【第34話】「期待したくないのに」
ノクスと「恋人」になって、初めてのデート。
僕は、教えてもらったことを思い出しながら、丁寧に支度をしていた。
ノクスが「良い雰囲気の店」と言っていたから、きっとまた高級なお店に連れて行ってくれるのだろう。
鏡を何度も見ながら髪を整え、ノクスが似合うと言ってくれた薄手のシャツに、ふんわりとした紺色のカーディガンを羽織った。
夜に外を歩くのは少し寒いかなと思ったから、首回りにストールを巻く。
そして最後に、ノクスからもらったブレスレットを着けた。
すると、見計らったかのように、扉をノックする音が聞こえた。
「ノクス、こんばんは」
「……」
「?」
出迎えた僕を見て、微笑みを浮かべたまま、ノクスが固まる。
「どうかしましたか?」
「……ちょっと、可愛すぎない?その格好で行くの?」
……どういう意味だろう。お店の雰囲気と違ったかな。
「教えてもらった通りにしたつもりだったのですが……おかしいですか?」
「……おかしくはない」
ノクスは、なぜか真顔になり、そう言った。
「……行こうか」
「はい」
指先が、自然に絡む。
僕たちは、手を繋いで、夜の街へ歩き出した。
外は、少しだけ風が出ていた。
「寒くない?」
「はい、大丈夫です」
ストールを巻いてきて、正解だった。
大通りに出ると、当たり前のように、ノクスに視線が集まる。
風が吹く度に、輝く金髪がさらりと揺れ、上質な黒のロングコートがはためく。
その瞬間、ふんわりと、いい匂いまでしてきた。
僕と手を繋いでいても、道行く女の人たちは、みんなその姿に漏れなく釘付けになる。
ノクス本人は慣れているのだろう、全く気にする様子もない。
でも、なぜか今日は、その姿がいつもより一段と輝いて見えた。
「どうしたの?そんなに見て」
僕がじっと見ていると、ノクスが微笑み、首を傾げる。
「いえ、眩しいなって」
「何が?」
「ノクスです」
「……」
「なんだか、今日はいつもより、もっとかっこいいです。どうしてでしょう」
「……それはさ」
「髪型も素敵ですし」
「……」
「服も、すごく似合ってます」
「……」
「なんだか、いい匂いもして」
「……」
「やっぱり、王子様みたいですね」
「……うん。ちょっと待って」
黙って聞いていたノクスが、唐突に立ち止まり――片手で顔を覆った。
「……ノクス?」
「……無理」
「何がですか?」
「もう褒めるの禁止」
「どうしてですか?」
「どうしても」
「?」
「……僕の理性のために」
――その時。
首に巻いていたストールが、風でふわりと舞った。
「あっ」
僕は反射的にノクスの手を離し、飛んでいくストールを追いかける。
薄手のストールは、風に煽られて、どんどん遠くへ行ってしまう。
「ちょっと――」
背後から、ノクスの声が聞こえたけれど。
夢中で追いかけているうちに、僕は人混みに遮られ……ノクスとはぐれてしまった。
「……困りました」
ストールは回収できたけれど、ノクスの姿が見えない。
……お店の場所はわからないし、どうしようか。
そんなことを考えながら立ち止まっていると、ふいに、若い男の人が声をかけてきた。
「ねえ、君、一人だよね?」
「いえ、恋人と来ています」
答えると、男の人は怪訝な顔をする。
「……誰もいないけど?」
「はぐれてしまったので」
「じゃあ、一緒に探してあげるよ」
そう言って、男の人はにこにこしながら、僕の手を取った。
お礼を言いかけて、僕はふと思い出す。
……そういえば、だいぶ前、ノクスに「知らない人とはこういうことをしちゃ駄目だ」と言われた気がする。
「……あの」
手を外そうとした、そのとき――
「――手、離してくれる?」
背後で、穏やかな声が聞こえた。
「は?誰だよ――」
顔をしかめて振り返った男の人は――そこに立つノクスを見て、ぽかんと口を開けた。
「君こそ誰?」
「……」
「その子、僕の恋人なんだけど」
男の人は、その眩しさに圧倒されているかのように、固まったまま動かない。
ノクスから、笑みが消えた。
「早く消えて。……殺すよ?」
そう口にした瞬間、この空間だけ、空気が氷点下になった気がした。
男の人は顔をひきつらせ、一目散に去って行く。
「……殺すのは、やりすぎでは?」
僕がぽつりと言うと、ノクスは笑って肩をすくめた。
「冗談だよ」
「そうなんですね」
「……たぶん」
……たぶん?
「一人になったら、危ないでしょ」
きょとんとする僕を見て、ノクスが息を吐き、ふと真剣な表情になる。
「……この前、あんなことがあったばかりだし」
……心配させてしまったのだろうか。
「すみません。ノクスにいただいたものだったので、無くしたらいけないと思って」
ストールを握り締めながら謝ると、ノクスがわずかに目を見開く。
そうして、諦めたように、笑った。
「……君、ほんとにずるいね」
「?」
「そんなこと言われたら、怒れないでしょ」
ノクスは、また僕の手を握る。
さっきよりも、強い力で。
並んで歩き出すと、ふいに、ノクスがぽつりと呟いた。
「……店、行くのやめようか」
「え?」
「……なんか、見せたくないかも」
「何をですか?」
「……」
ノクスは、首を傾げる僕の顔を、じっと見つめた。
「……たまには、露店で何か買ってみるのもいいかなって」
僕の問いかけには答えず、ノクスは僕の手を引き、広場の方へと歩き出す。
昼間ほどではないけれど、この時間でも、王都の広場は賑わっていた。
ちゃんと露店も出ている。
「何食べようか?」
「ええと……」
串焼きは、服が汚れてしまったら大変だし……
考えた末、僕は焼きたてのパンを買うことにした。
ノクスは別の露店でお菓子を数種類、それから温かい飲み物を買ってくれる。
僕たちは人混みから離れたベンチを選び、並んで腰を下ろした。
飲み物に口をつけながら、ノクスが苦笑する。
「こういうデート、僕らしくないよね」
「?」
「ほんとは、もっとちゃんとした店に連れて行って、綺麗な夜景でも見せたかったんだけど」
確かに、「恋人の練習」の時、ノクスはお洒落な店に沢山連れて行ってくれた。
「でも、僕はこういうの、落ち着きます」
パンをかじりながら僕が答えると、ノクスが意外そうな顔をする。
「そう?」
「高級なお店は、まだ少し緊張しますし」
「……そっか」
「はい。この方が、ノクスとちゃんと話せます」
僕が正直に言うと、ノクスがわずかに息を呑む気配がした。
その手が、僕の肩を引き寄せる。
「……ねえ」
「はい?」
ノクスの綺麗な青い瞳が、すぐ近くで、僕を見つめた。
僕が見つめ返すと、その瞳が、躊躇うように揺れる。
「君の、名前……」
ノクスは、何か言いかけて――口をつぐんだ。
「……ううん。何でもない」
どうしたんだろう。
大した話じゃなかったのだろうか。
「……困ったな」
夜空を仰ぎながら、ノクスが独り言のように、呟く。
「……期待、したくないのに」
……何のことだろう。
肩を抱く手の力が、わずかに強くなる。
ベンチで寄り添いながら、僕たちは、しばらく何も言わず、星空を眺めていた。




