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【第40話】好きな人に贈る花~五股疑惑~

「月花祭」の話を聞いた次の日、イグナスさんと夕飯を食べるために外に出た僕は、街の光景に目を丸くした。


ほとんどの店舗の軒先に、赤い花が飾られている。

花屋の前を通れば、どこも長蛇の列ができていた。


客が買っているのは、ほとんどが赤色の花。

店員が忙しなく動き回り、追加の花をどんどん運んでいる。


「すごいですね」


思わず呟くと、隣を歩くイグナスさんが、たいして興味もなさそうに答えた。


「『月花祭』前は、毎年こんなもんだろ」


「初めて見ました。赤い花が人気なんですね」


「……お前、もしかして知らなかったのか」


《教授》先輩と同じような反応。


「はい。でも《教授》先輩に教えてもらったので、今年は渡すつもりです」


僕がそう言って笑うと、イグナスさんは、一瞬言葉を失う。


「……そうか」


それ以上は、何も言わなかった。



そして、「月花祭」当日。


朝、僕は寮の自室で、「月花祭」で渡すための花を準備していた。

外の訓練場に咲いていた綺麗な赤い花を選んで包み、赤いリボンを結びつける。


……本当はちゃんとした花屋で買いたかったけれど。


「……よし、できた」


用意した花を、まとめて籠に入れる。


――感謝の気持ち、伝えられるといいな。


※※※


ギルドの食堂には、妙な緊張感が漂っていた。


「……あんた、本当に行くの?」

「いいの。一瞬でも目に留まれれば……!」

「……そこまでの覚悟なのね。わかったわ!」


そんな女性店員たちの囁きは、もはや囁きと呼べる段階を越え、付近の客ほとんどの耳に入っていた。

皆、興味深げにその様子を伺っている。


そこへ。

《毒蛇》が、姿を見せた。


だが、なぜかその表情には、いつもの穏やかな微笑みは浮かんでいない。

青色の瞳はどことなく憂いを帯びている。


その姿を視界に入れた途端に、意気込んでいた女性店員は、一瞬よろめいた。

しかし意を決したように足を踏み出すと、《毒蛇》の前に立つ。


「《毒蛇》様!!」


《毒蛇》が、足を止める。


「あ、あの、これ……私の気持ちです!!」


「……」


《毒蛇》は差し出された赤い花と、顔を真っ赤にして震える女性店員を、交互に見た。

そして――困ったように、笑う。


「……ごめんね」


そう言ってから。


「好きな子がいるから」


誰かを思い出したかのように、目を細めて。


――食堂が、ざわめいた。


「あ……」


女性店員の表情が、目に見えて曇る。

だが次の瞬間には笑顔を作り、《毒蛇》の前から足早に去った。


《毒蛇》はその様子を目で追い、小さく溜息をつく。


「……」


食堂の席で。

一連の光景を見ていた《狂刃》は、静かに拳を握り締めていた。


誰にでも穏やかで、優しいと言われていた男が。

女からの告白を、はっきりと断った。

期待を持たせることも、適当にあしらうこともせず。


――好きな相手がいると言って。


「……本気、なのか」


※※※


僕は、花の入った籠を持って食堂へ足を踏み入れた。

なぜか、いつも以上に賑やかな気がする。


食堂を見渡すと、ちょうど全員揃っていた。よかった。


僕はまず、近くに座っていた《断罪》先輩に近づく。


「おはようございます。《断罪》先輩」


「おう!今日も元気か!!」


いつもの挨拶のあと、僕は包んだ花を差し出した。


「お花、どうぞ」


「……え?」


《断罪》先輩は呆けたように、その赤い花を見つめる。

そして――じわじわと、その茶色の瞳が、極限まで見開かれた。


「……俺に!?」


……どうしたんだろう。そんなに驚くことだろうか。


「ええと……嫌でしたか?」


心配になって言うと、《断罪》先輩ははっとしたように花を受け取り、ぎこちなく笑った。


「……い、いや……ありがとな」


その瞬間、食堂がざわめく。


「やっぱり、よりを戻したのか?」


イグナスさんが、食事の手を止め、驚いたようにこちらを見ている。


僕は駆け寄って、花を差し出した。


「《狂刃》先輩、これ受け取ってください」


「……は?」


「おい、二股か?」


イグナスさんと、周囲の人たちが、それぞれ唖然とした様子で僕を見る。


「好きな人に花を贈る日なんですよね?」


僕の言葉を聞いて、イグナスさんは呆れたような――それでいて、どこかほっとしたような顔で溜息をついた。


「……お前……意味、わかってねえのか」


少し離れた席に座っていた《教授》先輩が、がっくりと肩を落とす。


「……やはり、こうなったか」


僕はその席にも近づいて、花を差し出した。


「《教授》先輩も、もらって頂けますか?」


「……私にも、用意したのか」


「はい。いつもお世話になっていますし」


「……」


「?」


「いや、何でもない」


《教授》先輩は、なぜか諦めたように首を振ると、花を受け取ってくれる。


「……いただこう」


ギルドのざわめきが、いっそう大きくなる。


「おい、年上すぎるだろ」

「ていうか、あの堅物と、いつそんな関係になったんだ?」


僕は、ひっそりとこちらを伺っている《幽影》先輩にも近づく。

食堂のざわめきが最大になった。


「おい、まさか」

「それはまずいだろ」


「《幽影》先輩。これ、受け取ってください」


「やっぱり行った!!」


《幽影》先輩は静かに僕を見て――花を受け取る。


「……ありがとう」


「そして受け取った!!」


そして――最後に。

食堂の隅に立ち、僕を見ているその人に、駆け寄った。


「《毒蛇》先輩」


今までざわついていた食堂が、なぜか静かになる。


「おい……好きな子って、やっぱり」

「これ、大丈夫か?」


何やらひそひそと囁く声が聞こえたけれど。


僕は、ノクスに赤い花を差し出す。


「お花、受け取ってください」


ノクスは、しばらく花を見つめた。


それから――そっと受け取る。


「……ありがとう」


「いえ」


「……うん」


ノクスは苦笑した。


「やっぱり、こうなるよね」


その瞬間。

呆然とした声が、静かな食堂に落ちた。


「あの《毒蛇》が、五股されてる……のか?」

「《天然》……恐ろしすぎるな」


ノクスは、ただ微笑んでいた。

なぜか、周りの哀れむような視線を受けながら。


※※※


そうして、夜が来た。

いつものように、ノクスが僕の部屋にやってくる。


もらったお茶を淹れて一緒に座ると、ノクスが、ぽつりと口を開いた。


「……さっきは、花、ありがとう」


「いえ。喜んでもらえたならよかったです」


ノクスは、かすかに微笑む。


「君は……あの花を渡す時、どんなこと考えてた?」


「みなさんに、感謝の気持ちが伝わればいいなと」


「……そっか」


沈黙が落ちた。

ノクスは、微笑んだまま、僕の顔をずっと見つめている。


どうしたんだろう。


何かを言いたくてたまらないのに、飲み込んでいるみたいに。


「……ねえ」


「はい?」


「……君は、恋人として、僕に何かして欲しいこととか、ないの?」


「僕ですか?」


考えてみたけれど……特に思いつかなかった。

むしろ、いつももらってばかりで、申し訳ないくらいなのに。


「ノクスが満足してくれるなら、それでいいです」


本気でそう思って言うと。


――ノクスの表情が、目に見えて強張った。


「……僕が満足していれば、それでいいの?」


「?」


まるで視線を逸らせないかのように、ノクスは僕の顔を凝視する。


「君は、僕が望んだら……何でもするの?」


……少しだけ、その声が震えているような気がしたけれど。


確かめるように聞かれ、僕は頷く。


「はい。恋人ですから、喜んで欲しいです」


「……っ」


ノクスの形のいい唇から、わななくような声で、言葉が漏れた。


「……じゃあ、僕が『恋人』じゃなかったら」


「え?」


「……他の奴が、君の『恋人』だったら」


「……ノクス?」


……どうして、そんなことを言うんだろう。ノクスは「恋人」なのに。


首を傾げると、ノクスがはっとしたように言葉を止める。


「……ごめん。変なこと言ったね」


ノクスは笑った。

また、苦しそうな顔で。


一緒に料理を食べた時は、あんなに優しく笑ってくれたのに。


胸の奥に、何か重苦しいものが落ちてくる感じがした。


――僕は、やっぱり、何か失敗しているのだろうか。

――本当は嫌なのに、言えないのだろうか。


……ノクスは、優しいから。


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