【第29話】「被験体番号8番」
「ギルド襲撃の指示を出した者の、手がかりを掴んだ。私はそこへ潜入する。同行を頼めるか」
ギルド襲撃事件から、ほんの数日後。
唐突な《幽影》からの依頼に、《断罪》は目を見張った。
ワイルドウルフが敵の消息を追わせているという話は聞いていたが、まさかこれほど早く進展があるとは、予想もしていなかったからだ。
「そりゃ、もちろん構わねえが……なんで俺に?」
ギルドを襲った敵を探るならば、任務として赴くのが当然だ。
だが、任務で誰を送り込むかの指示は、ワイルドウルフが出している。
もっともな疑問に、《幽影》は首を振った。
「……正式な任務ではない。これは、私の個人的な調査だ」
「……どういう意味だ?」
首を傾げると、《幽影》は低い声で、静かに告げた。
「お前の言う『胸糞悪い悪党』と、おそらく関わっている」
「……は?」
その名前が、なぜ今、ここで――
そう考えた時、《断罪》の胸の奥で、何かがざわめいた。
《幽影》は目を伏せ――しかし、次の瞬間、《断罪》の瞳をまっすぐに射貫く。
まるで、その覚悟を問うように。
「……見たくないものを見るかもしれん。それでも頼めるか」
《断罪》は、その深い緑の瞳を、じっと見返す。
「……行く」
思わず、口からこぼれていた。
「行かない」という選択肢は……どうしてか、選んではいけない気がした。
深夜。
ギルドのある王都中心街を抜け、一般市民の住む区画を通り過ぎる。
整備された石畳の道は次第に荒れ、救貧院や修道院が並ぶ、寂れた区画へと変わっていく。
《幽影》はその外れにある森の中へと、迷わず足を踏み入れた。
「……本当に、こんなところにあるのか?」
驚異的な視力を誇る《断罪》だが、悪の拠点らしき建物など、影も形も見えない。
見えるのは、林道の先に建ち並ぶ救貧院や修道院。
そして――古びた孤児院だけだった。
しかし《幽影》の視線は、そのさらに奥へ向けられている。
「……認識阻害だ」
孤児院の付近まで進み、《幽影》が足を止める。
「お前は、ここで待て」
「は?」
「30分待って戻らなければ、切り捨てろ」
淡々と告げられ、《断罪》は小声でまくし立てた。
「いや、待てよ!俺も……」
「気付かれずに調査を終える必要がある。お前には向かない」
「……」
正論を返され、《断罪》は押し黙る。
「これは個人的な調査だ。私が戻らなければ、ギルドに不利益が及ぶかもしれん。ワイルドウルフに伝えれば、うまくやるはずだ」
《幽影》は、何もない空間へ向かって迷いなく進み――ゆらりと消えた。
※※※
「――《幻影透視》」
《幽影》は、最初に屋敷を見つけた時と同様、眼に魔力を集中させる。
その眼だけに浮かび上がる屋敷の入り口へと足を向けながら、続けて短く詠唱した。
「――《潜界》」
次の瞬間、その身体の輪郭が揺らぎ、まるで景色に同化するかのように見えなくなる。
誰にも悟られぬまま侵入を果たし、廊下に出た。
ランプの仄暗い灯りに、影が揺らめく。
《幽影》はその影の合間を縫うように移動しながら、人の気配を探る。
認識阻害魔術によほどの自信があるのか、中の警備は最低限だった。
その代わりに、もっと物騒な魔術の気配を感じる。
「……《析眼》」
立て続けに詠唱すると、《幽影》の眼に、屋敷中へ張り巡らされた魔力の紋様が浮かび上がる。
対象には見えず、触れれば即座に発動し、その身を焼き尽くす罠。
《幽影》の口から、確信に満ちた呟きが漏れた。
「……軍事魔術の、無断使用か」
罠の気配は、足下から、より濃厚に感じ取れる。
周りの紋様に触れぬよう、付近を探索すると――床に、隠された扉を見つけた。
《幽影》は躊躇わずに扉を開け、するりと中に入る。
地下へと続く階段を降りていくと、ひやり、とした空気とともに、雰囲気が一変した。
――そこは、殺風景な、石造りの部屋だった。
拘束具のついた寝台が、並んでいる。
シーツには、血の跡がこびりついていた。
付近の壁には、あらゆる刃物。
そして棚には、大量の薬品類。
部屋には、血と薬品が混じったような、不快な臭いが充満している。
この場所で今も、おぞましい「何か」が行われていることが、容易に想像できた。
「……」
寝台の付近には、簡素な執務机が設置されていた。
机の上に一冊だけ、分厚い記録帳のようなものが置かれている。
《幽影》は息を吸うと、それを手に取り、ページをめくった。
「……」
その手が、ある箇所で、ぴたりと止まる。
食い入るようにそこに書かれている内容を見て――《幽影》は、顔を歪めた。
「……こんな状態で、生きていたのか」
いつも冷静なその声に、怒りとも、憐憫ともつかぬ感情が滲む。
《幽影》は記録帳を閉じると、片手をその上にかざした。
「影を成せ――《影写》」
詠唱とともに、かざす手に、力を込める。
すると。
《幽影》が手にしている記録帳と、全く同じものが、その場に「生み出された」。
「……っ」
刹那、その身体が、わずかにふらつく。
すぐに体勢を立て直し、生み出した記録帳を代わりに机の上に置いた。
《幽影》は、来た時と同じように――誰にも悟られることなく、屋敷から脱出した。
※※※
《断罪》は苛立ちを抑えながら、指示された通り、その場に待機していた。
約束の時間が過ぎてしまいそうになるところへ、覚えのある気配が近づく。
息を吐いて顔を向けた《断罪》の表情が、強張った。
「……は?」
目の前に現れたのは、黒装束に身を包んだ、熟年の男だった。
長身に、引き締まった体躯。
大部分が白くなった、褐色の髪。
そして、目元や口元に、深く刻まれた皺。
だが――思慮深さを感じさせる深い緑色の瞳と、老練な気配だけは、違えようがない。
「あんた……《幽影》か?」
「……そうだ」
恐る恐る問いかけると、男――《幽影》は頷く。
「その、姿……」
「魔力を消耗しすぎた。しばらくは戻れん」
言葉を失う《断罪》に、《幽影》は静かに促す。
「――話は後だ。撤退するぞ」
その足取りは、いつもの滑らかさと比べて、ほんの少しだけ、鈍い。
隠された屋敷から十分離れると、《断罪》は重々しく、口を開いた。
「……何が、あったんだ?」
「……」
《幽影》は、答えを求める茶色の瞳を覗き込むように見て――
懐から、先ほどの記録帳を取り出した。
そして《断罪》に、その記録を差し出す。
「……最後のページを、読んでみろ」
「……?いったい何が――」
受け取ってページをめくった《断罪》の手が、止まった。
「これ、は……」
書かれている内容を、凝視する。
《被験体番号12番》
《被験体番号8番の成功例を鑑み、同条件を再現》
《村人の虐殺光景を提示》
《感情反応の消失》
《呼びかけ・投薬・刺激を試すも一切反応なし》
《処分》
「……」
そこで、《断罪》の指が、無意識に《被験体番号8番》のページをめくる。
記録されていた内容を読み――
「……え?」
《被験体番号8番》
《家族の虐殺光景を提示》
《強い情動反応を確認》
《継続刺激により、感情反応の鈍化を確認》
「……なんだよ、これ」
《断罪》の声が、掠れる。
《孤児院貯蔵の童話『影の暗殺者ファントム』への強い執着を見せる》
《数日後、笑顔を確認》
《恐怖反応の減衰を確認》
《自己保存反応の低下を確認》
《日常生活への著しい支障なし》
《順応性、極めて高い》
《自発的に暗殺者ギルドへ所属》
《特殊能力の発現を確認》
《観察継続》
「……嘘、だろ」
記録帳を持つ手が、ぶるぶると震えた。
「俺は……」
絶望の表情が、その顔に浮かぶ。
「俺は、言っちまった……!あいつに、『どうかしてる』って……!!」
悲痛な叫びを上げる《断罪》の姿に、《幽影》は、ただ目を伏せる。
「本当に、間違ってたのは――」
その先は、言葉にならなかった。




