【第33話】「良くなくても、もう遅い」
僕は、《教授》先輩に言われて、研究室で長机の整理をしていた。
雑然と置かれていた魔法陣の描かれた紙や、様々な色のついた札。
それらを種類別に、綺麗にまとめていく。
机の上が開くと、《教授》先輩は執務机から立ち上がり、長机の上に、数式のようなものを書いた紙を広げた。
その真ん中に、白色の札を置いて、手をかざす。
「――《術式転写》」
一瞬、光が閃き――白かった札が、青く染まった。
僕が見入っていると、《教授》先輩はそれを僕に手渡す。
「君に、これを渡しておく」
「……僕にですか?」
以前《幽影》先輩からもらった、伝令魔術の札に似ているけど、色が違う。
「護身用の符だ。気休めだが」
《教授》先輩は、僕からわずかに視線を逸らす。
「……以前、複数の敵に囲まれただろう」
……ギルド襲撃の時のことを言っているのだろうか。
「危険を感じたら、それを破れ。氷の魔術が発動する」
僕は目を見開く。
「……そんなすごそうなの、いただいていいんですか?」
「あくまで許可されている小規模魔術にすぎない。そんな大層なものではないからな」
「それでも、僕には十分すごいです」
そういえば、《教授》先輩が攻撃魔術を使っているのは、見たことがなかった。
回復魔術には何度も助けてもらったし、任務に連れて行ってもらった時に《認識阻害》魔術も見せてもらったけど。
「《教授》先輩の攻撃魔術、きっと、かっこいいんでしょうね」
僕がそう言って笑うと、《教授》先輩は小さく咳払いし、銀縁眼鏡を押し上げた。
「……気になるなら、見せてやれないこともない」
「え?本当ですか?」
「大規模な魔術は『軍事魔術』として許可が必要だが」
《教授》先輩は、僕が持つ札を、ちらりと見る。
「その札に込めた魔術程度のものなら、問題ない」
《教授》先輩は長机の上に適当な木箱を置くと、部屋の隅に立った。
そこから木箱に向けて、すっと手をかざす。
「――《氷槍》」
短く、詠唱する。
すると、辺りがわずかに冷気を帯び――
《教授》先輩の手元から、小さな氷の槍が、いくつも発射された。
槍は真っ直ぐに飛び、一瞬で木箱を破壊する。
「すごいです。かっこいいですね」
目を輝かせる僕を見て、《教授》先輩が、ほんのわずかに、目を細める。
「……君らしい感想だな」
……初めて研究室に入った時と、同じことを言われた。
お昼の時間になると、僕はまたサンドイッチと紅茶を用意し、《教授》先輩の机に置いた。
ついでに僕の分も作ることにしたから、来客用の椅子に座って、一緒に食べる。
そこへ、ノクスが尋ねてきた。
手にはまたお菓子の箱を持っている。
イグナスさんと鉢合わせてから、ノクスは時々、時間をずらして来るようになった。
サンドイッチを頬張っている僕を見て、ふっと目を細める。
「まだ食事中だったかな。ごめんね」
「いえ、いつも差し入れありがとうございます」
ノクスは何かに気付いたように、僕と《教授》先輩を、交互に見た。
「同じもの食べてるんだ」
「はい、厨房で作りました」
「……君が?」
「はい。そうですけど」
「……そうなんだ」
ノクスは、《教授》先輩の手に収まっているサンドイッチを、じっと見た。
「……じろじろ見るな。気が散る」
《教授》先輩が、呆れたように溜息をついて、立ち上がる。
「……向こうで食べるとしよう」
そして、お盆ごと昼食を持って、足早に隣の仮眠室へと行ってしまった。
「気を悪くさせちゃったかな」
たいして悪びれる様子もなく、ノクスは椅子の上で足を組んだ。
「ノクスも、サンドイッチが食べたかったんですか?」
首を傾げて尋ねると、ノクスは苦笑する。
「……いや、そういうことじゃなくてさ」
「よかったら、今度ノクスの好きなもの、何か作りましょうか?」
何気なく聞くと、ノクスは一瞬驚いたように僕を見て……ふわりと笑った。
「……作って」
ふいに、ノクスの顔が近づいてくる。
「……?」
「目、閉じて」
そう言われて、僕は目を丸くする。
「キスですか?」
「うん」
「……《教授》先輩、すぐ戻ってこられると思いますけど」
「だから、その前にするんだよ」
ノクスは、悪戯っぽく笑う。
……何かの遊びみたいなものかな。
何度かキスしていると、《教授》先輩が戻ってくる気配がする。
ノクスはすっと離れ、僕にしか聞こえない声で、小さく囁いた。
「……残念」
「?」
「もう少し、独り占めできると思ったのに」
※※※
「じゃあ、僕、片付けしてきますね」
「うん、僕も、そろそろ戻るよ」
《天然》が厨房へ向かうため、部屋を出ると。
「……《毒蛇》」
《教授》は、立ち上がろうとする《毒蛇》を呼び止めた。
――部屋の空気が、一変する。
《教授》は銀縁眼鏡を押し上げ、椅子に座り直した《毒蛇》を見据えた。
「お前、何があった」
「……何の話ですか?」
微笑み、自分を見返す《毒蛇》を詰問するように、一言。
「感情が、隠しきれていない」
「……」
《毒蛇》から一瞬だけ表情が消え――次の瞬間、諦めたように微笑む。
「さすが、鋭いですね」
「お前、わかっているだろう。彼は……」
最後まで言えなかったその言葉を引き取るように、《毒蛇》は肩をすくめた。
「……わかってますよ」
そして、静かに告げる。
「……壊れているなら、僕が受け入れる」
その青い瞳には、いくつもの感情が入り交じっていた。
「……それで、いいのか」
《教授》の問いに、《毒蛇》は、ただ微笑む。
「良くなくても、もう遅いですよ」
《教授》は、何も言わず、目を伏せた。
――その先にあるものを、予見しているかのように。
※※※
「飯、行くぞ」
「はい」
仕事が終わると、イグナスさんが、僕を迎えにきてくれた。
いつものように食堂で向かい合って座り、今日あった出来事など、たわいない話をする。
一緒に食事をするようになったばかりの頃は口数が少なかったイグナスさんも、今では色々話しかけてくれるようになった。
「お前、今日は何してた」
「《教授》先輩に、魔術の札をもらいました。護身用にって」
「へえ?どんなのだよ」
「破ると、氷の槍が出るそうです」
「……うっかり破るなよ、お前」
イグナスさんは、本気で心配そうな顔をする。
「あと、本物の攻撃魔術も見せてもらって……すごかったです」
その時の光景を思い出しながら話す僕を、イグナスさんは笑って見ていた。
「お前、そういうの好きそうだよな」
そこで、ふと、イグナスさんは思いついたように口を開いた。
「……今度、武器屋でも一緒に見に行くか?護身用の武器くらいなら、俺が見立ててやる」
「いいんですか?」
「ああ。お前一人で選ぶよりはマシだろ」
Aランクの暗殺者であるイグナスさんなら、僕なんかよりも、ずっと詳しそうだ。
「はい、ありがとうございます」
お礼を言うと、ふいに、イグナスさんの顔から、笑みが消える。
「……あいつ、あれからお前のとこ、行ってるか」
「あいつ?」
僕が首を傾げると、イグナスさんは、少しだけ気まずそうに、視線を逸らした。
「……《毒蛇》だ」
「はい、今日も来られました」
答えると、イグナスさんの眉が、ぴくりと動く。
「……何しに来てんだ、あいつ」
「差し入れを持ってきてくれました」
「……」
イグナスさんは視線を戻し、僕をじっと見つめた。
「……お前、あいつのこと、どう思ってる」
「優しいです」
……しかも、「恋人」になってからは、前以上に優しくなった気がする。
「……『優しい』ね」
僕の答えに、皮肉げな笑みを浮かべて。
イグナスさんは、小さく、そう呟いた。
そして、夜が来た。
ノクスが部屋へやってきて、また、寝台の上に並んで座る。
「今日、楽しそうだったね」
「?」
突然そう言われて、僕は面食らった。
「あいつと、何か話してたでしょ」
食堂でのことだろうか。見ていたのかな?
「声をかけてくださればよかったのに」
僕がそう言うと、ノクスは笑って肩をすくめた。
「楽しそうだったから、邪魔できないかなって」
……邪魔なんてこと、ないのに。
そう思いながら、イグナスさんと話したことを伝える。
「今度、武器屋に行く約束をしました」
「……また、一緒に出かけるんだ」
ノクスが、微笑んだまま、小さく呟く。
「……ねえ」
「僕がいない間、あいつと何してたの?」
そう聞かれて、僕は少し考える。
特別、珍しいことはしていないような気がしたから。
「ええと……毎日一緒に夕飯を食べて、時々、外食に連れていってもらいました」
僕は、一緒に《気まぐれ店主の創作料理店》へ行ったことを話した。
その流れで、前に同じ店に行った時の出来事も思い出す。
「たまには、外で食べるかって誘ってくれて」
メニューを選べなかった僕に、「適当に選べ」と言ってくれたこと。
僕が選んでしまった辛い料理を代わりに食べてくれたこと。
それから、色々な店に連れて行ってくれるようになったこと。
そして、僕が何かを選ぶと、いつも嬉しそうにしていたことまで。
笑って頷きながら、僕の話を聞いてくれていたノクスの表情が、段々と曇る。
「……君さ」
ぽつりと、ノクスが口を開いた。
「あいつのこと、どう思ってる?」
問われて、僕はまた首を傾げる。
……イグナスさんと、同じことを聞かれた。
「いい人です」
「……いい人?」
「はい。最近は、よく笑ってくれます」
感じたままを言うと、ノクスは、どこか寂しそうな顔で、笑った。
「……そっか。楽しそうだね」
……なんだか、元気がないように見える。
こういう時は、どうしたらいいんだろう。
――そうだ。
「相手を優先」すること。
「でも、恋人ですから、ノクスが一番です」
そう言って、僕はノクスに抱きついた。
喜んでくれるかなと、思って。
――けれど。
ノクスの身体が、わずかに強張る。
「……ノクス?」
見上げると、ノクスの瞳が、ひどく苦しそうに揺れていた。
「……僕が言ったこと、全部守らなくていいよ」
固い声音で、そう告げられる。
どうして、そんなことを言うんだろう。
「……どうしてですか?僕、ノクスに喜んで欲しいです」
「……」
ノクスが目を閉じる。
まるで、何かを堪えるように。
どうしたんだろう。
……何か、間違えてしまったのだろうか。
「……こうすると、喜んでくれるんですよね?」
答えを知りたくて、青い瞳を、覗き込んだ。
すると――。
「……違う」
「え……?」
手首を掴まれる。
そのまま強く引かれて、ぶつかるように、唇が重なった。
「んっ」
すぐに、口づけが深くなる。
――言葉にできない「何か」を、そのまま吐き出すみたいに。
掴まれた手首が、ほんの少しだけ、じんと痛む。
「……っ」
ノクスが、はっとしたように、身体を離す。
「……ごめん、痛かった?」
「いえ、大丈夫です」
赤くなった僕の手首を見て、ノクスはまた、苦しげに顔を歪める。
その姿を見て、僕は思わず、口を開いていた。
「……あの、ノクス」
「……どうしたの?」
「僕が何か失敗していたら、教えてください」
「……」
「僕、ノクスに嫌な思い、させたくないです」
「……君は、本当に……」
ノクスは何か言いかけて、首を振った。
――そして、いつもの穏やかな微笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ……失敗なんか、してない」
「本当ですか?」
「うん。僕を喜ばせようとしてくれたんでしょ。嬉しいよ」
そう言って、ノクスは、僕を優しく抱き締める。
でも……その顔は、やっぱりどこか、曇って見えた。
「……ねえ、また、デートしようか」
柔らかな声が、耳元で囁く。
「デートですか?」
「うん、今度は本当に、恋人としてのデート」
……ノクスはまだ、僕を必要としてくれているのだろうか。
「はい」
そうだったら、嬉しい。




