【第39話】月花祭
目が覚めると、見慣れない角度で天井が映っていた。
頭に、枕とは違う、柔らかい感触がある。
「……おはよう」
穏やかな声とともに。
綺麗な青い瞳が、僕を覗き込んできた。
「……ノクス?」
……僕の頭は、ノクスの膝の上にあった。
窓を見れば、もう明るい光が差し込んでいる。
「……もしかして、ずっと?」
「……うん」
慌てて身を起こす。
「すみません、僕、すっかり寝てしまって」
「大丈夫だよ」
「……足、痺れてませんか?」
僕がおそるおそる問いかけると、ノクスはくすりと笑った。
「……そっちの心配?」
「どういう意味でしょう?」
「ほんとに、無防備すぎでしょ」
ノクスは僕の頭を撫でて、すっと立ち上がる。
「食器、片付けないとね。手伝うよ」
「いえ、そんな」
「当たり前でしょ。二人でやれば早いし」
「ありがとうございます」
残ってしまったとはいえ、かなりの量を食べたから、最初よりもずいぶん運びやすくなった。
ノクスは皿がいっぱいに入った籠を両手に引っかけ、お盆まで持ってくれる。
僕も、籠を一つと盆を持つ。
食堂まで、一回で全部持って行けそうだ。
「ノクスは力持ちですね」
僕が言うと、ノクスは予想もしていなかった言葉を聞いたかのように、目を丸くした。
「……そこを褒められたのは、初めてかも」
寮の廊下から厨房に向かっていると。
食堂に入っていくイグナスさんと鉢合わせた。
「あ、《狂刃》先輩。おはようございます」
「……お前ら」
イグナスさんは、僕たちが抱えている籠やお盆を見て、目を見開く。
「なんだ、その大量の皿」
「昨日、一緒に夕飯を食べたのですが、作りすぎてしまって」
僕が言うと、イグナスさんが息を呑んだ。
「……昨日の用事って、もしかして、それか?」
「はい」
「こんな時間までか」
「食べ終わった後、うっかり寝てしまったので」
「……寝た?」
「はい。起きたら朝でした」
「……」
イグナスさんの視線が、隣に立つノクスに移る。
ノクスは何も言わず、ただイグナスさんを見返していた。
「……そうか」
イグナスさんは視線をそらすと、そのまま、食堂の奥へ向かう。
僕たちも厨房へ向かうと、なぜか食堂の女性店員たちの視線が刺さった。
ノクスを見ながら、ひそひそと囁く声が耳に入る。
「……ねえ、あの人にあげるの?」
「いや、絶対無理でしょ」
「あれはもう、付き合ってるって」
「……?」
……何の話だろう。
僕が首を傾げると、ノクスは興味なさそうに肩をすくめた。
「気にしなくていいよ」
片付けが終わり、ノクスと別れ《教授》先輩の研究室へ向かっていると―――。
「……ねえ、ちょっといい?」
ふいに、廊下の陰から、遠慮がちな声がかかった。
食堂の女性店員のうちの一人だ。
「はい。大丈夫ですが」
何やら緊張した面持ちで、こちらを見ている。どうしたんだろうか。
女性店員は周りの視線を伺うようにきょろきょろしてから、僕に近づき、声を潜める。
「あの……あなた、《毒蛇》様と付き合ってるの?」
「え?」
一瞬、言葉に詰まった。
――『みんなには、内緒ね』
……ノクスには、そう言われているし。
「いいえ」
僕がそう答えて首を振ると、女性店員は身を乗り出した。
「ほ、本当!?」
「はい」
なんだか、すごく嬉しそうに見える。
「じゃあ……『月花祭』で、花を贈ってもいいかしら?」
「《毒蛇》先輩にですか?」
僕は首を傾げた。
――ノクスに花を贈るのに、僕の許可なんて、いらないと思うけど。
「問題ないと思いますけど」
「……そ、そうかしら?ありがとう!」
女性店員は妙に興奮した様子で拳を握りながら、くるりと踵を返した。
「絶対、頑張る……!」
そんな呟きが聞こえてきた。
……そういえば、『月花祭』って、なんだろう。
研究室に入ると、僕はさっそく《教授》先輩に尋ねた。
「あの、《教授》先輩」
「どうした」
「《月花祭》って、なんでしょうか?」
執務机に向かって書き物をしていた手が、ぴたりと止まる。
銀縁眼鏡の奥の瞳が、驚いたように僕を見た。
「……今まで、一度も聞いたことがないのか?」
「はい。さっき聞いたばかりです」
「……そうか」
《教授》先輩は、言葉を探すかのように、しばらく視線を彷徨わせた。
「端的に言うと――好意を寄せる相手に、花を贈る日だな」
「ああ、なるほど」
僕は納得して頷く。
その瞬間、《教授》先輩は、何かが引っかかったかのように、わずかに眉をひそめた。
「……君は、誰からそれを聞いた?」
「食堂の店員さんです。《毒蛇》先輩に花を贈ってもいいかと聞かれたので」
――《教授》先輩の表情が、固まった。
「……それで、君は何と答えた?」
「問題ないと思いますって」
「……」
《教授》先輩は、静かに目を閉じる。
「《毒蛇》先輩のことが、好きだったからなんですね。頑張るって言ってました」
「……そうか」
そして――なぜか、頭を抱えた。
「……?」
「……私は、また失言したようだ」
その日の夜。
ノクスは、両手に綺麗な包みを抱えてやってきた。
「どうなさったんですか?」
僕が尋ねると、ノクスはにこりと笑う。
「昨日、君の部屋、ちょっと冷えるかなと思って。だから、これ」
渡された包みを、丁寧に開ける。
中から出てきたのは、お洒落な幾何学模様が描かれた、ブランケットだった。
見るからに高級そうな厚手の生地に、ふわふわした手触り。
とても暖かそうだ。
「いいんですか?」
「もちろんだよ」
「ありがとうございます」
「あと、約束したから、これも」
ノクスはもうひとつ、小さな包みを取り出す。
お揃いのマグカップに、高級そうな茶葉が入っていた。
「こんなにたくさん頂いてしまって、いいんでしょうか」
「……うん。僕がそうしたいだけだから」
「でも、すみません。僕、何も差し上げられなくて」
申し訳ない気持ちになってそう言うと、ノクスは苦笑した。
「……そんなことないよ。ちゃんともらってる」
「……そうでしたか?」
……ノクスが喜ぶような贈り物なんて、できた記憶はないけど。
厨房でお湯を用意して、さっそくお茶を淹れた。
並んで寝台に座り、ノクスが持ってきてくれたブランケットを一緒に使う。
「おいしいです」
「よかった」
穏やかな時間が流れていく中で。
僕はふと思い出し、ノクスに話しかけた。
「そういえば、食堂の店員さんが、『月花祭』でノクスに花を贈りたいそうです」
マグカップを持つノクスの手が、ぴたりと止まる。
「……それ、本人から聞いたの?」
「はい。好きな人に花を贈る日なんですよね?」
「……まあね」
ノクスはなぜか、ほんの少しだけ、寂しげに笑う。
「僕も、ノクスに贈りますね」
「……え?」
意外そうな声。
「それから、《狂刃》先輩と」
「……」
「《断罪》先輩と」
「……」
「《教授》先輩に、《幽影》先輩にも」
「……」
「たくさん用意しないと」
指を折りながら僕が呟くと、ノクスは天を仰いだ。
「……うん。そっか」
「……知ってた」




