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【第38話】二人だけの食卓

「《教授》先輩。今日、少し早めに帰らせて頂いてもいいでしょうか?」


次の日の朝、研究室に入ると、僕は真っ先にそう尋ねた。


「構わないが、珍しいな。何か用事か?」


「はい。約束があって」


ノクスが来るまでに、夕食の支度を終わらせないと。

そんなことを考えながら仕事をしていると、イグナスさんがやってきた。


「よう。差し入れ持ってきたぞ」


「あ、いつもありがとうございます」


差し入れを受け取ってから、僕はイグナスさんに向き直る。


「今日ですが、予定があるので、お迎えは来て頂かなくて大丈夫です」


それを聞いたイグナスさんの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


「……予定?」


「はい」


「そうか」


それだけ言って、イグナスさんは視線を逸らした。


「……わかった。じゃあまた明日な」


「はい、また明日」


イグナスさんが去って行くと、《教授》先輩は小さく溜息をつき、銀縁眼鏡を押し上げた。


「……面倒なことにならなければいいが」



研究室での仕事を早めに切り上げて、僕は厨房へと向かった。

厨房へ入ると、すぐにユリアさんが笑顔で迎えてくれる。


「おや、どうしたんだい。珍しいじゃないか」


「夕食を作りたくて。少し、食材をお借りしてもよろしいでしょうか?」


僕がそう頼むと、ユリアさんは意外そうな顔をした。


「全然かまわないけど、賄いならタダで出してあげるよ?」


「いえ、僕が作るって約束したんです」


僕の答えにユリアさんは驚いたように目を見開いて――それから、じんわりと微笑んだ。


「……そうかい」


そして、僕の背中を軽く叩く。


「少しなんて言わず、好きに使いな」


「いいんですか?」


ユリアさんは頷く。


「……で、なに作るんだい?」


「ええと……」


聞かれて、僕は言葉に詰まった。


……そういえば、ノクスの好きな食べ物を知らない。


「わかりません」


「……は?」


「好きなものを作ると約束したのですが、何が好きか聞いていませんでした」


「……坊やらしいね」


ユリアさんは気が抜けたように、肩をすくめる。


……とりあえず、作れるものを、色々作ってみよう。


僕は、厨房の食材を、次々と手に取る。

肉や魚、卵、そして色々な野菜に果物。


そうしたら――


いつのまにか、想像以上に、たくさん作ってしまった。


「……坊や」


「はい?」


「それ、何人前だい?」


「わかりません」


「そうだろうね」


※※※


そうして、夕方になる。

扉をノックする音。


「ノクス、待っていました」


急いで扉を開けた僕に、ノクスが微笑み、袋を差し出す。


「飲み物、持ってきたよ」


袋から覗いていたのは、葡萄酒の瓶だった。


「ありがとうございます」


「ねえ……これ」


部屋に入ってきたノクスは、そこに広がる光景を見て、呆然と呟いた。


肉料理、魚料理、卵料理、パン、シチュー、サラダ、そしてスープ。

ありとあらゆる種類の食材を使った料理が、それぞれ数品ずつ。


狭い机の上には載せきれなかったので、ギルドの備品である簡易テーブルも借りた。

一緒に食べられるように、ちゃんと椅子も用意してある。


「……こんなに作ったの?」


「ノクスの好きなものが、わからなかったので」


「……どうやって持ってきたの」


「籠とお盆で」


「何往復したの」


「五回です」


「五回……」


ノクスは言葉を失って、料理を見ている。

やっぱり、作りすぎてしまっただろうか。


「ノクスがいつも食べているような料理では、ないと思いますけど」


「そんなことないよ」


僕たちは一緒に食卓につき、食事を始めた。

ノクスは、僕の作った料理、すべてに口をつけてくれる。


「無理、しないでくださいね」


心配になって言うと、ノクスは微笑んだ。


「……僕のために作ってくれたんでしょ。ちゃんと食べたいから」


そうして、僕が作った料理を、ゆっくりと、噛み締めるように食べてくれる。

……さすがに、二人で全部食べきることは、できなかったけれど。


「……おいしいよ。ありがとう」


ノクスが、穏やかに笑った。


その顔は――とても優しかった。

僕も嬉しくなって、思わず笑みがこぼれる。


「……少しは、元気を出してもらえたでしょうか?」


「……え?」


「最近、元気がなさそうに見えたので」


僕の言葉に、ノクスは驚いたように息を呑む。


「……」


「ノクスが笑ってくれて、よかったです」


「……っ」


ノクスは、僕の顔をじっと見た。


その顔は、そんなはずはないのに……なぜか、泣き出しそうにも見えた。



今日は夕方から会っているから、まだ時間がある。

借りてきた籠に食器を片付けると、僕は別の籠からマグカップと茶葉を取り出した。


「お茶、淹れますね」


あらかじめ用意してあったお湯のポットも一緒に出すと、ノクスが小さく吹き出す。


「……君、ほんとに準備いいね」


「そうですか?」


お茶を淹れる僕の姿を見ながら、ノクスは目を細めた。


「今度、ちゃんとしたマグカップと茶葉、持ってくるよ」


僕たちは、並んで寝台の上に座り、温かいお茶を飲む。


「何が一番、おいしかったですか?」


「全部」


「……それだと、わかりません」


「だって本当だから」


とりとめのない話をしていると、しだいに眠気が襲ってきた。


「……たくさん食べたからでしょうか。なんだか、眠くなってきました」


「……眠い?」


「いえ、でも」


「……寝てもいいよ」


僕の手からマグカップを受け取り、ノクスはそっと僕を引き寄せる。

いい香りがして……なんだか、本当にうとうとしてきた。


「では、少しだけ……」


僕は、ノクスの胸に身体を預ける。

そのまま、意識がゆっくりと、落ちていった。


※※※


「……優しいね」


眠ってしまった「恋人」の髪を撫でながら、小さく笑う。


「君は、誰にでも優しい」


《狂刃》にも。


《断罪》にも。


《教授》にも。


等しく、同じように。


それでも、今日だけは。


今日だけは――僕のためだった。


僕のために、料理を作ってくれた。

僕のために、時間を使ってくれた。


「……君は、僕を愛してない」


その事実は、最初から知っている。


「なのに――なんでこんな事するの」


目を閉じれば、瞼の裏に、あの笑顔が浮かぶ。


――『ノクスが笑ってくれて、よかったです』


僕を喜ばせようと、必死に「恋人らしく」振る舞って。

教えていないことを、当たり前のようにしてくれる。

僕を信じて、何の疑いもなく身を預けてくる、この小さな存在。


腕の中の温もりを、確かめるように抱き寄せる。


「こんなの……離せるわけ、ないだろ」


――もう、戻れない。


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