毒を飲ませてみたのですが、それでも、すぐに効果は出ませんでした」
「敵を殺すまで、死なない」
「任務を終えるまで、死なない」
「そう――まるで、物語の中の『理想の暗殺者』を、演じているかのように」
「ギルドを襲撃させ、能力の発動条件も確認しました」
「差し向けた暗殺者を一瞬で殺した後、この子は「敵が苦しまずに死ねたか」を、気にしていたのです」
「『苦しませたくない』その一心で、発動するその力……」
観客は、魅入られたように、男の話に聞き入っている。
「魔術では説明がつかない、特殊な現象――いわば『認知の歪み』でしょうか」
「まるで――神が、この子にだけ与えた贈り物のようではありませんか」
男は、笑った。
感情が高ぶったかのように、大きく手を広げて。
「なんとも、慈愛に満ちていると思いませんか?」
「本人は、自分が壊れていることにすら、気付いていないというのに」
《狂刃》が、血が出るほど拳を握り締めながら、呟く。
「……殺す」
男は、檻に近づく。
「ほら、この子をご覧ください」
「これだけのことを聞いても、怒りもしない。泣きもしない。恨み言一つ言わない」
舞台袖から、使用人が、また何かを運んでくる。
台の上に載せられていたものは、古びた日用品や、衣類だった。
大人のものから、小さな子供のものまで。
ところどころに、血がこびりついている。
「これは、この子の家族の形見です」
男が、その一つ――壊れた玩具をつまみ上げ、檻の中の「ルシア」の目の前に突き出す。
「ほら、お前の妹の形見だ」
「……?」
「ルシア」は、何の反応もしなかった。
ただ、何を見せられたのかわからないような顔で、首を傾げた。
「ほらね、壊れているでしょう?」
観客席が、どっと沸く。
「普通に、生活はできます」
「知能にも、問題はありません」
「ただ、怒りも、憎しみも、悲しみも、愛も――感じなくなった」
「自分の心を守るために、強い感情を、切り離したのですね」
「……ふざけるなよ」
《毒蛇》から、底冷えのするような声が漏れた。
普段の彼らしからぬ、口調で。
檻の中の「ルシア」を見つめて、呟く。
「……返せよ」
本来ならば、そこにあったはずのものに――想いを馳せるかのように。
その時になって。
「ああ――そうだったんですね」
唐突に、「ルシア」が、口を開いた。
いきなり口を開いた「実験体」の言う事を聞き逃すまいと、観客席が、しんと静まり返る。
「ルシア」は、虚空を見上げて、呟いた。
「だから、どれだけ考えても、わからなかったんですね」
表情ひとつ変えず。
「それなら」
感情のこもらない声で。
「もう、仕方ないですね」
ただ、理解してしまったかのように、淡々と。
「――――ッ!」
《狂刃》と《毒蛇》は、椅子の上で震えた。
今にも飛び出したい衝動を、必死にこらえるかのように。
男は、そんな「ルシア」の言葉を聞き、口元を歪める。
「おや、誰かと喧嘩でもしましたか?」
「少しだけ、反応が変わりましたね」
「ですが、もう大丈夫ですよ」
男が、檻の中の「ルシア」に、優しく話しかける。
「もう、楽にしてあげますからね」
男がそう言った瞬間。
舞台袖から、黒装束の人間が数名、音も立てずに現れた。
彼らが檻を囲むと、男は高らかに宣言する。
「皆さま、お楽しみいただけましたか?」
「最後の余興です」
「死の瞬間も、泣き叫ばないか――観察するといたしましょう」
その瞬間。
《狂刃》と《毒蛇》は、仮面を脱ぎ捨て――
舞台へと、飛び降りた。
――ただ一人を、取り戻すために。




